クラスで悪い「氣」を振りまく人がいる時、どうするのか。

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今週末は残念なことに風邪を引いてしまいました。だいぶ良くなって来ましたが、本当は昨日ヘレスに行くはずだった予定がパー。昨日は17:30からペーニャ・ブエナ・ヘンテでモモ・モネオ、22:30からペーニャ・ティオ・ホセ・デ・パウラでマリア・テレモートのコンサートがあったのです。ああ、聴きたかったなあ。ヘレスのアーティストをヘレスのペーニャで、ヘレスのお客さんと一緒に聴く。こんな贅沢な週末はなかったのに・・・。ああああああ。

日本から帰ってきてすぐにペーニャ公演やクラスが始まったので、身体が疲れていたのかもしませんね。風邪でも引かないと倒れるまで突っ走ってしまう性分ですから、身体が、「おいオマエ、ちょっと待て」とブレーキをかけてくれているのでしょう。

とはいえ、脳みそは動いているもので・・・ここちょっと考えていたことをブログにしようと思います。

悪い「氣」をクラスで振りまく人がいる時。

日本のお教室のクラスだといつも生徒さんは同じメンバーだし、クルシージョで違う教室の人が集まると言っても、大体顔見知りだったりするかと思います。でもスペインのクラスは結構バラバラ。もちろんよく会う人もいるのだけど、基本的には国も文化も年齢もバラバラ。いろーんな人が集まってくる。それがいい時もあれば、うーんという時もあります。

うーん、という時。それは、この人のクラスを受ける姿勢って・・・???と思ってしまう人がクラスにいる時。自分がクラスを受けるにあたって、他の人のことは気にしないで自分のことに集中すればいいのですが、そういう人って大体感じが悪くて、その悪い「氣」みたいのを周囲に振りまいている。全然気づかない人もいると思うのだけど、私はそういう「氣」をすぐに察知してしまうタイプで、その「氣」にやられないように自分でバリアを張り巡らせたりして、そんなこんなでクラスにいるとすごく疲れてしまう。学ぶ以前に余計なエネルギーを使ってしまい、本来の学びにたどり着きにくくなってしまうのだ。

だからどんなにいい先生でも、クラスに一人そういう人がいると、クラスの雰囲気が悪くなりそのクラスではうまく学べない。まずは自分がそういう存在にならないようにするというのが第一だけど、そういう人がクラスにいたらどうするのか、それをスペインの先生達から学ぶこともある。

この間受講したとあるクラスでこんなことがあった。一人、とても悪い「氣」を飛び散らしている女の子がいた。その子がスタジオに入ってきた時、パッと見て私は、「あ、この子、マズイな」と思ったので彼女が立つ位置からなるべく離れてクラスを受けることにした。生徒側からすると、なるべくその人から離れた所でクラスを受けるしかない。近ければ近いほどその悪い「氣」を浴びてしまうから。

だからクラスでは何事もなく終わったけど、クラス終了後更衣室にて・・・。受講生数の割には狭い更衣室ということもあり、着替えていた時に肘が誰かに当たってしまった。「あ!ごめんなさい!」と言ってその人を見ると、なんとあの彼女だった・・・。彼女は立ち止まり、一歩引いて私を頭のてっぺんからつま先まで2往復くらい眺めた後、私を睨みつけて、うん、と頷いて無言で去ってしまった・・・。

関わりを持ちたくないので、私の方はなんにも言わなかったけど、一体どういう教育を受けたらこういう人間が育つのだろう、と疑問に思ってしまった。後から別のクラスメートに聞いた話によると、先生が説明している時にサパテアードの練習をカタカタやっていた彼女に注意したところ、彼女は「私には母親は一人で十分間に合ってる」(要するに、お前から注意をされる筋合いはない、ということ)と言ってきたらしい・・・。こりゃー筋金入りだわ。

次の日。何の因果か、彼女の斜めうしろに立つ事になってしまった・・・。彼女は踊りは下手ではない。でもすごい走る。走るというのは、ちゃんとしたリズムよりもどんどん早くなっていくこと。ちゃんとしたリズムを保てない。先生も彼女に注意しているのだか、聞く耳持たず?走り続ける。その走り続けるリズムが耳に入りりつつ、正しいリズムを保つというのは至難の技でもあるのだが、実際、自分が踊る時にそういう状況もなきにしもあらずなので(パルマが走ったりする中で踊らなくちゃいけないとか)それも自分の修練のうち。(と思うしかない)

