ヒターノ居住区エル・バシエのヒターナ達による演劇「ベルナルダ・アルバの家」

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは少し肌寒くなってきたような気がします。夜は温かいものが食べたいなと思ってうどんを用意していたら、夫アントニオが俺も作る!と言い出し、作ってくれたのがムール貝とアボガドとルッコラのサラダ。さらに赤ワインまで開けている。それらをうどんと一緒に食べるのか?!と本気で心配したのですが、夫は平気な顔をして全部食べてました。(笑)なので、私も(笑)。うどんと赤ワインの組み合わせって一体・・・・ご興味のある方はどうぞお試しください。(笑)

73364279_1781914431939926_5665007158425550848_oDSC_3977DSC_4055DSC_4122前置きが長くなりましたが、一昨日セビージャ郊外のヒターノ居住区「エル・バシエ」に実際に住むヒターナ達が演じる「ベルナルダ・アルバの家」を観てきました。この演劇を観るのは2回目。本当に素晴らしい、大好きなんです。

非識字者の彼女達がセリフも演技も全くのゼロから学び、女優として舞台に立ち、スペイン国内外で様々な演劇賞を総ナメにしてきました。

なんなんだろう、彼女達のあの存在感。
プロの女優が持っていない何か。
演技力という言葉では測れない何か。
それらが舞台を客席を、全ての劇場空間を渦巻いている。
また観たい。何度でも観たい。

そんな興奮を今回も味あわせて頂きました。

※この劇の一部を動画でもご覧頂けます。→TNT El Vacie – La Casa de Bernarda Alba

ちなみにスペインの著名な女優、ヌリア・エスペルトはこの演劇を観て、母親役のロシオ・モンテーロにこう言ったそうです。

「私はベルナルダを演じる。でもあなたはベルナルダそのものなのよ

そういうことなのか。

真実であること。

演じているのではなく、舞台で行われていることが実際の彼女達の生活や人生観と密接に結びついていること。演技だけど、演技ではないということ。

真実にかなうものはない。

もちろん実力のある素晴らしい役者の演技というのも心を打つ。

「迫真の演技」なんて表現もある。

でも、「迫真」って「真実に迫っている」ということ。

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そんなことを思いながら、自分のフラメンコのことも考えてみた。

私達外国人にとってフラメンコが自分達の文化でない以上、それを踊るのはある意味、「演技」みたいなものなのかな。演技とわかっていて、どれだけ「フラメンコの真実」に迫れるか、そういうことなのかな。もちろん外国人だけではない、スペイン人だって、ただ踊りを習って踊っているだけだったらその文化を持っていない、その文化に生きていないのと同じ。上手にカッコよく、それっぽく踊れるかもしれないけど、何かが伝わってこないのはその「真実」がないから何じゃないか。

「フラメンコの真実」ってなんだろう。

それはヒターノ達が持っているもの、だけ、なんだろうか。

確かにヒターノ達だからこそ持っているもの、彼らでなければ持っていないものもある。

だからと言って、それを真似してあたかも持っているような演技(踊り)をすることが「フラメンコの真実」に迫ることとは思えない。それはただの猿マネ。

「フラメンコの真実」ってなんだろう。

自分が彼らの血も文化も持っていないのはもちろん知っている。誰もが知っている。

でも私にとっての「フラメンコの真実」というのもあるんじゃないか。そうでなければ自分がフラメンコを踊る意味が分からない。でも分かる必要もないかもしれない。

分かろうと探しているうちにきっと人生が終わっちゃうような気がするから。

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話は前後しますが、この演劇を初めて見たのは8年前!その時に書いたブログはこちら。

「タンゴ・デ・ペピーコ」

ちょっと笑いたいなという方は是非お読み下さい。今読み返すとあの頃は若かったな(笑)。そしてブログの中で「スペイン人の友達」と称されているのが、現在の夫だったりして(笑)。

舞台写真:アントニオ・ペレス

2019年10月19日 セビージャにて

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