フラメンコの振付についての考察①

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

ただ今、新大阪に向かう新幹線の中。到着まであとまだ1時間くらいあるようなので、ブログを更新。

パソコンが壊れていた間に考えていたこと。

振付について。フラメンコの踊りの振付をするということ。

特に東京では、たくさんのオープンクラスやクルシージョ(短期講習会)を受講する機会に恵まれているし、動画配信サイトなどでも振付をとるのは言ってしまえば簡単。でも、そのとった振付をどう使うかというのがよく分からない人が多いのではないかな。

習った振付を最初から最後まで丸々使う場合もあるけれど、これは後程説明するとして、まずは、こっちの先生のこの部分と、あっちの先生のあの部分と、というように振付を切り貼りつなげて、“自分の”振付にするというパターンの場合。以下の2パターンの場合が多いように思えます。

① “フランケンシュタイン” 型

とにかく自分の好きな踊りのパーツをつなぎ合わせているので、本人は踊っていて楽しいかもしれない。でも、そのつなぎ目がはっきりと分かってしまう・・・。あ、今、○○のパソが始まった、→あれ、今度は××のレマーテが来たぞ。→うわ、今度は△△の振りですか〜?!・・・というような感じで、観ている方はつなぎ目が気になって踊りに集中できない。もしくは流れが悪いので観ていて踊りに乗れない。

② “食べ放題バイキング” 型

習った振りやパソを全部1曲に詰め込まなければ気が済まない。限られた時間の中でとにかく食べられるだけ食べる。和・洋・中華・イタリアンなんでもよし。質より量。・・・でも食べた後、結局何食べたんだっけ・・・?とふと疑問に思う。とにかくいろいろなものを観たような気がするが、でも結局何を観たのか全然思い出せない踊り。

・・・あるある。

これはですね、洋服のコーディネートを思い出して頂けると分かりやすいと思います。

世の中にはたくさんのお店があり、デザインも色もいろいろな洋服が溢れかえっている。靴もバッグもアクセサリーも。お金を出せば買えるわけです。でも、何を買うのか、何を元々持っているのか、それらをどう組み合わせるのか、そこにその人のセンスが現れるわけです。たくさんの服を持っている人がおしゃれなのではない。高いブランドの服を持っている人がおしゃれなのでもない。

では、何も考えずに服を買うのでしょうか?何も考えずにただシャツを、スカートを、靴を闇雲にコーディネートするのでしょうか?持っているアクセサリーを全部身に付けるのでしょうか?

コーディネートするにあたって、TPOがあるわけです。そしてその人なりの体型や個性や考え方やその時、そのコーディネートを通して自分をどう表現するのか、そういうものがその人のセンスと関わってくるわけです。そしてそのセンスがないと、服自体がどんなにステキでも、そのステキな服をたくさん持っていたとしても意味がないわけです。

しかも持っている服を全部着るというのは不可能です。持っているアクセサリーを全部身につけたらどうなるのでしょう?想像してみて下さい。でもそれがフラメンコの振付で平然と行われているのです。

そして、

③ “ブランド志向” 型 というのもあります。

とにかくブランド物を身につけていれば安心。そのロゴさえあれば「おしゃれ」と思われる。・・・フラメンコの振付の中にもあります、あります。「プーロ(純粋な)」フラメンコの踊り手の振付を踊れば、自分も「プーロ」になった気がしているという・・・その考え方がそもそも「プーロ」ではないということに何故気付かないのでしょう。

例えば世の中「ファルケーロ」と呼ばれる、ファルキートのマネをした踊り手がいっぱいいるけど、ファルキートはファルキートでしかない。ファルキートが唯一無二であると同じように、あなたという人間が、私という人間が、あなたという、私という唯一無二の人間であるということにどうして気付かないのでしょう。その踊りを「プーロ」だと思ってしまうのは、観ている方もブランド志向だから。本物というのがブランド物を着ることではなく、ブランドだろうと、なんだろうと着ている本人だということに、その本人が本物でなければ「プーロ」でありえないということに、そろそろ気付いてもいいんじゃないかな。

まずはそんなところ。考察はまだ続きますが今日はここまで。

2014年8月25日 と考えているうちに大阪に着きました♪

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