「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」公演を振り返る。⑤

_DSC4492まだまだ続きます。この場をお借りしてお礼を伝えたい人がまだいるから。

Pili Cordero(ピリ・コルデーロ)。私の公演衣装を作って下さっているセビージャのデザイナーさんです。ピリには本当に感謝している。衣装って自分の踊りの一部であり、自分の肌の一部であり、自分自身の一部だから。だからとんちんかんな衣装は着ら_DSC9001
れない。それを来てどこへゆく?何をする?という衣装。私はマネキンではない。踊り手である。私が踊るのはカンテである。カンテの意味する所と衣装があっていないもの。それはとんちんかんな衣装。センスは人それぞれ。それをいいという人も悪いという人もい
11892288_10153600590576228_4885871619768055469_o11951159_10153600621526228_2274562926375277741_n11145236_10153600627036228_844854643374039427_nるだろう。でも衣装の意味をはき違えてはいけない。でないと踊っ_DSC3828_DSC383911986606_10153600625581228_7122084261107081787_n11702861_10153600612856228_3430037748196316529_n11225162_10153600653346228_9222885402521069079_nているのは私ではなく、衣装になってしまう。

その意味で、ピリの衣装は最高だ。

フラメンコの踊りのために捧げられた衣装。とにかく踊りやすい。スペイン人のプロフェッショナルな踊り手達がこぞってピリに頼むのは当然だと思う。特にバタ・デ・コーラ。ピリのバタ。バタのピリ。

大体衣装を決める時、私はピリの工房に行く前に、セビージャの生地屋さんを徹底的に周る。何度も周る。店員に顔を覚えられ「コイツは見てるだけで買わない」と嫌がられるほど(笑)これはどうだ、と思う生地をじーっと見る。素材を確認する。値段も確認する。生地をぱ〜っと目の前で広げてみる。またじーっと見る。布をぎゅっと手で握ってみてしわにならないか確認する。(かなり嫌な客だと自分でも思う)照明があたった時のことを想像してみる。客席からどう見えるのか想定してみる。そうして生地と対話していると、ははっは〜君が変身したい衣装はこんなだな!と分かってくる。ピリに電話する。大体のデザインを伝え、何m必要か確認する。そこで初めて店員を呼ぶ。布を切ってもらう。布を購入する。

ピリの工房へ生地を持ち込み、生地を見せ、デザインを口頭で伝える。その時、ピリの顔がぴかーんと光ってにやっと笑ったら、その衣装はもうできたも同然。(ただし納期に関してはビシっと伝えなくてはならない。)時々私の考えていたデザインとちょっと異なることもあるのだけど、でも自分の意見に固執しなければそれはそれでもOK。結果的にはそっちの方がいいこともあるから。

こうしてできたのがタンゴの黄色い衣装と、ガロティンの黄緑のバタ・デ・コーラ。

今回はただ曲に合わせて衣装を作るのではなく、この公演の中での意味・位置づけもよく考えた。お客様からしたら「あの衣装かわいい」とか「ステキ〜」とか、場合によっては「衣装あんまりよくなかったね」なんて思われることもあるのかもしれないけど、実はいろいろな意味がこもっている。そんなことを何年か前のエバ・ジェルバブエナのクルシージョで学んだ。あれは確か「Federico según Lorca」という名のガルシア・ロルカの詩を元にした舞台だった。その中でエバが緑の衣装を着ていた場面があったが、それもただ緑が好きだから緑にしたわけではないそうだ。その意味をクルシージョで教えてもらって、その時には「へーそんなこと言われなければ分かんないよ〜」と思っただけだったのだけど、舞台作品を創るってそういうことなんだと認識が新たになったのは確かだ。

確かにそういう裏話というかエピソードを知るのも、公演を観る時のもしくは観た後の楽しみかもしれない。でもそれを知ったからといって、その公演が分かった、ということにはならないと私は思う。逆に言えば、分からなくてもいいんだと思う。むしろ自分で感じることだと思う。どうしても“理解”したい人は自分の頭で考えればいい。答えなんていくつでもあるのだから。公演を観た人の数だけ。そうやって観客一人一人が自分自身の問題としてその公演に、踊りに向き合ってほしい、と私は思う。

