7/15(月)レブリーハのフェスティバル「カラコラ」に出演! レブリーハと私の10年。

Unknown
みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

久しぶりのブログ更新です。色々なことがあって、あれもこれもブログにしようと思っているうちに時間だけが過ぎてしまいました・・・。いろいろあったのですが、とりあえず今日は以下お知らせ&ブログです。

レブリーハの夏のフェスティバル「カラコラ」に出演させて頂くことになりました。歴史あるアンダルシアのフェスティバル「カラコラ」。びっくりするようなアーティスト達がずらりとプログラム(以下、http://www.lacaracolalebrijana.es/programa-oficial.html 掲載分を日本語訳)に名を連ねる中、7/15(月)に踊らせて頂きます。

  • 7/11(木)アナベル・バレンシア
  • 7/12(金)フアン・フアネーロ
  • 7/12(金)フアンフラン・カラスコ
  • 7/13(土)ヘスス・メンデス、ディエゴ・デル・モラオ、ファルー
  • 7/15(月)萩原淳子
  • 7/16(火)ルイス・デ・レブリーハ
  • 7/17(水)アンダルシア舞踊団
  • 7/18(木)マリア・ホセ・カラスコ
  • 7/18(木)イネス・バカン
  • 7/18(木)ルイス・デ・マレーナ
  • 7/19(金)マヌエル・デ・パウラ
  • 7/19(金)エル・プリリ
  • 7/20(土)マリア・テレモート
  • 7/20(土)ペドロ・エル・グラナイーノ
  • 7/20(土)ホセ・デ・ラ・トマサ
  • 7/20(土)フアナ・アマジャ

56563269_10157174174426228_8189035008787218432_nDSC_3086DSC_3080先週の金曜はセビージャで「カラコラ」のプログラム発表と記者会見があったので出席させて頂きました。上記のアーティスト全員が出席したわけではありませんでしたが、そうそうたるアーティスト達が続々と会場入りし、挨拶するだけで緊張。そしてフェスティバルのポスターの前で撮るあの、おなじみの集合写真撮影。今まで自分が散々SNSで見ててすごいなーって思ってた中に、今度は自分が入っちゃう??こわーいよー。緊張で顔が固まってました。(涙)

ちなみにこの集合写真、やはり人間性が出るなって思った。(笑)このブログにアップしている写真(一番上)は何回目かに撮り直したものなのですが、その何回かの間にいろいろ(笑)。私を押しのけてまで前に立ったアーティスト(笑)、端っこの方からいつの間にかしゃしゃしゃーって移動して中央に陣取った人(笑)。緊張している割にはそういう所はちゃっかりチェックしている私。それも人間性か(笑)。

いろいろな人間模様が絡み合う記者会見ではありましたが(笑)、嬉しかったことがありました。レブリーハで初めて踊らせて頂いたのは10年前のペーニャ公演なのですが、その当時のペーニャの会長さんもこの記者会見にいらっしゃいました。その元会長さんがお声をかけて下さり、10年前なぜ私をペーニャ公演に起用して下さったのかを教えて下さったのです。

10年前といえば、私はまだ駆け出しの無名な踊り手で(今もそうですけど、10年前はもっと。)しかも10年前は外国人がペーニャで踊るなんてことはほとんどなかった時代です。でも当時の私の踊りをどこかで観てくださっていたフラメンコ批評家のマヌエル・マルティンがペーニャ公演に私を呼べ、と強く勧めて下さったそうです。

元会長さんはびっくりしたし、ペーニャ会員達も誰それ?日本人?みたいな薄ーい反応だったらしいのですが、マヌエル・マルティンの言葉を信じ、私をペーニャ公演に呼んで下さったのだそうです。そして元会長さんはおっしゃっていました。「マヌエルの言葉は正解だった。10年経って君はカラコラで踊るアーティストに成長したのだから」

10年前にそんないきさつがあったなんて・・・。この10年間、私の成長を見守って下さっていた元会長さん。本当にありがたいです。そしてマヌエル・マルティン。時々劇場などでお見かけすることはありますが、そんなことがあったとはつゆ知らず、ただ「Hola」って挨拶するくらいでした。今度お会いする時にはちゃんとお礼を言おう。もしかしたら10年前のことは覚えていらっしゃらないかもしれないけど・・・。でも言おう。

私、思うんです。自分が踊り手としてここで活動してゆくこと、少しずつでも成長してゆけるのは、それを支えてくれる人達がいらっしゃるからだ、と。もちろん私にはスポンサーもファンクラブもない。マネージャーだってプロダクションだってない。私は自営業者としてちょびちょび一人活動しているわけなのですが、長い年月の中で、いろいろな所でいろいろな人達に支えられているだなあ、と。

もちろん日本人がスペインで踊ることに対して偏見や反感を持つ人もいます。(残念ながらスペイン人だけでなく同じ日本人の中でも。)それは人種差別的な考え方からなのかもしれないし、仕事を奪われるという不安からくるものかもしれない。もしくは単なる嫉妬かもしれない。その人達にはその人達なりの理由があるのでしょうが、それが私にとって見えるような見えないような壁となって立ちはだかっているのは否めない・・・。でもそんな人ばかりでなく、私利私欲を抜きにして純粋にフラメンコを愛し、その愛情(「Afición」 アフィシオンって言いますね)から私を支えてくれる人達もいらっしゃる。それは本当に本当に感謝すべきことなんだと。

そして、踊り手としての側面だけでなく、一人の人間、一人のアフィシオナーダ(Aficionada フラメンコ愛好家)としての側面からもそれは感じます。ここ数年レブリーハでのフィエスタやサンボンバなどに参加させて頂いているのですが、そこで感じるフラメンコは「商業フラメンコ」とは真逆の、家族の中で受け継がれてきた、受け継がれてゆくレブリーハのヒターノ達のフラメンコ。

フラメンコの源流を受け継ぐ「家族」というルーツを持たない外国人としての自分。そして「商業フラメンコ」の世界に大なり小なり属している自分。属せざるをえない自分。(でないと食べて行けないから・・・)そんな自分が彼らの中に一時でも混ぜて頂けるのは誰もが経験できるわけではない、貴重な経験。信じられない程嬉しい反面、すごく複雑な気分にもなります。彼らとの時間が過ぎて現実の世界に戻る自分にげんなりしたり、なかなか現実の世界を受け入れられなかったり、でもいつの間にかすんなり受け入れている自分に気づいてそんな自分にまたげんなりしたり・・・。でもレブリーハのヒターノ家族の皆さんは、そんな私でも暖かく迎え入れて下さった・・・。

だから、これまでの10年間、そしてそんなレブリーハの皆さんに恩返しできるような踊りをしたい。本当はなんだかまだ信じられないけど・・・自分を信じよう。

DSC_3090そして先述の記者会見の午後、レブリーハに行ってきました。7/15(月)に踊る場所はどこかなって探してみたら・・・なんとそこは、お友達の家からセントロ(町の中心地)まで行く途中にある、いつも何気なく通りすぎていた広場だったんです。(写真左)

人生って不思議。でも何かがどこかで繋がっているのかもしれない。そして時間が経たないと分からないってこともあるのかもしれない。

だから答えを急いじゃいけないのかもね。特にフラメンコは。

写真:アントニオ・ペレス

2019年4月1日 帰ってきたセビージャにて。

Comments are closed.