Dec 17

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週末はレブリーハに行っていました。金曜日にレブリーハの劇場でのサンボンバ公演、そして翌日は同じレブリーハのバル「カサ・ボッチョ」でのサンボンバ。先程セビージャに着きましたが、濃すぎる2日間でただいまちょっとぼーっとしています。普段は日曜の夕方に自主練習をしているのですが、あまりに放心して練習をサボってしまった・・・。仕方ない。明日からまた頑張ろう。

24131468_1385553458240537_2954387486420273293_nまずは金曜の劇場でのサンボンバ公演。このチラシの出演者を見て、これは絶対行く!と決めていました。主な歌い手に(チラシ記載順)ホセ・バレンシア、アナベル・バレンシア、アントニオ・レジェス、ヘスス・メンデス、サムエル・セラーノ。ホセ・バレンシアはご当地レブリーハの若手実力派の歌い手。同じくアナベル・バレンシアも。(これからもっと有名になるはず。)アントニオ・レジェスは日本ではあまり馴染みがない歌い手かもしれませんが、チクラナ(カディス)出身のやはり若手実力派。そして日本でも有名なヘスス・メンデス。サムエル・セラーノはまだ聞いたことがなかったのですが、噂の歌い手でどうしても聞きたかった!そして踊りにコンチャ・バルガス。レブリーハといえば、コンチャ。コンチャといえばレブリーハです。

12月はクリスマスシーズンということで、フラメンコ公演もサンボンバ一色に染まります。ここで言うサンボンバというのは、クリスマスの歌をフラメンコ風にして歌ったり踊ったりする公演。スペインはカトリックの国ですから、イエス・キリストの誕生や聖母マリアのことを歌うクリスマスの歌があります。それをフラメンコアーティスト達が主にブレリアのリズムに乗せて歌ったり踊ったりするわけです。金曜の公演は夜10時くらいに始まり、終わったのは夜中の2時くらいだったかな?休憩を挟んで1部と2部に分かれていましたが、まず1部に歌ったサムエル・セラーノ。この歌い手が良かった。とにかく若い。まだ20代前半かな?・・・・にもかかわらず、古い。古いってのは彼の歌から香ってくるものが、です。若いだけに荒削りの部分も感じられたけど、それがこれから年齢を経て渋みを増してくるのかなあ。いやあ、いいなあ、こういう超若手がいるっていうのは素晴らしいし嬉しい。

2部で特に良かったのはアントニオ・レジェス。あの情感がこもった歌い方にoleだったなあ。好みもあるかもしれないけど、大きな声で思い切り伸ばして歌ってoleを引き出す歌い手も多い中、それとは真逆のアルテ。なんというか、踊りでもとにかく大きく誇張して踊ったり、異常な程サパテアードしたり、マントンやバタ・デ・コーラをとにかく動かすだけ動かす踊りというのがある。要するに誰が見ても聞いても分りやすい訳で、それによって簡単に拍手を引き出すこともできなくはないわけです。aplauso fácil(アプラウソ・ファシル)っていう言い方をしますね。中にはそれを狙うあざとい踊り手というのもいるわけで・・・。でもそうじゃないんだよなー、フラメンコの本当の素晴らしさはそこにはないんだよなー、と思いつつ・・・・アントニオ・レジェスの歌を聴きながらふっとそんなことを思いました。

25445372_889920337832487_2104545961_oそしてトリはやっぱりコンチャ・バルガス。普段黒の衣装で踊ることが多いコンチャだけど、この日は白とピンクの素敵なブラウス見たいのを着ていた。とっても素敵。コンチャの存在感で劇場が埋め尽くされてゆく。私は劇場の最後列に座っていたけど、コンチャのオーラがビンビン伝わってきました。コンチャの娘さんカルメン・バルガスがコンチャの踊りの時にずっと歌っていたけど、同じレブリーハ出身のホセ・バレンシアにも歌ってほしかったなあ。昔、アンドレス・マリンの公演でホセ・バレンシアの歌で踊るコンチャ・バルガスを見たことがあったけど、あれは歴史に残る瞬間だったなあ。ああいうのはもう観られないんだろうか・・・。

あと、チラシに名前は載ってないけど、レブリーハの若者達のパルマがすごかった。彼らはアーティストではない。普通の男の子達なんだけど、パルマのレベルがすごい。どれだけ彼らの中にフラメンコが根付いているか、そういうのが垣間見えてうーんと唸ってしまった。すごいな、レブリーハ。

写真は終演後劇場の外で、コンチャとルイス・ペーニャのクラスで一緒のAさん。Aさんお写真ありがとう!
25075212_556494028021416_2022864188333103950_o25520657_1509415862440207_1470043030_o25520749_1509415859106874_1620716612_o25520889_1509415839106876_220758019_o25508974_1509415849106875_513909889_o25510727_1509415845773542_1204286990_oそして翌日土曜の「カサ・ボッチョ(Casa Bocho)」でのサンボンバ。この間レブリーハでのサンボンバTV番組の収録に行ってきた時に、このボッチョでのサンボンバの話を聞き、「あー行きたいです!」と話してたら、ボッチョのチラシ、バイレ出演者の所にになぜか私の名前が・・・「Yunko(de Japón)」え、なんで、私、踊ることになっているわけ????勝手に出演者にされていたのですが(笑)、まあいいか。というわけで翌日はのこのバルへ。すごい人でした。人・人・人。お昼ご飯をボッチョで食べた後、お店の人たちがテーブルをガガガーと片付けてサンボンバ会場に変身。私は輪の2列目にいたけど、その後ろにも4〜5列くらい人が座ってたかなあ?その後ろに立っている人たちもたくさん。100人以上はいたのだろうか・・・。みんなでパルマ叩いたり、一緒に歌ったりサンボンバは楽しいですね。でもとにかくすごい人だらけだったから、しかもみんなシーンとして聞いているわけでもなくガヤガヤ・・・肝心のカンテとギターが聴きにくかったなあ。それがちょっと残念だった。

