「ラベリント」ライブ、お陰様で無事終了!&「フラメンコ、あるある①〜⑧」

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お陰様で昨晩のラベリントでのライブは無事終了しました。ありがとうございました!セビージャは日曜に夏時間から冬時間に変わり、一挙に寒くなりました。特に昨晩は本当に寒くて・・・厚手のセーターやコートをひっぱり出し、それでも出かけるのが億劫になるくらい・・・自分が踊るから出かけましたが、もしお客さんだったら外に出ないだろうなあ、しかも22:30開演だし・・・。(笑)そんな中お越し下さいましたお客様、本当にありがとうございます!とても嬉しかったです!

共演のエウヘニオとガジもありがとう!

セビージャでの普段のライブの時には通常、事前の合わせはしないのですが、今回のライブに向けてエウヘニオが新しいファルセータ(ギターのメロディ部分)を作曲しているから本番前に少し合わせよう!と本人に言われました。そんなわけで少し早めに待ち合わせしたのですが、なんだかんだで本人が遅刻。「フラメンコ、あるある①」

結局、作曲中のファルセータはまだ本人の納得がいかないらしく、今までのファルセータを弾くとのこと。なんだ、だったら早く来なくてよかったんじゃん、と内心思ったけど(笑)、まあエウヘニオと仕事するのは久しぶりだし、1曲目に踊るアレグリアスのファルセータを聴かせてもらう。おおおお、やっぱりエウヘニオのギターはいいんだよね、音に惹きこまれる。身体がすっと反応するというか、音に導き出されるというか。合わせようと思わなくてもすっと、さっと溶け込んでしまう。いいねー。

そんなこんなしているうちにガジも到着。あっという間に本番。ガジには何踊るの?と聞かれ「1曲目アレグリアス、2曲目ソレア」と伝えて、構成を言おうとしたら、「じゃ、君についていくから」。とのこと。そうだよね・・・構成を伝えた所でその通りになるわけでなし。これがセビージャのライブの面白い所かな?日本だとタブラオでも事前に必ず構成(踊りの流れ)を説明するし、ギタリストも歌い手もその構成を紙に書いて見ながら弾いたり、歌ったり。間違わないようにという責任感からなんだろうけど、そもそも間違いとはなんぞや?踊り手が考えている(練習してきた)構成というのが絶対正しくて、歌もギターもその通り遂行しなくてはならない、だからその通りにならないとそれは間違い、そういう考え方が根本にあるんだろうなあ。

ちなみに昨晩のアレグリアスは、事前にファルセータの部分だけエウヘニオと決めていたにもかかわらず、全然違うファルセータを弾かれるという・・・・。何のために合わせたんじゃ!やはり事前に合わせてもあまり意味がないということなんですね(笑)「フラメンコ、あるある②」

でもエウヘニオもガジもやはり一流だから、こちらがやろうとすることを、しっかりすくい取ってくれる。ただ弾くのがうまい、歌うのがうまいというだけでなく、こちらの意図と合図を瞬間的な反応でキャッチしてくれる。事前の合わせなしで、その場で急にことが起きたとしても対処可能。もちろん藪から棒に素っ頓狂な事をやっているわけでなく、ちゃんと意味があって、それがわかるようにこちらでやっているという前提があるのだけど。そこがまたセビージャでのライブの面白い所かな。

