¨SOMOS JAPON¨⑥アデラ・カンパージョ

みなさんこんにちは。

今日はアデラ・カンパージョへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第6回 アデラ・カンパージョ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】すばらしいことがたくさんあったように、つらいこともたくさんあった。交通事故。その瞬間私の足は車の天井まで上がり、頭が肩に陥没した。私の弟が私の身体を伸ばした時に、首にものすごい熱さを感じた。熱さを。そして全身の震え。社会保障の医者(萩原註:無料で医者にかかることができるが、診療予約をとれるまで数ヶ月かかるなど、デメリットもある。)に行ったら、首の骨に問題があると言われたので首にギプスをしていたわ。最初は手先の感覚が少し弱くなったくらいだったの。それがどんどんひどくなり足も動かなくなった。レントゲンもとったし、精神科医にも通ったわ。それで5ヶ月過ぎた。でもある日階段が昇れなくなり、そして意識を失って倒れた。

そして一般の医者(萩原註:医療費は患者が全額負担だが、すぐに診療予約がとれるなどメリットがある)に行ったの。そしてその医者に言われた。「目を閉じて手を鼻につけて。」私の手は胸の位置にしか上がらなかった。「目を閉じたまま手を耳につけて」私は自分の耳がどこにあるのか分からなかった・・・。その時初めて脊髄に問題があることがわかったの。

その医者にかかってからは早かった。すぐに専門医のところに行き、 神経が集中している部分に3つの損傷があるのが分かった。だから手足にまで支障をきたしていたの。5ヶ月もの間ね。そしてその専門医に診てもらってから5日後に手術することになった。

でもその5日間が私の人生にとって最悪の日々となったの。なぜならその手術をすることにより全身付随になる可能性が80%だと医者に言われた。脊髄の5ヶ月間の圧迫を取り除く手術により、反作用で脊髄が完全に破壊される可能性が高い、そしてその場合は全身付随になると。それを聞いてから手術までの5日間私は言い続けた。「もし全身付随になるなら私を殺して!」「踊れなくなるなら殺して!」と。自分の母に一生下の世話をしてもらうなんて私にはできない。「私を殺して!」と。

5日後手術は行われた。その後40日間私は、あごから胸の高さまでのギプスをして全く動けなかった。母に身体をふいてもらい、ストローで食事をした。そしてそれからの4年間、私の踊りのレベルは下がった。ものすごく。コンパスは外す、回転はできない。多くの人が気づいていなかったかもしれないけど、自分には分かっていた。そしてそんな状態の身体でどう踊るべきか、見つけるまでに4年かかった。

つらかったのはそれだけではない。他人からの言葉。手術後いろいろな人から電話がかかってきた。私には容態を聞いた後で「アデラはもう踊れない」「彼女は終わった」と吹聴する人がたくさんいたのを私は知っている。そして誰も私に仕事の話しを持ってこなくなった・・・。

医者からは「2年間は踊るな」と言われたの。踊ったら保険会社からお金をもらえなくなるから。保険会社は最終的に500万ペセタしか私に支払わなかった。アントニオ・カナーレスとの舞台に出演した私の踊りのビデオを持ち出され、それで終わり。「ほら、もう踊っているじゃないか」って。そのお金で私は大きな大きな車を買った。もし自分が事故にあってもこれだけ大きな車なら私を守ってくれると思って。

これが私の身に起きた事。過不足なく話したわ。でも私に起こったことなんて、今の日本に比べたら何でもないわ。何でもない。

【答え②】私の母には全てを語ったの。他の家族にも話していないことすら。母が全てを知っている。だから私は自分の家族のために乗り越えた。そして踊ることへの意欲。毎日「明日がある、明日がある」と思って踊った。神を信じる事。私にとっての神様は「サンタ・アンへラ」なの。重要なのは身体じゃない。だって私の身体は思うように動かなかった。ここ(自分の頭を指さす)。どう考えるかで乗り越えることができた。

そして私を助けてくれたアーティスト仲間がいる。メルチェ・エスメラルダ。彼女との公演で、私は自分の出番の後、めまいで倒れ、吐いた。踊り終わったメルチェは着替えもせず私を介抱してくれたの。ハビエル・バロン、ファルーカ。いつも電話をかけてきてくれた。そして一番はアントニオ・カナーレス。アーティストとして彼は私を助けてくれたの。彼との公演でカナーレスは「3分しか踊れないならそれでもいい。その日全く踊れないなら、ただ舞台に立てばいい。」そう言って私を彼の舞台に出演させてくれたのよ。

【答え③】今現在を生きる、ということを私は学んだ。今を生きるだけ。闘い続けること。息子を育てること。よい母になること。踊りは踊れるように踊るだけ。どんな公演をしようとか、そんなプロジェクトはない。プロジェクトのある人は私みたいな経験がない人よ。健康さえあればいい。そしてその健康は息子のため。息子が元気で将来家族を持ってくれることが私の夢なの。

【答え④】1秒で人生は変わる。過去は終わったこと。未来は不確か。今現在を十分に生きて健康でいること。落ちこんで泣いていては何も変わらない。どこかに到達することを考えること。探すのよ。悪いことは勝手にやってくるけど、よいことは探さなければならないから。

写真の中のメッセージ:「あなた達は私の心にいます」。このメッセージを書く前に、アデラはかなりの間悩んでいました。「私の人生から得たことを要約することはできないし『前に進め』なんて書けないわ。自分の子供が死んでしまった人に。私は自分が母親だから分かるのよ。子供に与えるミルクや水がない状況の人達になんて書いたらいいの・・・」

アデラが悩んでいる間に、私は今までに見た彼女の踊りを思い出していました。インタビューの中にあった、アントニオ・カナーレスとの舞台。容姿に恵まれたアデラの踊りは美しかった。でもなんだか精彩を欠いているな、と思った気がする。・・・そうか、そういうことだったのか・・・そして昨年のセビージャ・カハソル劇場での初のソロ公演のソレア。今思い出しても涙が出て来るほど素晴らしかった。多分私はあのソレアをずっと覚えているだろう。そしてついこの間のヘレス・フェスティバルでの公演。アデラの踊りはどんどんよくなっていると私は思う。以前と全然違う。そのことをアデラに話したら、「カハソルの時は調子が悪かったのよ」・・・・信じられない。あんな素晴らしいソレアを踊ったのに?「ヘレスの時はプレッシャーがあった。たくさんのアーティスト達の前で踊ったから」・・・・アデラでもそんなこと思うんだ・・・「でもね、一昨日のオランダでの公演のソレアが最高だった。私は今やっと、自分が完全復活しているのを感じる。踊りを通して語るべきことがたくさんあるのよ。」

そして最後にアデラは私に向かって言いました。「あなたはきっと苦しむ。このインタビューを続ける事によって。他人の苦しみを背負い込んで、それを伝えなくてはならないから。あなたが今苦しんでいるよりも、もっと苦しむわよ。でもあなただからこの企画を思いつくことができた。あなただからそれを実行することができた。続けなさい。そしてあなたは最終的に、たくさんのことを学ぶでしょう。今自分が思っている以上に。」

2011年3月23日 私のことまで気遣ってくれたアデラ。ありがとう。私は続けます。  セビージャにて。

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