みんな自主的に踊り出したり。コンチャもすごく嬉しそうに踊っていました。レブリーハで教えている生徒さんと一緒に踊ったり。そして私まで呼んで下さいました。「一人で踊る?私と踊る?」とコンチャに聞かれて、そりゃコンチャと、でしょう!!!というわけでちょっと緊張しつつコンチャと向かい合って踊り始め。もちろん即興で。コンチャに習ったのは数年前。ああ、あの時そうだ、こういう感じだった、なんて懐かしく思いながら、でもコンチャの踊りの「intención」(インテンシオン)にはやはり全然かなわない・・・と。動きは分かる。習ったことがあるし、何度も見たことのあるコンチャの動き。でも実際に向かいあって踊ってみると、コンチャのそれと私のは全然違う。外から第3者として見ているわけではない、でも向き合ってコンチャから出てくるもの、感じられる「それ」は私には全然足りないってそう思った。だってコンチャ・バルガスだよ。相手は。もちろん競争しているわけではない。コンチャから出てくる「それ」をいっぱい吸収して、自分の中から何かを引き出したくて・・・。あっという間に終わってしまった・・・。でもキラキラした至福の時間だった。コンチャ、本当にありがとう。

54bocho57bochoそしてその後が感動だった。一人の女性が、帽子をかぶってとてもエレガントな年配の女性が、男の子(息子さんか?)にかかえられながら輪の中から立ち上がった。彼女は一人では立てないようだった。足が悪いのかな・・・と思っていたら、近くに座っていた人が教えてくれた。

「彼女はもうすぐ死ぬんだよ」

「癌なんだよ」

・・・心臓が凍りそうになった。

でも私の眼は彼女の手の動きに吸い寄せられていた。なんて美しい動きなんだろう。この世のものとは思えない・・・。

その彼女にコンチャが近づいて、コンチャは彼女を抱きかかえながら踊った。コンチャの顔も泣きそうになっていた(泣いていたのかもしれない)。あんなコンチャを私は今まで見たことがなかった。あの女性の手の動きも、きっと忘れることはないと思う。

人が言うように、お亡くなりになってしまうのかもしれない。でも最後の力を振り絞って、最高にエレガントにしてあのサンボンバにいらしたのかもしれない。あの手の動きが人生最後の踊りだったのかもしれない。

でも、手の動きには命が宿ってた。

それを私は見た。

写真:アラセリ・パルダル
その他の写真はこちらでご覧頂けます。→http://www.lebrijaflamenca.com/2017/12/14-momentos-que-lo-cuentan-todo-zambomba-del-bocho-con-sabor-gitano-2017/

2017年12月17日 セビージャにて。

Dec 13

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

過日ご案内しました、1/18(木)カサ・デ・エスペランサ新春ライブですが、昨日満席となったとのことです。早々にご予約下さいました皆様、誠にありがとうございました。エスペランサからのお知らせによりますと、今後はお立ち見での受付となるそうですが、キャンセルがあり次第通常のお席の方へご案内できるとのことです。平日のライブですし、直前のキャンセルもあるかと思いますので、ご希望の方はエスペランサさんの方へ直接ご連絡下さい。

ご予約先:メール:selva@tablaoesperanza.com
TEL:昼(セルバ)03-3383-0246/夜(エスペランサ)03-3316-9493

  • 2018.1.18 // カサ・デ・エスペランサ新春ライブ, (東京/高円寺),20:00開演
    5500円(要割引券→割引券はこちら/1ドリンク・タパス付)
    新春ライブ2018表新春ライブ2018裏
  • Baile Cante Guitarra
    • 高橋英子
    • 森田志保
    • 瀬戸口琴葉
    • 萩原淳子
    • ディエゴ・ゴメス
    • 川島桂子
    • 尾藤大介
    • 小林亮

なお、2/14(水)恵比寿サラ・アンダルーサさんでのライブは萩原の方で受付しております。チケットご希望の方は こちら「連絡先」 までご連絡下さい。クルシージョ受講生以外の方にはチケットをご郵送いたしますので、郵便番号とご住所もお知らせ下さい。

  • 2018. 2.14  サラ・アンダルーサ(東京/恵比寿)19:30開演 /4000円(1・2部通し)

    Baile Cante Guitarra
    • 市川幸子
    • 谷朝子
    • 堀江朋子
    • 萩原淳子
    • ラウル・レヴィア・アマドール
    • マヌエル・カサス 

    では本日はお知らせまで。またお会いしましょう!

