エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目②

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日のブログ「エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目①」の続きになります。

その後、また円陣になって座り、いろいろなエバがいろいろな話をしました。今日のクラスの方式はピナ・バウシュがよく使う方法だそうで、そうしてピナは作品を作ってゆくそうです。エバの作品「Lluvia」(雨)も同じ手法で作られたものだということ。ただし、本番の1週間前までそれをずっと繰り返していたので、誰もどのような作品になるのか分からなかったらしい。初演が終わった後、ビデオを通して見て初めて自分たちが何をしたのか理解したそう。

それから舞台作品を作る上での困難さも話していました。ただフラメンコの曲をつなげていくだけのフラメンコ公演では飽きられてしまう。そして、一つの作品を作っても、すぐに次の作品を求められる。自分が作品のイメージや意図を持っていても、舞台監督の意図によって、自分がこうしたい、という希望を貫けないこともあること。その作品がどれだけ売れるか、というプロデューサーの商業的観点も排除はできないこと・・・etc。

確かにいくら自分がアーティストとしてこうしたい、という希望を持っていてもその作品が観客に受け入れられなければその作品が世に出回ることはない。つまりアーティストとして活動できない。でもそれを全て迎合してしまったらそのアーティストとしての存在価値はなくなる。もしかしたら売れるかもしれないけれど。エバは言っていた。どうしたら観客を拍手喝采にできるのか、彼女は知っている。でもそれはあえてやらない。なぜならそれでは簡単過ぎるから、だそうだ。・・・分かる気がする。

それからどう話題が変わっていったのか忘れたけど、エバの言葉で残っているもの。

「舞台の下で他人を幸せにできない人は、舞台の上でも観客を幸せにできない」

そう、本当にそうだと思うのだけど、その瞬間、前日のことを思い出してしまった。それまで、もういいや、って割り切って、すっかり忘れてまでいたことが私の脳みそを支配してしまいました・・・。しばらくそれでまた集中できなくなってしまって、それからのエバの話はあまり耳に入ってこなくなってしまった。

やっと耳に入ってきたのはパントマイムの先生が話し始めた時。舞台を効果的に使う方法なんかをいろいろ教えてくれて、それはエバもメモをとったりしていました。興味深かったのは、エバがパントマイムの先生に「フラメンコにおいて技術の面で足りないところは?」と質問したら、マイムの先生は「自分を解放するところ」と答えたところ。マイムの先生は謙遜してか、「私はフラメンコをあまり観た事がないのだけど」と前置きしていたけれど、あまり観てなかったとしても、重要なポイントは絶対に観ているはずなんだなと思った。そういう回答が出て来るということは。

そしてこんな話しもしていた。「フラメンコは踊り手がただ踊るだけでなく、ギターや歌の助けがある。彼らの出す音や歌や、パルマ(手拍子)、ハレオ(かけ声)も一体になってフラメンコが形成されている。そこが他のジャンルの踊りと異なるところ。パントマイムでは自分の動きしか観客とコミュニケーションをとる方法がない。だからその動きにものすごく厳密にならないと相手にちゃんと伝わらない。そもそも日常生活においても相手に大して怒ったり、嫌な気持ちになるのは、相手とのコミュニケーションが不足している場合が多い。相手が悪い人だから、とかではなく。」

それを聞いてはっとした。昨日のことはもしかして、そのコミュニケーション不足が原因だったのかも・・・やっぱりエバと話そう。もういいやって自分で片付けてしまったけれど、本当はよくない。きっと私はその気持ちに蓋をしたようで、それはいつまでもくすぶり続ける。それは私にとってもエバにとってもよくない。

でも、それでもクラスが終わった後、ちょっと迷っていました。こんなことエバに話すのはやっぱり悪いかな・・・ちらっとエバの顔を見た時にエバを目が合いました。その瞬間にもうエバの方に私は歩き出していました。「エバ、ちょっとお時間よろしいでしょうか?そんなに長くかかりません。昨日私が感じたことをお話したいのですが・・・」と話しかけて、エバから名前を聞かれたこと、「ジュンコ」と答えた瞬間にエバが首を振ったこと、何人かの生徒がクスクスっと笑ったことを伝えました。

エバが「あなたが何て言ったのか聞き取れなかったのよ。ジューコ?ジュンコ?って、どちらか分からなかった。」そう言った時、今まで考えていたことが全てへなへなと崩れてゆきました。そしてこう続けました。「誰かが笑ったのかは気付かなかった。でももし誰かが笑ったとしても私にはそんなつもりはない。あなたがお金を払って時間を費やしてこのセミナーに学びに来ていることは分かっているから、そういう人を笑うことは私はしない」そしてこうも言っていました。「首を振るんじゃなくて、『なんて言ったの?聞こえなかった』とその時あなたに聞き直せばよかったのかもしれないわね。でもあなたもそういうことはその場で言わなくてはダメよ。そんな思いをずっと持ち続けるなんて理不尽だわ。あなたのためによくない」。私が「あの時はびっくりしてしまったし、その瞬間皆の前で言うことはできなかった。」というと、エバは「もう気に知るのはやめなさい」と言って、なんと、私のほっぺたにキスをしてくれたのです。。。信じられない・・・、普段、にこりとも笑わない人が。呆然としてしまったのだけど、エバが立ち上がったので慌てて私も立ち上がり、「ありがとう」と言ってそのまま家に帰りました。

やっぱり直接話してよかった。もし話さなければ私は彼女を誤解したままだった。コミュニケーション不足。たった一つ仕草で、たった一言が出ないだけで。そしてその時に思い切って話す勇気がないだけで、人は人から完全に離れてしまう。人は人を完全に離してしまう。

・・・きっとそういうことが日常生活でもあり、逆に私がクルシージョで教えている時にもあるのかもしれない。特に日本では思っていることを口に出す文化がない。むしろ黙ってしまったり、もしくは相手とも関係性を重視するあまり思ってもいないことを口にしたり。特に私が先生の立場で、相手が生徒さんであれば余計にそれは難しい。きっと自分の知らないうちに誰かを傷つけていることもあったかもしれない・・・。

そんな話を家で夫にしたところ、「それじゃあ、明日写真撮りに行こうかな?」と言っている。「うん、よろしく」

というわけで最終日はアントニオの写真付きです。

2015年6月1日

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