ディアリオ・デ・セビージャ紙のインタビュー記事 日本語訳!

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みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか?

早速ですが、本日ディアリオ・デ・セビージャ紙にインタビュー記事が掲載されたとのことです。今日本にいますので実物は拝見していませんが、デジタル版で読めるとインタビュアーの方が教えてくださいました。

こちら→https://www.diariodesevilla.es/entrevistas/flamenco-atrae-japones-contraste-cultural_0_1264674151.html

スペイン語のお分かりになる方は上記クリックして頂きお読みください。分からないよー、という方のために以下自分で翻訳してみます。(笑)

インタビュー:クリスティーナ・ディアス、写真:ベレン・バルガス

質問:あなたのような日本人女性がどのようにしてセビージャで踊るようになったのですか?

回答:初めてフラメンコギターを聞いた時にフラメンコに恋をしました。テレビで新体操の試合を見ていた時です。当時私は14歳か15歳でした。スペイン人選手がフラメンコギターの音楽で演技をしていたんです。それを聞いて感動しました。その時初めてフラメンコという言葉を知ったのです。

質問:フラメンコとは何なのか知らなかったのですか?

回答:いいえ。一度もフラメンコに関して耳にしたことがありませんでした。スペイン人選手の演技が終わった後、母に聞いたんです。「フラメンコって何?」母はこう答えました。「スペインの踊りで女の人が長いスカートを履いてるのよ、足首までの。」そして私は思ったんです。「私、それをやりたい」当時私は新体操を習っていました。レオタード姿で脚を見せるのがすごく恥ずかしくて・・・だから長いスカートならいける、と。それからレンタルCD屋さんに行きました。フラメンコのCDを借りたんです、あの時代はYoutubeがなかったから。すごく怖かったです、初めてカンテを聞いた時は。全く理解できなくて、痛みや苦しみを歌から感じました。

質問:どこでバイレ(フラメンコの踊り)を習ったのですか?

回答:大学のフラメンコサークルで、です。大学では教育学を学びました。そのサークルでは毎週レッスンがあり、ライブなども開催していました。その後都内のたくさんのフラメンコ教室に通いました。 (註:下線部は勝手に付け加えられました。笑。正しくはAMIさんのクルシージョに通っていました。)

質問:なぜ全てを置いてスペインに来ることにしたのですか?

回答:日本では7年間フラメンコを学びました。特にたくさんのテクニカ(技術)を。でも自分には何かが足りないと感じていました。フラメンコとは人生の生き方であり、文化です。アンダルシアではどのように生きているのかを知る必要があると感じたのです。フラメンコへの理解を深めるために。

質問:教育者としての仕事を辞めて何千キロと離れた場所へ行くことを、あなたのご家族はどう捉えたのですか?

回答:私の父はよくは捉えませんでした。父に「フラメンコを学びにスペインに行く」と言った時、父は怒鳴り出しました。それから3ヶ月間私とは一切しゃべらなかったし、母ともしゃべりませんでした。なぜなら母はそのことをもっと前に知っていたのに父には何も言っていなかったからです。父は母の作る料理も食べなかったんです。あの3ヶ月間、家は冷戦状態でした。(笑)そしてとうとう飛行機に乗るという最後の日に父は私に言ったんです。「萩原家に青い目の男はいらない!」父にとって、青い目というのは外国人のことでした。

質問:で、あなたはその通りにしたのですか?

回答:いいえ、スペイン人と結婚しました。タリファ出身の人です。でも目は青くないです。

質問:最初にアンダルシアでびっくりしたことは?

回答:アンダルシアの文化は日本のそれと全く異なっていました。私は2002年に着いたのですが、当時はそれほどインターネットが普及していなかったということもあり、私はセビージャについて何も知りませんでした。白い家が並ぶ小さな村だと思っていたんです。全然違いましたね。それから、最初は皆が喧嘩しているかと思っていました。早口だし、強い口調で同時にしゃべるから。日本ではそれほど喋らないし、会話が落ち着いています。

質問:スペインにおいて、あなたに影響を及ぼした先生は?

回答:たくさんの先生方です。素晴らしいアーティスト達に師事してきました。スペインに来た当初はホセ・ガルバン、トロンボ、ミラグロス・メンヒバル、イスラエル・ガルバン。(註:イスラエル・ガルバンなんて、一言も言っていないのですが、付け加えられました。笑。ただ今考えるとイスラエルにはそれ程習っていませんが、確かに影響を受けています。)そして最近ではヘレスのアナ・マリア・ロペスです。

質問:フラメンコを踊る時に何を感じますか?

回答:私は自分が踊る時にギターの音と歌が自分の体の中に入るのを感じます。耳からだけではないんです。肌からそして自分の細胞一つ一つにそれらが届くことを感じます。不思議な、そして普通とは異なる感覚です。

質問:何の曲種が踊りやすいですか?(註:実際は、何の曲種を踊るのが好きですか?と聞かれました。)

回答:私はソレアを踊るのが大好きです。これまでソレアをたくさん踊ってきました。だからソレアを踊る時にたくさんの思い出が頭をよぎるんです。いいことも悪いことも。

質問:なぜフラメンコはあなたの国の人達に愛されるのだと思いますか?

回答:それは日本の文化と対照的だからだと思います。フラメンコにおいてとても重要なことは「Trasmitir(伝えること)」。感じることを外に出さなくてはいけません。でも日本の文化において感じたことをそのまま人前で表現することはあまりよく思われない、行儀が悪いとも思われるんです。私は小さい頃から人前では泣くな、笑うな、怒るな、と教えられました。

質問:今週日本へのツアーに行きますね。どのくらいの期間ですか?(註:インタビューは先週の月曜に行われました。)

回答;はい、今週日本に行きます。2ヶ月滞在します。東京・福岡・大阪にてクルシージョを開講します。またライブやフェスティバルへも出演予定です。もちろん家族にも会います。

質問:将来の目標は?

質問:自分自身の公演をスペインで開催したいです。日本ではすでに公演を行いましたがスペインではまだです。それは私にとって重要なことなんです。(註:言ってません。)そしてもう一つは私は教育者として(註:自分が教育者とは言ってません。)フラメンコの教えを障がいを持つ人達や子どもたち、年配の方々に伝えたいと思っています。そのような教育学のクラスをホセ・ガランから学びました。将来的にそのような教授活動も行いたいですね。

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以上です!

訳すのって大変ですね!

というわけで今日はおしまい。

ではまたお会いしましょう!

※写真はセビージャのお友達が送ってくれました。ありがとう!

2018年7月19日 日本にて。

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