    2017年12月13日 セビージャにて。

Dec 11

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

イランへ撮影旅行へ行っていた夫が無事帰ってきました。数日前どこぞの大統領がとんでもない発言をしてからイスラム諸国大丈夫なんだろうか、デモが暴動になったりして巻き込まれたりしないだろうか・・・とか実は心配していましたが、お陰様で元気です。しかもちょっと痩せて少しカッコよくなってきた。(ただし、いつまでもつか。笑)今は疲れて眠っちゃったので昨日のブログの続きを更新してしまおうっと。

  • 10月15日(日)ホセ・ガランと障害者のフラメンコ公演リハーサル/TNT劇場(セビージャ)

木曜日にセビージャの蚤の市で、この公演に出演するという車椅子の女性に出会いました。車椅子のままフラメンコを踊るのだそうです。ホセ・ガランは以前にも視覚障害者、聴覚障害者とのフラメンコ公演をしている若手の踊り手。その踊り手の講習会を受講した彼女は住んでいたバルセロナを引き払ってセビージャに移り住み始めたそう。なんて勇気のある女性なんだろう。その彼女から公演のリハーサルの話を聞き、同じく興味を持った写真家の夫と一緒に行ってきました。

劇場にいたのはホセ・ガラン(健常者の踊り手)、手話で踊る女性(健常者で、多分踊り手ではないけど、公演では手話で踊る)、車椅子の彼女と視覚障害の女の子でした。視覚障害の女の子(年齢は20歳くらいか?)はご両親が付き添われていました。手話で踊る女性に連れられて、サリーダを歌いながら舞台中央に立つ。そしてその場所でサエタを歌うという設定のようでした。でも女の子はそれがどうしてもできないようでした。上半身を前後に何度も大きく揺り動かし、歩き出さない、歌わない。手話の女性は根気よく何度も何度も舞台袖から舞台中央に歩いて行く。ホセ・ガランも根気強く何度も励まし、途中で休ませたり。ご両親も叱咤激励したり。でも彼女はどんどん身体を大きく揺り動かすだけで全く歌わない。・・・もしかして夫と私がその場にいることで彼女は緊張しているのだろうか・・・目が見えなくてもきっと普段とは異なる雰囲気を敏感に察知しているのかもしれない・・・。それでしばらく夫と私は外に出、彼らも休憩に入る。外で私はご両親に謝りました。「ごめんなさい、私たちがいることでお嬢様緊張されてしまったのかもしれませんね・・・」するとお母様はこうおっしゃいました。「違うのよ、あの子は本当に自分で歌うという気持ちにならないと歌わないのよ。でもこういう状況は克服しないといけない。だって本番では歌わなくてはならないのだから。」

本当に自分で歌うという気持ちにならないと歌わない。

その言葉がグサッと私の胸に突き刺さりました。

私は自分が踊ろうという気持ちにならなくても踊る時もある。仕事だから。それに踊ろうって気持ちでなくても、リハーサルはいくらでもできる。だいたいこんな感じ、という風に手を抜いて踊ることもできるわけだから。もちろんそれは私だけではない。歌い手だってそうだろう。リハーサルで全力で歌う人なんていない。

でもあの子はそうじゃないんだ。あの子にとって歌うっていうのはそういうことじゃないんだ。あの子にとって歌うってことは全部本当なんだ・・・。

しばらくしてから、また同じ部分のリハーサルが始まりました。手話の女性が彼女を連れて舞台中央まで歩いて行く。彼女のサリーダが聞こえてきた。

歌った!

その瞬間を固唾を飲んで見守っていたホセ・ガランは微笑む。彼女のご両親は天を仰ぐ。私の夫と私は無言でガッツポーズをする。そんな私たちの気配を察しているのだろうか・・・いや、彼女はきっと完全に自分自身の世界に没入している。目が見える見えないの話ではなく、誰がいようといまいと、きっとあの時の彼女には歌しかなかったのだろう・・・。

そしてそのサリーダが終わった後、静かにサエタを歌い出しました。

あのサエタ。

今思い出しただけでも涙が出そうになる。

何がすごいのだろう。特別な声量でも上手な節回しでもない。ただ彼女が歌うサエタがリハーサルスタジオにこだまして、私は涙を止めることができなかった。どんどん溢れてくる涙。カンテを聴いてこんなにも泣いたのはいつが最後だったのか。oleの声すら涙声で、そんなになっている私は自分が信じられなかった。

そして彼女から少し離れた所で、彼女が歌うサエタの歌詞を手話を使って踊る女性。・・・うん、確かにそれは必要だよ、聴覚障害のお客さんだってきっといらっしゃるのだろうから。・・・・でも次から次へと手話の動きを繰り出すその女性(彼女は健常者)のその動きの羅列を目にして、だんだん薄ら寒くなってきた。手話が悪いんじゃない、手話をする彼女自身からは何の感情もこれっぽっちも感じられなかったのだ。彼女は彼女自身は、あの子のサエタを聴いて何も感じないのだろうか????

