トロンボのクラス1週間

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

私はちょっと風邪気味ですが、まあ元気です。数日前からトロンボのクラスにまた通い始めました。これで何度目だろう。そして通算何年習っているのでしょうか。スペインに来たばかりの時に2〜3年習い続けて、その数年後にも何回か。今回で5回目くらいかな?トータル4〜5年くらい???・・・光陰矢の如し。

しかしその割には、毎回クラスに出席する度に全くダメな自分を再確認します。根本的にダメだなと。それは分かっていてもでもそこに目を向けてしまうと何もできなくなってしまうので、今まで目をそらしていたのかもしれない。でもやっぱりそこから学び直さなくてはと、再びトロンボのクラスに戻ることを決意したのでした。

朝10時〜12時までのクラス。最初の1時間はコンパス、残りの1時間は踊り、ということに一応なってるみたいですが、毎日異なります。

  • 11月4日(金)

トロンボ自身が作ったビデオでコンパスの重要性やトナーの講義が行われました。2時間ぶっ続け。そして最後に、たまたまその日遊びに来た歌い手のカンテに合わせてテーブルをこぶしでたたきコンパスを刻む練習。小さなテーブルにトロンボと生徒のエネルギーが凝縮。うわ〜このコンパス。

・・・とここまでがクラス。その後生徒二人のヒターノの男の子達(ペテーテとポレーテ)がクラスのパソの練習をし始めました。ポレーテはトロンボに習ったパソがなかなかできなくて四苦八苦している様子。エスコビージャなのですが、トロンボが歌い出しました。エスコビージャがただの足の音の羅列にならないように、そこにセンティードや宿させるために歌うトロンボ。アレグリアス、ブレリア・・・・etc。

そのうち「トロンボ、見てみて!」とか言って始めたパタイータ合戦。あまりにもすごすぎて笑えてきました。なんてコンパスなんだろう。パソはそんなに難しくない。多分、日本の若手の踊り手の方がよっぽど難しいことをやっている。でもあのコンパス!あのコンパスはきっと誰も持っていない。そのうちトロンボも参戦。・・・この人の音を聞いたら、他の音は聞けなくなってしまうかもしれない・・・

今日のトロンボの言葉:「いくつかのオレンジだけを持て。そしてそのオレンジをきちんと搾れ。きちんと搾ればオレンジ3つで1杯のジュースができる。でもきちんと搾らなければいくつオレンジがあっても足りない。だからオレンジ1袋買って、しかもその大半を腐らせてしまうんだよ。」

  • 11月7日(月)

いかにコンパスが重要であるか、という短めの講義から始まり、この日はアルカンヘルのCDに合わせてパルマ。やはりトロンボのすごいコンパス。そしてペテーテとポレーテも。CDに録音されているサパテアードの音にパルマをどう合わせていくかというのも勉強。音の流れ、パソが訴えていることを聴き取りパルマで寄り添う。そして別のトナーのCDに合わせて歩く練習。これがまた難しい。でもすごいアルテ。

今日のトロンボの言葉:「周りがどんなに早く歩いていっても、私たちはゆっくり歩くんだ。カンテを感じるために。」

  • 11月8日(火)

パコ・デ・ルシアのロンデーニャに合わせて、重心移動をする練習。重心のある方の足の重要性。マヌエル・パリージャ、ディエゴ・デル・モラオのブレリアのファルセータに合わせてパルマをたたく。ヘレスのギターの2流派の違いを聴き取りパルマで表す。私のパルマはただのパルマだったけど、トロンボの目的はそこ。次はペペ・アビチュエラのギターに合わせてパルマ。うねるうねる。トロンボのパルマの波長に合わせる。今度はグアディアーナとシガラのカンテに合わせてパルマをたたく。どこでどうカンテをレマタールするのか、どうレマタールしたら命を吹き込めるのか。レマタールした後またコンパスに戻るのにあたり、どんな戻り方があるか。

トロンボと一緒にパルマをたたいていると、あたかも自分がそのコンパスを持っているように錯覚してしまう。そう、それは錯覚である。それを分かっていながら、彼のコンパスの波長に合わせることを幸せに思う。

ブレリアのパソをトロンボが教えてくれる。一度習ったことがあるパソだし、その一部を私は自分の踊りの中に使っている。でもやはりトロンボがやるのを聞いてハッと気付く。私にはある部分のセンティードが足りない。頭では分かっているけれどそれを音にすることができなかった。でもいつの日か近づく。最後にペテーテがハレオ・エクストレメーニョを歌い、トロンボがそのパソを合わせる。なんて二人だ。・・・パルマをたたいている私は何者か?

今日のトロンボの言葉:「テクニカはいくらでも難しくすることができる。でもアルテはシンプルなものの中にこそある。」

  • 11月9日(水)

CDに合わせて歩く練習。しかしそれがいつの間にかマルカールになっている。次々と繰り広げられるトロンボのマルカールはシンプルでフラメンコに溢れている。なんのために人はいろいろごちゃごちゃ動いてマルカールを振付にしてしまうのか。マルカールは振付ではない。コンパスを刻むということ。

なぜかスティングのCDを聞いてパルマをたたく。そのうちそれがボブ・マーリーになっている。「フラメンコではない」という意見もあるのかな。フラメンコの音楽で踊るからフラメンコなのかな。フラメンコっぽい動きをするからフラメンコなのかな。どうなのでしょう。トロンボ自体がフラメンコのかたまりなので、何をやろうがフラメンコになっているのです。

