フェルナンド・ロメーロ先生のお言葉

Captura de pantalla 2016-04-02 a la(s) 12.19.24みなさんこんばんは。お元気でお過ごしでしょうか。

ああ、フェルナンド・ロメーロ先生がお亡くなりになってしまったそうです・・・。

フラメンコを踊るということは何なのか、何が重要なことなのか、何を生徒に教えるべきなのか、それを私のような人間に一つ一つ説明して下さったフェルナンド先生。あれから先生の教えは私の教授活動の礎になっています。

その時にお話頂いた内容の一部を、雑誌「パセオフラメンコ」2016年3月号「萩原淳子のマエストロ達に聴く 第6回フェルナンド・ロメーロ」に執筆させて頂きました。6回の連載企画でフェルナンド先生へのインタビューが最終回となりました。

以下、先生のお言葉を抜粋します。

「世の中たくさんの人が踊っている。しかし本当に踊れている人は少ない。そしてそれを説明できる人はもっと少ない。」

「踊りとはまずブラッソ、マノ、頭、全てをきちんとしたポジションに置くことから始まる。多くの生徒が、そして〝先生〟と呼ばれる人すらそれができていない」

「しかしフラメンコを踊るということは、ポジションの中からポジションを崩すことなんだ。そこが他の舞踊と大きく異なるところ。なぜならフラメンコとは感情の芸術だから。それを表現することだから。残念ながら現代、それを見つけるのは難しい。舞踊技術は上がったけれど、皆複雑なものを追いかけているにすぎない。1つのパソで済むところをなぜ10個も入れようとするのか。フラメンコの魂はどこへ行ってしまったのか」

「女性は女性であることを忘れてしまった。もちろん女性らしさというのは官能的に柔らかいだけではなく、時には強さもあるけれどね。そしてどの踊り手も皆同じ。昔の踊り手は個性があり、皆それぞれ素晴らしかった。グイート、ファルーコ、マティルデ・コラル、メルチェ・エスメラルダ。現代の男は男で、皆ファルキートと同じパソをするね。でも下手。誰もファルキートには及ばない。若い時にはもてはやされるかもしれないけれど、若さが終わればそれで終わり。流行と一緒」

「人に伝えられるか伝えられないか、その違い。でもね、よく〝中から出せ〟とか〝感じて踊れ〟と言う先生がいるけれど、私は質問したい。どうやって? 手を口の中に突っ込んで何かを取り出せとでも言うのかな? どうやったら感じられるのかな?」

「フラメンコを踊る時の感情というのは、唯一、聴くことから涌き起こってくる。だからカンテの意味を理解しなければならないんだよ。君は意味を分かって踊っているのかな」

「スペイン語を話し、アンダルシアに住むこの土地の人の方がフラメンコを踊れると思ったら大間違い。彼らはアンダルシアの雰囲気の中で生きているだけ。フラメンコというのは一つの生き方なんだ。〝Pureza〟(プレッサ、純粋さ)と言うだろう。でもそれは何なのかと私は問いたい。フラメンコを踊るために必要なのは、テクニカとコンパス、カンテとギターへの理解なんだ。そして人に何かを伝えるためには、手段としての表現方法も学ばなくてはならない。踊るということがどういうことなのか知りなさい。きちんと自分で自分の身体をコントロールできるようになること。そうすれば自分自身を信じることができる。手段としての表現能力はそれからだ」

「現代のアカデミアでは羊頭を掲げ狗肉を売っている。たくさんの先生が何も知らずに教えているんだ。舞踊教師になるということは、ブレリアのパタイータを持っていることでも、アレグリアスの振付をすることでもない。先生は生徒にきちんと説明できなければ。一人一人の間違いを正す。生徒が理解できるように噛み砕く。パソを教えるにしてもどこに重心があるのか、その時顔の向きはどこなのか、立ち止まって教える必要があるんだよ。そしてそれを自分でやってみせること」

「皆自分が儲けることだけを考えている。もちろん生きてゆくには必要なことだよ。でも正直にお金を稼がなくては。自分の職業に責任を持ちなさい。フラメンコを守りなさい。そのためには死ぬまで学び続けること。そうすれば何が正しいか時間と共に分かるようになるでしょう」

あの時、じっと私の目を見つめながらお話して下さった先生を私は忘れない。

先生の教えを私は伝え続ける。だから、そして、学び続ける。

泣いている場合じゃない。

写真:アントニオ・ペレス

2018年1月24日

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