聴覚があってもあのカンテを聴いても感動しない・・・それって「フラメンコ文化」の中での障害とも言えるのではないだろうか。そして彼女の手話を見ながらこうも思った。もしカンテを聴いてもその意味がわからないというのも、やはり「フラメンコ文化」の中での障害とも言えるのではないだろうか・・・。

健常者(私自身も含めて)は自分を健常者だとして、知らず知らずのうちに彼らとの間に線を引いている。でも一体どこからが障害でどこからが健常と言えるのだろう・・・。

ちなみにこのホセ・ガランは来年のヘレスのフェスティバルにて障害者へのフラメンコ教授法というクラスを開講する。実は私はそれに申し込んでいる。障害者対象のクラスだけれど、健常者でも受講OKとのこと。障害者にフラメンコを教えるということ。自分にそのような能力があるのかは分からない。でもやってみよう。

最後に、「障害者」の表記方法に関して。
それが正しいのか、それとも「障がい者」が正しいのか、もしくは別の呼び方が正しいのか・・・実のところ自分でも結論付けるのが難しかったのですが、障害者とは社会やその他の人々に差し「障」りがあったり、「害」を及ぼす「者」ではないという見解で、私の中ではっきりしています。ただしだからと言って、「がい」もしくは「しょうがい」とひらがな表記にすることには、少し違和感を覚えます。ただ慣れていないだけなのか、それともひらがなにすることで何かがうやむやになってしまうような気がするからなのか・・・。ただの言葉の問題ということも言えなくはないですが、重要なのは表記方法の議論にとどまるのではなく、その奥に潜んでいる問題の本質に目を向けることなのではないか、と思っています。

2017年12月11日 セビージャにて。

Dec 10

みなさんこんにちは。お元気でしょうか?

9月にセビージャに戻ってきてからこちらでいろいろフラメンコを観たり聴いたり、毎回ブログにしようと思いつつ日々の雑事にかまけて後回しにしていました。気づいたらあと3週間程で今年も終わりということで、ちょっと回想しながら鑑賞記をブログにしたいと思います。

  • 9月22日(金)ホセ・デ・ラ・メーナ/カンテ公演/ペーニャ・トーレス・マカレナ(セビージャ)

スクリーンショット 2017-12-10 1.51.45一時期騒音の問題で閉まっていたペーニャ・トーレス・マカレナですが、最近は毎週水曜がバイレ、金曜がカンテ公演というプログラムが定着しつつあります。バイレ公演にはペーニャ会員だけでなく、外国人留学生や観光客が押し寄せ、毎回かなりの人気ですが、金曜のカンテ公演はお客さんが少ない・・・。カンテの好きなフラメンコ愛好家ってセビージャには多くないんでしょうか・・・。(というより、カンテが好きでなければフラメンコ愛好家とは言えないと思うのですが)

夏の間約3ヶ月日本にいたので、あーペーニャでカンテを聴きたいとウズウズしていました。というわけで、セビージャに戻ってから初のペーニャ。この歌い手は聴いたことなかったけど、アンダルシア各地のコンクールで優勝とかしているらしい。・・・・しかし、この公演は結論から先に言うと不発に終わる・・・。アントニオ・マイレーナ調で上手いことは上手いのだが、何も伝わるものがない。知り合いのペーニャ会員は1部で帰ってしまう。もしかして2部になって盛り上がる可能性もあり、と望みを託し私は残ったけど、

ちーん。終了。

  • 10月5日(木)アルヘンティーナ/カンテ公演/カハソル劇場(セビージャ)

スクリーンショット 2017-12-10 1.48.58もう何年もシリーズ化している「Jueves Flamenco(フエベス・フラメンコ)」木曜日のフラメンコ公演。今年の開幕アーティストはアルヘンティーナ。個人的にはこの歌い手、あんまり好きじゃないんだよなー。でもしょっちゅういろんな所で歌っている人気歌手。もちろん下手じゃないし、いろんな歌を歌うからたくさん勉強しているのだと思う。確かに聴いていてこちらも勉強にはなるけど、残念ながら感動や興奮はしない、したことがない・・・。じゃあなんで彼女のコンサートに行くんだ?ということなのですが、そう思っていたのはたまたまかもしれない、自分の考え方や聴き方、感じ方が変わることだってあるかも・・・?せっかくセビージャにいるんだし、後からやっぱり行っておけばよかったと後悔するなら、行って後悔した方がいい。(笑)

この日はフラメンコ以外のジャンルの音楽もたくさん歌っていて、「世界には素晴らしい音楽がたくさんあるでしょう?」というようなMCをしていたけど、確かにそれは間違いではないけど、「Jueves Flamenco」のシリーズの開幕としてはどうなんだろうって思った。本人の個人的なコンサートであれば本人の好きな歌を歌えばいいのだろうけど、フラメンコ公演だから、フラメンコを歌ってもらいたいというのが普通なのではないかな。当然フラメンコを聴きたいからお客さんはチケットを買っているのだから。(アルヘンティーナのファンは何を歌おうと構わないのかもしれないけど)そんなこともあり、長く感じたなあ。周りのお客さんも飽きちゃった感じでざわざわしてたし。唯一良かったのは、普段の劇場ではなく、劇場外のパティオ(中庭)の屋外コンサートだったこと。この日すっごく暑かったから(10月なのに)。

  • 10月11日(水)メリッサ・カレーロ/バイレ公演/ペーニャ・トーレス・マカレナ(セビージャ)

22196313_924420541041284_8174428047082660938_nメリッサ・カレーロ(Melisa Calero)は確かコルドバの踊り手。結構名前を聞く人だけどまだ踊りを見たことがなかったので行ってみる。ソレアとアレグリアスを踊ったけど、ソレアはロサリオ・トレドの、アレグリアスはベレン・マジャの振付のようだった。確かにあの振付をマスターするのも、ロサリオやベレンの特徴を捉えて踊るのも大変なことだろうし、とても難しいことを成し遂げてはいると思う。でも私には真似にしか見えない。しかも本家本元にはどうやってもかなわないのだから、じゃあ、あなたは一体誰ですか?という話になる。真似を見るのだったら本家本元を見た方が100万倍いい。当たり前だけど。