問題は2部のソレア。エスコビージャ(足を打つ部分)でこちらが考えている音の取り方とは全然違う取り方で弾いてきた・・・がーん。ソレアのエスコビージャはここ10年以上、ほぼ原型を保ったままやっている。どう考えても問題ないのだけど、過去に1度だけギタリストが音が拾えない時があった。しばらくギター無音・・・そしてやっと弾き始めたと思ったら、とんでもないテンポで弾き始めて、あの時は本当に頭真っ白、泣きそうだった。あれはもう10年くらい前。踊り終わった後、すごく落ち込んでいたら、その時にいた歌い手のルビオ・デ・プルーナに「ジュンコ、今の時代、君のようなソレアのエスコビージャをやる人はいない。だからギタリストが拾えなかったんだ。でも絶対に変えるな。それを守るんだ、君のエスコビージャがソレアの伝統だから、誰かがその伝統を守り続けなくてはならない、だから絶対に変えるな」と言われたんだ。それから10年以上バカ正直に私はそのまま続けているわけなのだけど(笑)、あの悪夢がまた起きてしまった・・・昨晩。そういうこともあるんだ、プロでも。なぜなら私たちは人間だから。→「フラメンコ、あるある③」

その後、さすがに頭真っ白にはならなかったけど、一体このソレアはどうなるのー?!という感じで、なんとか収拾をつけるのに四苦八苦。ソレアはどう踊っても私の踊り、萩原といえばソレア、ジュンコといえばソレアなのに、昨晩はあららら・・・。得意な踊りがいつもいいとは限らない。こんな夜もある・・・。→「フラメンコ、あるある④」

なんとか切り抜けて(多分。笑)ソレア終了。フィン・デ・フィエスタはお客さんとして来てくれたAさんとMちゃんに飛び入り参加してもらい、めでたし、めでたし。AさんとMちゃんからは、ソレアがそんなことになっていたとは全然分からなかった!と。ひえー、あれだけ四苦八苦してたのに。(笑)なんとかバレずに済んだのは、この10年間で面の皮が厚くなったからか。(笑)でも、それも重要。舞台の上では何が起きるか分からない。しかし動揺して一番目立つのは、前に立っている踊り手。たとえ踊り手が間違ってなかったとしても。(笑)→「フラメンコ、あるある⑤」

ライブの後は見にきてくれたSちゃんが反省会に付き合ってくれた(ありがとう!)。あれはどのように切り抜ければよかったのかと、いろいろ意見交換をしていると、ああ、ああすればよかった、こうすればよかった、と・・・。さらには、ちょっと待て、そういえばあの部分も、この部分も・・・。と次から次へと反省材料が湧いてくる・・・・。そして改めてガビーン。→「フラメンコ、あるある⑥」

そんなこんなで、いろいろな意味で勉強になったライブだった。

本番では即興ばかりになってしまったけど、実はこのライブに向けて、これまで何万回と踊ってきたアレグリアスとソレアの振付を数年ぶりに見直したのだ、実は。なんというか、自分の中でアレグリアスとソレアがルーティーンのようになってきているような気がしていて、それじゃダメだと。私は常に挑戦し、ぶつかり、脱皮しなくてはならない。その場に留まって淀んではならない。

そうやって準備してきたものが全て昨晩のライブに出たか、というとそうではないのだけど、(本番とは練習の半分くらいの実力しか出ないもの。→「フラメンコ、あるある⑦」)それでも自分なりに準備してきたことは、何らかの形で自分の身体に残っていると思う。そして即興という場において、そこで出てくるものがやはり本当の意味で自分のものだし、そこで出てこないのはやはり付け焼刃か、もしくは不必要なものなのかもしれない。不必要なものは削除して、付け焼刃は、本番何が起ころうとそれがちゃんと「手裏剣」になるように準備しておかないとね。シャシャシャー(→手裏剣の音。笑)

最後に、写真は1部アレグリアスの時のもの。夫、アントニオ・ペレス撮影です。2部のソレアの写真がないのは1部の後の休憩中にアントニオが外で電話をしていたら、ドアを閉められてしまって2部は中に入れなかったとのこと。(笑)いずれにせよ、いつも写真を撮ってくれてありがとう。

というわけでまた明日からがんばろー!

・・・これだからフラメンコはやめられない。(笑)→「フラメンコ、あるある⑧」

2018年10月31日 今日も雨で衣装の洗濯ができない・・・セビージャにて。

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