「マノロ・マリンへのオメナへ公演」写真がレブリーハのフラメンコHPに掲載

Cartel-Tacón-Flamenco-2018tacon09みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

3月3日に開催された「マノロ・マリンへのオメナへ公演」の写真(アントニオ・ペレス撮影)がレブリーハのフラメンコHPに掲載されました。素晴らしい写真の数々です。どうぞご覧下さい!

http://www.lebrijaflamenca.com/2018/03/vi-edicion-del-tacon-flamenco-de-utrera_homenaje-al-bailaor-sevillano-manolo-marin/

ちなみに、私も公演主催者のご厚意により、フィン・デ・フィエスタに出演させて頂きました。マノロ・マリンに師事したそうそうたるアーティスト達の中、実は私はマノロにほとんど師事していませんでした。私がセビージャに留学した2002年当初から数年はトロンボにずっと師事していたためです。時を同じくしてマノロはご自身の学校での教授活動を引退され、マヌエル・ベタンソスに引き継がれました。結局私がマノロに師事できたのは昨年の、マヌエル・ベタンソス学校で開催されたマノロ・マリンのクルシージョだけだったのです。それでもマノロ先生は私に温かく接してくださいました。

フラメンコ界って、誰に習っているか習っていないかで派閥のようなものができてしまったりしますね。できるというより、そういう見えない壁みたいのを作ってしまう人達がいる・・・。自分と同じ先生に習っている人はお友達で、そうでない人とは一線を引いてしまう人。その先生に習っている(もしくは習った)自分はエラくて(もしくはフラメンコをわかっていて)そうでない人を内心バカにする人とか。

悲しいですね。

でもフラメンコってもっと大きなものだと思うのです。好みの違いでフラメンコを分けることはできないと思うのです。偉大なアーティスト、真の先生というのはそういう分け隔てをしないのではないでしょうか。長年たくさんのアーティストに接してきて実感することでもあります。

だからほとんど師事していなかった私のような人間にもフィン・デ・フィエスタに参加させて下さり、「君も踊れ」とお声をかけて下さったマノロ先生には感謝しています。ありがとうございました。

愛好家やプロではないヒターノ達のプライベートなフィエスタに参加することは結構ありますが、逆に、今回のように著名アーティスト達が集合した舞台上のフィン・デ・フィエスタに参加させて頂いたのは初めてかもしれません。ああいう時にその人の人間性が出るんですね。「私は踊らないから、ジュンコ踊りなさい」と何回も背中を押してくれたアデラ・カンパージョ。率先して目立たない場所にそっと立っていたイニエスタ・コルテス。私の隣でニコニコ笑いかけてくれながらパルマを叩いていたマヌエラ・バルガス。自分が踊り終わった後に私の目の前にでーんと立ちふさがり知らんふりしていた、とある踊り手。(別にいいけど。笑)楽屋入りした時には「えー私は踊らないわよー」ってやる気なさそうにしていたのに、コートを脱いだら下の服装はバリバリ準備してきました!って感じの踊り手。(舞台上の踊りもそうだった。笑)自分が出る瞬間を虎視眈々と狙いつつ、フィン・デ・フィエスタ中位置を移動し、最後に美味しいところをかっさらっていった踊り手もいたし。(うまいなー。笑)間が悪かったり、長々踊っている人がいると「はい、引っ込みましょう、さよならー」とこっそりヤジを耳打ちしてきた人もいました。(笑)

結局私は踊りませんでした。あの日は実は本当に疲れていました。3月1日に出演した林結花さんとの公演の翌日2日にヘレスに移動し、その翌日3日は朝8:30集合でヘレスの舞台のリハーサル。お昼ご飯を急いで食べて、電車に乗りヘレスからウトレーラまでまた移動。本当に疲れ果てていて、このhomenaje公演に行くのを迷ったくらい・・・。でもチラシに名前を載せて頂いているし、やはり行かなくては!というわけでウトレーラ入りしました。実際、舞台の上に乗ってしまえばそんな疲れは吹っ飛んでしまうのですが、そうそうたるアーティスト達がいらっしゃったし、元々、その場で一緒にパルマを叩かせて頂くだけでも光栄ですから、踊りたいと言う気持ちはそれ程ありませんでした。せっかくの機会なので、自分が踊る云々よりもその場を楽しめたらいいなという感じ。そして想像していた以上に、このフィン・デ・フィエスタ内の人間模様、人間観察が面白かったかな。(笑)自分が踊るよりよっぽど。

なかなかいい経験経験をさせて頂きました。ありがとうございました!

2018年3月8日 ヘレスにて。

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