確かに模倣から始まる。自分の好きなアーティストや師事している先生の模倣が最初の学びになるはずだ。でも重要なのはそこから何じゃないかなあ。私自身にも言えることだけど・・・。

※ちなみに、本家本元、おすすめのロサリオ・トレドのソレアはこれ。是非観てほしい。→https://www.youtube.com/watch?v=xmXw2kmbDEI
セビージャのタブラオ、ロス・ガジョスで踊られたもの。ロサリオの個性が炸裂した即興のソレア。最高!そして歌い手の中には ↓ で紹介するホセ・メンデスもいる。

  • 10月13日(金)ホセ・メンデス、バイレゲスト:ラファエル・カンパージョ/カンテ公演/ペーニャ・トーレス・マカレナ(セビージャ)

22467645_1478524488929257_2836726225353601971_oこの日からルイス・ペーニャのクラスに通い出したので、ペーニャには遅れて到着。というのはルイスのクラスが21:00まで、ペーニャは21:00開演だからスタスタ歩いても21:15頃到着することになる。着いたらもう満席。カンテの公演にはお客さんがあまり来ない、ってさっき書いたけど、今回は「バイレゲスト:ラファエル・カンパージョ」とチラシに記載されてあったので、それを目当てにバイレ好きのお客さんも殺到したか?1部は入り口近くで立ち見だったけど、相当なフラメンコ愛好家と思われる人が隣にいて、一緒にハレオをかけたりして心地よかった。

ホセ・メンデスはやっぱりすごい。かの有名なパケーラ・デ・ヘレスの甥にあたる。パケーラの甥といえば今をときめくヘスス・メンデスなんだろうけど、ホセもいいよ。あの貫禄、あの余裕。圧巻のカンテ。アントニオ・モジャの伴奏もいつもの通り素晴らしい。カンテを邪魔しない。カンテを引き出す。

ラファエル・カンパージョはソレア・ポル・ブレリアを1曲踊った。なぜゲストにラファエル・カンパージョなんだろうという疑問もあるけど・・・・というのは、別の踊り手の方がホセ・メンデスの歌に合うのでは?ラファエルが良くないとかそういうのではなく、なんかしっくり来ない気がする。フィン・デ・フィエスタではラファエル・カンパージョと、それから何人かの女の子たちが一緒に舞台に乗る。女の子たちは別に下手ではないし、それぞれちゃんと踊っていたし、それはそれでフィン・デ・フィエスタらしくて良かったのだと思うけど、カンパージョと同じ土俵に立たせちゃうのはカンパージョがちょっとかわいそうな気がした。カンパージョは一流のアーティストなんだし、ゲストとして呼ばれているのだから。でもいろいろ事情もあるのかもしれない、フィン・デ・フィエスタだから、ま、いっか、って感じなんでしょうか。

カンパージョの踊りも観ることができてお得感があったといえばあったけど、ホセ・メンデスの歌だけでもよかった気がする。カンパージョの踊りが見たければ、別の機会でもいいわけだし。ホセの歌だけでも私には十分素晴らしかったから。

  • 10月14日(土)ホセ・アニージョ/カンテ公演/ペーニャ・ボルムホス(ボルムホス)

22424370_1931930887069760_5923446953668947551_oこの公演もよかった。2日連続でいいカンテを聴けるなんて恵まれている。ボルムホスはセビージャ郊外の街。バスで20程で着くので近いのは近いのだけど、問題は帰り。ペーニャ公演の後ではもうバスがない。というわけで車を持っている知り合いのフラメンコ愛好家夫妻に連れていって頂く。着いたらなんと、ホセの妹のエンカルナ・アニージョがいた!エンカルナの歌、私は大好き。でも話すのは初めてなので「初めまして、ジュンコです」と挨拶したら、「あなたのこと知ってる。踊り手でしょ?あなたの踊り見たことあるわよ、セビージャの教会みたいな所で踊ったでしょ」と言われた。

きゃー♡感動♡ セビージャの教会みたいな所で踊ったのってもう7〜8年前?それを覚えてくれていたなんて、エンカルナ、なんていい人♡

ちなみにホセとは実は私は共演したことがある。日本でのAMIさんの公演「Mi Sentir 2」。あれはもう15年以上前。あの頃は会社員として働いいていて、スペイン留学前。森田志保さんとタラントを二人で踊った。歌振りの部分はそれぞれ全然別の振付を踊るというものだったのだけど(二人ともAMIさんの振付)その時ホセが歌ったのタラントが忘れられない。あまりに素晴らし過ぎて、私はAMIさんの振付が踊れなくなってしまった。リハーサルの時にほとんど動かなかった(というか動けなかった)私にAMIさんは「ちびさん(そう呼ばれていた)、それでいいから、足元を舞踊的にしなさい」とおっしゃったのを今でも覚えている。

話はどんどん逸れましたが(笑)、その頃からホセ・アニージョはすごかったということを言いたかったのだ。そして最近ではコルドバのコンクールでも優勝。これからどんどんソリストとしても活躍するんじゃないかな。