今日は昨日と違うブレリアのパソを教えてくれました。このパソも私は持っている。でも持っているだけではだめだからこのクラスにいる。昨日パルマをたたいたマヌエル・パリージャのファルセータに合わせてそのパソをやってみる。トロンボがやるとすごいかっこいい。ファルセータもパソもお互いが光輝いている。本当にその場にパリージャがいたらオレ!が出ているはずだ。すごいな〜トロンボ。でも私がやると・・・間違っているわけではないんだけどなんか違う。たった33秒のファルセータに生命を吹き込めるか。ぼけっとしていると33秒なんてすぐに過ぎてしまうよ。でもその33秒で全てを変えることもできる。フラメンコは一瞬だ。

ペテーテとポレーテがブレリアをそれぞれ歌う。この歌もまたすごい。今度は生のカンテに合わせてそのパソをやるトロンボ。というより、パソの前のジャマーダですでに私は射抜かれた。なんだ、あれ。そう、あれをジャマーダという。今まで私が聞いていたもしくは自分がやっていたジャマーダはただの足音だったということに気付く。ジュンコもやれ、と目で促されたけど、もぬけの殻にになっている私は反応できない。何回目かでやっとトロンボから「ole」が出た。

今日のトロンボの言葉:「踊りに合わせて歌ってくれる歌い手を雇うな。自分が歌を踊れ。」

  • 11月10日(木)

今日はトロンボが教えているヒターノの子供のお父さんがクラスにやって来た。

セビージャの中心から離れた所に「トレス・ミル・ビビエンダス」という地域がある。その地域にはスペイン人も住んでいるが、ヒターノ達も多く住んでいる。麻薬やアルコールなどの社会問題を抱えた地域でもある。(もちろんそこに住んでいる人全員が問題をかかえているわけではない。)トロンボはその地域のヒターノの子供達のために毎週何度かフラメンコや音楽を教えに行っている。トロンボが教えていることはただの踊りやリズムではない。子供達が将来、麻薬やアルコールに溺れないよう人間的な教育を目的としている。フラメンコを通して。

その生徒のうちの一人のお父さんがクラスにやってきた。息子さんはとても恥ずかしがり屋だそうだ。トロンボにその子が映っているクラス風景の写真を見せてもらったら、のび太くんみたいな眼鏡をかけたひょろっとした小さな子だった。周りの男の子達の陰に隠れてパルマをたたいている。え、この子がヒターノなの?と私はびっくりしてしまう。その子がなんと、初めて昨日の夜お父さんに踊りを披露したそうだ。「トロンボありがとう!昨日息子はクラスから興奮して帰ってきた。そしてその夜初めて私のために踊ったんだ!」

それを伝えにお父さんはわざわざトロンボのスタジオに出向いたのだ。私は感動しました。その子が踊ったのもそうだし、それを見たお父さんの気持ち、その前日トロンボがどんなクラスをしたのかを想像して。電話でもメールでもなく、わざわざ会いに来てトロンボを抱きしめるお父さん。素晴らしい。それこそがフラメンコだ。

そのお父さんもクラスに参加する。そのうちフラメンコ愛好家らしいおじいさんとその付き添いの男性がクラスを見学にきた。いつの間にか受講生の見学者も垣根がなくなっている。みんなトロンボの一員。老いも若きも男も女も人種も国境も関係ない。そこに線引きをしてしまうのはその人の頭。フラメンコは無限だ。トロンボはそれを知っている。

今日はおじいさんの言葉:「沈黙の音を聴けるようになった時、人は初めて自身の内面の声に耳を傾けることができる。」

  • 11月11日(金)

ソレア・ポル・ブレリア(CD)に合わせて、マリオ・マジャが教えていたというマルカールや歩き方、ブエルタを学ぶ。マリオの話しから舞台の使い方、照明との関係などの話しにも及ぶ。

スタジオの奥にある棒を一人2本ずつ持たせるトロンボ。普通はトマトなどがぶら下がってなるように畑に立てるものだ。フアナ・ラ・デル・ピパのカンテ(CD)に合わせてその2本の棒でコンパスを刻む。アクセントを入れたりコントラにしたり。意外と難しい。その2本の棒を使っていろいろなコンパスや動きを生み出すトロンボ。彼の創造性には感嘆する。

ブレリアのパソを教えてくれる。毎日違う。今日はコントラやシンコペーションを多用したリズムで難しい。それがいつの間にかパルマの講義になり・・・トロンボのクラスはいつもその時によって川の流れのように動いていく。変わっていく。その場その場で即興でクラスが行われているのだが、でもよく考えると全てがつながっている。どれ一つとして無駄なものがない。

今日のトロンボの言葉:「教えることを愛して教える人と、食べるために教える人がいる。」

「生徒は待つ事を知らなくてはならない。そして学ぶ事を知らなくてはならない。」

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来週は木曜までしかクラスがない。金曜日にはブラジルに旅立つトロンボ。1ヶ月間、ブラジルのフラメンコの先生達に教えるそうだ。パソや振付けではない。その先生達が何を生徒に指導すべきか、トロンボはそれを教えに行く。

「先生」と呼ばれる人達には責任がある。何を指導するかで生徒達は変わる。振付とパソだけを教えてお金だけとっている先生に習った生徒は同じように、そのようにしかフラメンコを見る事ができないし踊れない。そうしてそこそこ踊れるようになった人はやはり同じように教え始め、その生徒もまた同じようにフラメンコを見る。

私も教えている以上、肝に銘じなければならない。

2011年11月10日 セビージャにて

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