そのエバの言葉でずっと心に残っているものがある。

「観客がフラメンコをどれだけ理解しているか、よりも
自分がどれだけフラメンコを理解しているのか、問題はそこにある。」

観客がもしフラメンコを理解していないとしても、自分がフラメンコをどれだけ理解しているかによって、その自分から発せられるフラメンコはフラメンコを知らない観客にも届くということを、エバは補足していた。

ほんとうにそうだ。・・・でもそう言い切るには勇気がいる。私の場合は。

人に分かりやすいフラメンコというのがある。拍手をもらいやすいフラメンコというのがある。でもそうではないフラメンコの中に実はフラメンコの真実が隠れていたりする。スペイン人のプロの踊り手だって、評論家と呼ばれる人だって、前者の方を評価する場合もある。実際にあった。だとすれば一般の人は?・・・・想像に難くない。自分が信じているもの、追い求めているものが後者だとしても、それを理解してくれる、感じてくれる人が圧倒的に少なかったら?

趣味で公演を開催しているわけではない。公演というのは、私の人生における芸術表現だ。少なくとも私にとっては。自分が生きていく中で自分自身の人生から紡ぎ出されたもの。紡ぎ出さずにはいられないもの。それらが人生の要所要所で一つの区切りとして表に出てゆく。それは必然的なことであるという意味で自然なもの、自発的なものでありながら、でも何かを生み出すという意味では人造的、創造的なものでもある。

創造すること。

フラメンコの中で。フラメンコの中でその可能性を見つけること。

自分勝手にフラメンコを切り刻み、何かととっかえひっかえして細工することを創造とは呼ばない。それはフラメンコへの敬意が足りない。フラメンコをきちんと学んでいないからそういうことをやってしまう。かといって、プーロ(純粋な、という意味)と呼ばれる、伝統的な踊り手を踏襲しているだけでは、ただのモノマネ。模倣でしかない。しかもその踊り手には決して追いつく事すらない、“三番”煎じ、いや、四番でも五番でも、百番煎じでしかありえない。

だから創造することは難しい。苦しい。出来上がったものを観るのは簡単だ。でもそれを創り出すのは生半可ではできない。創造の苦しみ。でもその苦しみと葛藤の中から自分の手で掴み出したものは、誰とも何とも比較することはできない。それだけで価値がある。それが創造の歓び。

でもその道を、自分の芸術的意義において突き進むこと、他のものは何も見ず、聞かず、まっしぐらに突き進むことが果たして本当に正しいことなのか、その思いもある。

なぜか?観客がいるから。観客があってこその公演だから。

そういうことも考えて公演を創る。かといって観客に100%迎合するわけでもない。あるギタリストが言っていた。

「ジュンコ、オレ達は観客を教育しなくてはならないんだよ」

直訳すると変な感じかもしれない。“教育する”って、別に上から目線で観客を見ているわけではない。要するに、アーティスト側が手取り足取りして観客の誰もが理解しやすい、分かりやすいフラメンコ公演を創ってはならない、ということだ。そうすることで公演の、フラメンコの、芸術の質が下がってしまうから。その言葉もずっしりと私の中に残っている。

そう、だから、いろいろなことが私の中を去来して、結果的にあの公演になった、のだと思う。でも、その去来した悩みや苦しみをお客様にぶつけない。それを転化させたい。公演に来て下さった方が、「楽しかった!」「フラメンコ、やっぱり好き!」「フラメンコ初めて観たけどまた観たい!」「明日からまたがんばろう!」そう思って下さるような、お客様がキラキラ輝くような(私が輝くのではなくて)公演にする、それは最初から決めていました。

そして今改めて思い返してみると、うん、そういう公演になったのではないかな!という満足感があります。もちろん自分の反省点はいっぱいあるけれど・・・

(・・・つづく)

写真:アントニオ・ペレス

2015年9月21日

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