この日は音響が残念ながら最悪。ギターの音もボアーンボアーンとして、リバーブのかけすぎだな。そんなに広くないペーニャなんだから生音でも十分だと思うんだが。ギターはエンカルナの旦那さんのピトゥケテ。ちょっとあの音じゃかわいそうだよなー。そういえば、昨日トーレス・マカレナで隣になった相当なフラメンコ愛好家が会場にいた。やっぱりカンテが好きな人ってのはよく遭遇する。そしてこのボルムホスのペーニャ会員の皆さんは愛好度が高い。ハレオのかけ方が全然違う。ホセもそれを感じて「今日の皆さんはフラメンコをご存知だから」と前置きして普段は歌わない、ソレア・アポラーを歌ってくれた。ソレアというのはカンテコンサートでは必ず歌われるレパートリーの一つ。フラメンコの母ですから。ソレアは絶対外せない、特に愛好家が集まるペーニャ公演では。でもソレア・アポラーというのはあまり聴く機会がないかも、他のスタイルのソレアに比べて。(アルカラとかトゥリアーナとか・・・etc)だからそういうのって、愛好家にはたまらないんですよね。会場もウォーって唸ってました。

そしてこの日の圧巻がフィン・デ・フィエスタの中でも最後の最後に歌われた、サルバオーラ(Salvaora)。あのマノロ・カラコールの名曲サルバオーラをブレリアのリズムで歌ってくれました。素晴らしかった。感激。

ちなみに、カラコールのサルバオーラをご存知ない方はこちらを聞いてね。→https://www.youtube.com/watch?v=4rdZkQOgOQI

長くなりましたので、これにて。また暇を見つけて続きを書く予定。

2017年12月10日 セビージャにて。

Dec 8

24831465_10155905243361228_7793149122974196454_o24837594_10155905243366228_4417910525909328188_o24799304_10155905243556228_2809866999281656928_o25073328_10155905243561228_8844832887002325482_o24955364_10155905243371228_731973024052014855_o24831205_10155905243566228_6448237299864221609_o24831452_10155905243741228_1644587034311160240_o24799430_10155905243736228_2470859463155657542_o24883415_10155905243746228_8907210239531260336_o24837331_10155905244031228_4656244466262930106_o24837237_10155905244036228_3152534973811050848_oみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週受講したマノロ・マリン先生のクラス写真をアップします。クラスが開講されたマヌエル・ベタンソスフラメンコ学校から頂きました。とても素敵な写真ばかりでとても嬉しいです。ありがとうございました!

マノロ・マリン先生のクラスに関しては先日ブログにしましたので、まだお読みでない方はこちらでどうぞ。→11月を振り返る。ルイス・ペーニャ、フアナ・アマジャ、マノロ・マリンのクラス

久々に心から楽しく学べたクラスでした。ありがとうございました!!!

2017年12月8日 セビージャにて。

Dec 2

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

あっという間に12月になってしまいました。昨日から10日間、夫(写真家)がイランに撮影旅行に行ってしまったのでだらりとした日々が始まっています。(笑)そんなわけでブログもゆっくり更新。

11月は色々なクラスを受講しました。ルイス・ペーニャ、フアナ・アマジャ、マノロ・マリン。3クラスも受講するのは留学当初以来かなあ。いや、フンダシオン(クリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校)に行っていた10年前もそのくらい受講していたか?どちらにしてもかなり久しぶり。身体は当然疲れるし、頭もパンパン、消化しきれないーと思うのはやっぱり年月が経っているからでしょうかね。(笑)というわけで、今日やっと落ちてついてクラスを振り返ってみようと思います。

  • ルイス・ペーニャのクラス(ブレリア)

ルイス・ペーニャ月水金20−21以前にもセビージャで数回クラスを受講したことがあったのですが、その時は生徒が多くてルイスの動きも見えないし、正直なんだかよく分からなかった。あと、ブレリアに関しては長らくアナ・マリア・ロペスからヘレスのそれを学んでいたので、ルイス式のブレリアに慣れるのに苦労した。しかも全然見えなかったからね。その後日本に行って、戻ってきて先月、今月とクラスを受けてみた。と言っても月水金の週3日だけだからまるまる2ヶ月ではないけど、まあ2ヶ月目。そしたら今度は生徒が少なくて、ある意味とても贅沢なクラスではあります。(ルイスはお昼間にも別のスタジオで教えているので、生徒が割れているのかも?)

何を学んだか・・・学んでいるんだが言葉にできない・・・言葉にできないということは、思考が定まっていないということでもある。

彼なりの独特の美学(それは視覚的な問題だけでなく、聴覚でもある)に非常に共感できる瞬間がクラスの中で多々ある。それを見逃してしまうと、ルイスが教えようとしている核心がすり抜けてしまう。しかしそれは、いともたやすく見逃しがちでもある。ここは重要な所で、どの先生でもそうだけれど、先生が説明しない部分に実は重要なことが潜んでいる。なぜ説明しないのか、は先生にもよる。説明できなかったり、先生のエゴにより説明してくれなかったり、あるいはあえて説明しない方がいいと判断して説明しなかったり・・・etc。幸いルイスの場合は割と説明してくれる方だと私は思う。でもその説明というのは、手足の動かし方とかそういう技術的な問題というよりも、なぜそれがアルテなのか、という観点からの説明。でもその説明を聞いたから分かったと思ったら大間違いだ。そこからさらに自分自身で理解を深めていく必要がある。もちろんその前の段階で、その説明を受け取る側がアルテを理解していなければ、ルイスの説明は宙に浮いてしまうけど。