その次の日。先生が「一列目は列を揃えて」と言う。例の彼女は一列目に入るのだが、彼女だけちょっと飛び出て後ろにいる。先生がまた同じことを言うが、彼女は動かない。何回かその繰り返しがあり、先生が今度は名指しでその彼女に列を揃えてと言った。すると彼女は「¿Como?」(コモ?)とほぼ口答え。¿Como?という表現は、え、何?という感じで自分が聞き逃してしまった時などに使う表現。でも声のトーンによっては、「何だと?もういっぺん言ってみろ」くらいのキツイ表現にもなる。彼女の声のトーンは後者で、それには萩原だけでなくクラス中が凍りついてしまった・・・。先生は冷静に「あなたよ、一列に揃えなさい」と言って、彼女を一列に揃えさせる。不穏な空気。

そのまた翌日。先生が「一列目はもっと前にいって」という。一列目に陣取りたい人達というのは必ず一列目にいるのだが、鏡の中の自分がよく見えるようにするためか後ろに下がる人が多い。そうするとその後列の人達の踊るスペースがなくなってしまうので、一列目の人というのはクラス全体を見て立ち位置を決める必要がある。まあ、それを生徒同士で調整できればいいのだが、それができない場合上記のように先生が指示を出すことになる。例によって彼女は動かない。また何回か先生とのやりとりがあって、やっと半歩だけ前に出た彼女。(でも、その後しばらくしてからまた一人後ろに下がっていたのを萩原は見逃さなかったぞ)その後、やっぱり彼女はガンガン走り出して、先生は彼女の目の前まで言って彼女に言った。「あなた、走っているからもっと落ち着いて」ところが、彼女は先生から顔を背けている。先生は「私が話している時は私の目を見て」。(日本では文化的に相手の目を見て話すということがあまりないかもしれないけど、スペインでは人の目を見て話す、聞くというのは当たり前、それがないと誠意や信用に関わります)彼女は顔を背けたまま言う「No.」。教室全体シーン。。。。「私の目を見て私の話を聞くことができないのね?」先生の問いに、彼女はやはり顔を背けたまま「できません」。その途端先生は鋭く言う。

「私の目を見て私の話を聞けないのなら、教室から出て行きなさい、今すぐに」

その時初めて彼女は顔を上げて言った。

「¿Como?」(この時の¿コモ?は前日の¿コモ?とは全くトーンが異なり、本当に状況が読めずにえ?っとびっくりした感じだった)

先生は

「クラスから出て行きなさい。お金は返すから、今日の分と昨日の分を」

と鉄拳!!!

彼女がどういう顔をしていたのかは見えなかったけど、真正面を見たまま、スタスタ去っていった。

私の中では想定していなかった展開だったので、びっくり、目玉まん丸になってしまった。先生はクラス全体に向かって「私は誰から責められるようなことはしていません。はい、クラスを続けますよー!」と普通にクラスに戻っていました。

うーん、すごいな。この状況でさっと元の通りのクラスに戻したその先生はすごい。先生だって人間だもの、心の中で相当なわだかまりや、敬意のない生徒に対する怒りというのだってあるんだと思う。でもそれを引きずらずに、パッと切り替えて何事もなかったかのようにクラスに戻る。すごい。

そこでふと思う。こういう先生は日本では「こわい」と言われてしまうのだろうか?その先生に限らず、先生がクラス中に生徒を外に出させた場面に出くわした事はセビージャで何回かある。いずれの場合もやはり生徒の方に問題がある、と私から見てもそう思えた時だ。生徒は先生を選べるけど先生は生徒を選べない、そんなことを日本でよく聞くけれど、そこら辺ビシッとしている先生はいらっしゃる。その時の感情によって生徒を追い出すのではなくて、またその生徒と先生の関係だけを見るのでもなくて、先生はクラス全体の先生でもあるわけだから、クラス全体に悪影響を及ぼす人にはクラスにいてもらっては困る、ということになる。またその生徒がその先生に悪影響を及ぼす場合も同様だ。それによって二次被害的にクラスの雰囲気が悪くなれば、他の生徒達がきちんと学べなくなる。そういうことも考えた上でのことなのだろう。

教えるっていろんな責任が伴う。

日本だと個別に話し合って「辞めてもらう」という形をとることが多いのかな?そういう方が日本の文化や習慣に合っているのかもしれない。いずれにせよ先生にはいろんな責任が伴うから、ただ教えればいいってもんじゃない。そういうのも含めていいクラスができるかできないかはその先生の手腕だし、それは単なる教授法にとどまらず、先生の人格にも関わっていると思う。

生徒としてクラスを受ける時の姿勢、そして教える側としてどういう姿勢でいるべきか色々考えさせられた「事件」でもあった。

2017年10月8日 セビージャにて。

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