クラスを受ける側の受け皿というのも重要。受ける側として自分をもっと育てないと。クラスに行けさえすれば先生に育ててもらえる、と思うんじゃなく。

  • フアナ・アマジャのクラス(ブレリア、タンゴ)

スクリーンショット 2017-12-02 0.37.06実はスペインに行く前に、私はフアナ・アマジャに習いたいなって思っていたんです。日本にいた時にビデオで見たフアナ・アマジャのソレアの踊り(以下Youtube参照)の印象が強烈で、セビージャに行ったらこんな踊り手のレッスンを受けられるんだ!って密かにドキドキしていた。大学生の頃。でも当時所属していた大学のフラメンコサークルの先輩達にそれを言ったら、「えー萩原さんがフアナ・アマジャに習うのー!」大笑いされてしまって・・・実は内心傷ついた記憶もあったり・・・。(今では笑えますけど。)

当時見たそのフアナ・アマジャのソレア(ビデオが擦り切れる程見た。)→https://www.youtube.com/watch?v=AjgwL1ZjSxk

ついでに、今年のフアナ・アマジャのソレア→https://www.youtube.com/watch?v=GUPZhUv6ErE

まあそれは余談ですが、実際に習ってみると私の中でのフアナのイメージが随分変わりました。フアナ・アマジャといえば超高速弾丸サパテアードで有名。もちろんフアナが自分で踊る時とクラスで教える時とではスピードが全然違うのだけど、あのパソをあのパソの匂いがするように音を出すには、実は音がない「間」の部分が重要なんだと私は思う。実際フアナの足音にはその「間」がある。でも耳で聞こえるのは音が出ている部分だから、その「間」を感じられないと、パソは同じでも全く異なったセンティードになってしまう。クラスでフアナはそれを何度も注意するけど、クラス全体の音はあまり変わらない。

日本では「走る」という表現を使いますが、本来のテンポより早くなること。あえて早くしているのではなく、コントロールが効かなくて早くなってしまっている状態。サパテアードの技術が足りない人はもちろん、それぞれの音をきちんと出す必要がある。でもある程度技術があってパソもそれなりに取れる人、実はこのレベル層がある意味危険度が高い。人によっては(場合によってはかなりのパーセンテージで)自分はできている、と思っている。ゆえに音を出すことばかりに気を取られて、音のないその「間」に気づかない。そうなると技術レベルの高さではなく、その違いに気づけないという「耳」の問題。耳が遠いという聴力に問題があるのではなく、フラメンコの音を聴き分ける「耳」が養われていない・・・。

それはフアナ・アマジャのクラスに限らない。長年セビージャでクラスを受けていて、常にクラス全体がそういう状況という場合が結構多いように思う。要するに生徒の質の問題。でもスペイン人のプロ(タブラオとかで踊っている人、例えば)がクラスに何人かいるからクラスの質がいいということでもない。最終的には「耳」の問題。だからもしそういうクラスに自分が入ってしまっている時は、その音に慣れないよう注意しなくては。そうでないと、自分の耳が聴き分けた先生のセンティードやアクセント、間というのが侵食されてしまう。だからみんなでやる時にはたとえみんなの中に混じっていても、ものすごく脳みそを使って、どこをどのようにすれば良いのかを忘れないよう頭に叩き込む。そしてフアナが一人でやってくれる時の音に全神経を集中させる。フアナがチラッと見せた動き、ほんのすこしの言葉も絶対に見逃さず、聞き逃さず、忘れないように。

ちなみに、クラス時に録音や録画をする人も多いけど(フアナのクラスは一部録画OK)、私はクラス時には機械に頼らないようにしている。クラスはクラスで集中した方がいいというのが私の個人的な考え。録音や録画をしたければ、一人になった時に、クラスで学んだことを総動員して自主練習する時にすれば良い。ICレコーダーや携帯はなくしたり盗まれたら終わりだから。そこまでなくても、録音したつもりが、録音されてなかった!なんて経験がある方、多いんじゃないんでしょうか?(笑)

フアナのブラッソ(腕)やマノ(手)の使い方も独特。エスクエラ・セビジャーナ(セビージャ派)の使い方を初心者のうちから叩き込まれている私にはとても新鮮。フアナのスタイルは叩き込んで下さった先生方とは真逆の発想。でもスタイルは異なっても、そこにフラメンコがぎっしり詰まっている。フアナの音もそうだけど、私はフアナのマルカール(マルカへ)がすごく好きだ。マルカール(マルカへ)とはフラメンコのリズムであるコンパスを刻むこと。そのシンプルな動きでリズムを刻むフアナの踊りは、やはりシンプル、そしてシンプルだからこそ濃い。フラメンコが。個人的にはパソよりもそっちをもっと教えてほしいと思う。フアナの踊りを見ていても、ああもうちょっとマルカール(マルカへ)が続けばいいのになあ、すぐにサパテアードにするのはもったいないって思っちゃう。(個人的な好みの問題だと思いますが)

フアナ・アマジャはヒターナ(ジプシーの女性)。生粋のヒターナの血が流れている踊り。フアナの踊りが好きで、フアナみたいに踊りたくて習っている人世界中にたくさんいるだろう。気持ちはすごくよく分かる。でもフアナはフアナでしかない。彼女を真似することはできない。もし真似できたとしても、3番煎じか4番煎じでしかない。

ちなみにルイス・ペーニャのクラスでも同じことを感じる。ルイスの教えをそのままに、それは素晴らしいことでもあるけど、ルイス・ペーニャ「みたいな」踊りになってしまってはいけない。

ではどうするのか。

だからここでも受ける側の準備が必要だ。誰に習っても自分の踊りにすること、それができる確固たる精神と内面の純粋さ。

ヒターナの踊りはヒターナだからできる。ヒターナでない人間がそれを真似することはできない。真似できていると思っているのは本人だけで、はたから見れば滑稽以外何者でもない。

フアナ・アマジャは一人。

私も一人。

あなたも一人。

  • マノロ・マリンのクラス(タンゴ・デ・トゥリアーナ)

23435043_1462609747109899_8341015517460759777_nマノロ・マリンを知らない人もいらっしゃるかな・・・。フラメンコを教える人は世の中にたくさんいるけれど、マノロはその中でも偉大。マノロ・マリンの元から現代活躍するたくさんの踊り手が飛び立った。マエストロ中のマエストロ。そのマノロ・マリンの4日間のみのクラス。中上級はソレア&ブレリアで、初級がこのタンゴ・デ・トゥリアーナ。トゥリアーナの主であるマノロが教えて下さる、タンゴ・デ・トゥリアーナ(トゥリアーナのタンゴ)を是非学びたい!と思って申し込みました。(私にとってレベルはあまり関係なく、自分が習いたいものを習っています。)

マノロの弟子、つまり現在、教師や踊り手として活躍しているスペイン人アーティストも何人か受講していました。もちろん彼らも素晴らしい先生で、素晴らしい踊り手なのでしょうが、いやー、やはりマノロが素晴らしかった、私にとっては。現代風のなんでも誇張する踊り、それは一見見栄えがしてかっこいいのかもしれないけど、私は全然興味を覚えない。マノロのようにシンプルでありながら、だからこそ味のある踊りがいいんです。15年くらい前に習った、マティルデ・コラルのタンゴのクラスでも同じようなことを思ったなあ。一瞬同じ時代のトゥリアーナにタイムスリップしたような錯覚を覚えた珠玉の時間。

昔のトゥリアーナのタンゴ(Rito y Geografía del Canteの一部)→https://www.youtube.com/watch?v=bwc_pzvP3G4

毎日ワクワクしたクラスだったけど、特に最終日に素晴らしいことが起こりました。いつも後ろの列いる私をマノロ先生は前列に引っ張り出して下さり、私とパレハで踊って下さったのです、そのタンゴ・デ・トゥリアーナを!!!最初はびっくりしたけど、マノロ先生が「これがトゥリアーナのタンゴだよ」と一言おっしゃって下さり、ああああ、そうだ、こうやって昔トゥリアーナではタンゴを踊ってたんだって、もちろん私はその時代を知らない。それはビデオでしか見たことないけど、きっとそうなんだ。マティルデがトゥリアーナのタンゴがなぜああいう動きなのかというのを教えて下さったことを思い出し、緊張しつつ、噛み締めながら踊りました。

振付だけ見れば簡単かもしれない。技術的には難しくない。でもフラメンコってそういうことではないんだ。人によっては好きな踊り手の動画を見ただけで振付をとって踊ってしまう人もいるだろう。でもそういうことではないんだ。そうやって振付だけをとって踊っている人は、そうね、確かに器用で上手なのかもしれない。でも踊りに匂いがしない。私からすると全く興味を覚えない。

トゥリアーナのタンゴですっ!!!って鼻息荒くして踊る人もいる。タンゴ自体はそれらしく上手に踊れても、トゥリアーナもグラナダのタンゴも区別がつかないで踊っている人もいる。いろいろな人がいるけど、やはり重要なのは「Vivencia(ビベンシア)」なのではないでしょうか。つまり、生きること。その時代、その場所、その人達と生きること、人生を共有すること。その「Vivencia」のある踊り手とない踊り手では雲泥の差。もちろん「Vivencia」のある人が教えるのと、そうでないのだって月とスッポン。その「Vivencia」がないから誇張するしかない(つまり自然には踊れないから)、その「Vivencia」がないからその踊りのルーツが分からない、ルーツを知らない。その「Vivencia」がないから踊りも教えも他人の物マネ、受け売りで形骸化してしまう。

ルイス・ペーニャのクラスに時々モロンの男の子が遊びに来る。踊り手ハイロ・バルールの弟さんなんだけど、彼が歌って踊るブレリアはまさに「Vivencia」の塊。あれは習ったり学んで練習したものではない。「Vivencia」とはそういうもの。

じゃあ、そういう血筋に、そういう環境に生まれ育っていない私はどうすれば良いのか。

私は私なりのできるだけの「Vivencia」を探す。もちろんそうしたところで本当の「Vivencia」を持っている人には届かない。でもそれでもいいのだ、だって仕方ない。もともと「違う」のだから。それを同じようにしようと見せかけるからおかしなことになるのだ。それが無理だと諦めて本質と対峙しないからフラメンコでなくなるのだ。そもそも、そういう人達に届かないから自分という人間が劣っているわけではない。もちろんそういう人達と競争しているわけでも、比較するわけでもない。

私は私。私なりの「Afición(アフィシオン)」で生きてゆく。

フラメンコそのものを愛し感じる心。神髄を探求し続け、見極める心の眼と耳。

2017年12月2日 セビージャにて。

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