萩原淳子のフェスティバル・デ・ヘレス2016鑑賞記②

みなさんこんにちは。

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラで開催のフラメンコ・フェスティバルは昨日終了しました。期間中に観た公演鑑賞記第2弾です。

2月28日(日)、この日はヘレスから電車で1時間程のウトレーラという町でアンへリータ・バルガスのオメナへ公演があり、ヘレスからウトレーラへ移動。アンへリータ・バルガス。フラメンコ界全体が敬意を表する国宝級の踊り手。しかし4年前に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺となってしまった・・・。この公演のレポートはまた別の機会にブログにしたいと思います。本当に感動的な公演でした。

  • 2月28日(日)マヌエル・リニャン公演(会場:ビジャマルタ劇場)

0fceb0adbdウトレーラでの公演が意外と早く終わったので、公演後へレスにまた戻る。とはいえ21:00開演には間に合わず、22:30くらいに劇場に着いたかな?公演途中から客席に入れてもらったので、多分公演の最後の方少しだけを見られたかな?マヌエル・リニャンとルシア・ラ・ピニョーラがそれぞれ衣装を変えて同じ踊りを繰り返す場面。その衣装の1つはバタ・デ・コーラ。本来は女性特有の衣装とされている裾の長いフラメンコ舞踊の衣装だけど、マヌエル・リニャンはそのバタをはいて踊る珍しい男性舞踊家。しかもとてつもなく上手い。何年か前のやはりヘレスのフェスティバルで、バタ・デ・コーラとマントンの確かカラコレスを踊り、観客の度肝を抜いた。考えてみれば男性の方がどう考えても筋力があるから、肉体的にはバタを動かしやすいのだろう。動きが女性のそれに比べるとダイナミック。でもルシアも負けず劣らずバタを上手に扱っていた。派手なバタの動きは特にないのだけど、シンプルなバタの動きにそれが現れていた。

そしてゲストアーティストのトロンボも登場。この人は本当に真のアーティストなんだな。舞台の上に立っているだけで何かを発している稀有な人。そしてちょっと踊ればまたすごい。前述のリニャンやルシアのように複雑な技巧を用いたサパテアードはしない。シンプルな昔ながらの音使い、動きも伝統的。でもそれなのに、いや、だからこそトロンボのアーティストとしての光が輝き出す。彼が持っているアルテ、フラメンコ。その大部分は故ファルーコ(現在のファルキートの祖父)から譲り受けたものなのかもしれないが、トロンボそのもののアルテに昇華している。トロンボの出す一音一音に、一振り一振りにオレーが出てしまう。とはいえ、劇場内でオレを連発しているのは私くらいか?(笑)多分他にもいるはずだが、少数派なんだろう。ビジャマルタ劇場にいる観客の大半は、派手で超絶技巧を駆使した分かりやすい踊りには大歓声を上げるけれど、そうでないフラメンコ(いや、それでこそフラメンコなんだろうけど)には反応が薄いという傾向がある。

最後はリニャンのバタ・デ・コーラとマントンのソレア。もうリニャンといえばバタなんですね。でも私は前述したバタとマントンのカラコレスの方が好きだったなあ。初めて観たから印象が強かったのかなと思うのだけど、そもそもバタとマントンでソレアを踊るというのは難しい。技術的にというよりも、なんというか・・・、例えばカラコレスだと曲が明るくテンポも早い。リニャンのように体育会系でバタを扱う踊り手にはもってこいの曲。とにかくバンバン元気よく動かして、観客をあっと言わせることができるから。明るい曲だから衣装も見栄えがするし(あの時は確か真っ赤なバタだった)。でもソレアとなると曲がゆっくりでシリアスになるため、その“体育会系”バタではない部分でバタを、マントンを、ソレアを魅せなくてはならない。・・・それが難しいんだよね、ソレアを踊ることも、バタやマントンでソレアを踊ることも。でもそれがあるからこそバタ自身にアルテがこもる。だからバタ「も」ソレアを踊る。バタ「で」ソレアを踊るんじゃなくて。私も(と比較するのはおこがましいのだけど)バタでソレアを踊る時があるので、やっぱり難しいんだなあと思いながら観ていたのでした。

ビデオはこちら→https://vimeo.com/157073504

  • 2月28日(日)23:30開演 マカニータ(会場:ラ・グアリダ・デル・アンヘル)

_DSC6314
_DSC6340_DSC6472上記マヌエル・リニャンの公演の後、一緒にヘレス入りしている夫と一緒に夕食。劇場公演は21:00から始まるし、その前はいろいろ予定が入っているので、結局公演後、23:00近くに夕食をとることになってしまう。この日から1週間ピソを借りているので、自炊ができて便利。ホテルだとなかなかそうもいかないですね。が、一度ピソに帰って食事をしてしまうと、また外に出るのが億劫になってしまう。今日はウトレーラにも行ったし、そのまま休もうかなと思っていたのですが、いや、やはりヘレスで歌うマカニータを聴きに行こう!ということで、グアリダへ行く。私達が着いた時にはもうコンサートが始まっていて、終わりの頃だった。でもそれでも行ってよかった。これまでマカニータを聴いていたのは、主にセビージャの劇場で。でも何度聴いても、そんなにみんながいいっていう程マカニータすごいなと思ったことがほとんどなかった。でもこの日は違った。やはり自分の土地で歌うというのは全然違うんだろうなあ。今迄聴いたマカニータと別人のようだった。これが、みんなが言うマカニータか!と。特にソレアがよかったなあ。あのソレアを聴けただけでも大満足。伴奏のギタリスト、マヌエル・バレンシアもよかった。

それにしても、やっぱり観客って重要なんだと思う。フラメンコを観ている側(聴いている側)は、あの公演がよかったとか言うけど、(私もそうだけど・・・)自分の観客としての質を問う事ってほとんどない。観客側に、そのアーティストのアルテを受け止める器があるか、そのアルテを輝かせる引き出しがあるのか?ただチケットを買って席に着いているのではない。有名アーティストの公演に行きました、写真とりました、っていうんじゃあ動物園に行って檻の外から動物を眺めているのと同じ。アーティストは見せ物じゃない。フラメンコはアーティストと観客の相互のエネルギーでその瞬間瞬間に生み出されるもの。だから観客の側にもそのエネルギーを担う何かがなければ、真の意味ではフラメンコは成立しない。私ですらそれを感じるもん。自分がフラメンコを感じる瞬間に、同じ様に感じてオレーが出て来る観客の前で踊るのと、そうでない状況で踊るのと・・・。

もちろんフラメンコの知識も必要かもしれない。歌詞の意味が分からなければ本当の意味ではフラメンコは感じられない。その「雰囲気」は感じることができるけど。だからスペイン語とアンダルシアの文化、ヒターノの文化を知るのも必要。でもそれで頭でっかちになっていて心が閉ざされたら、どんなにフラメンコを知っていようが、自分ではフラメンコを愛していると信じていようが、フラメンコを感じることができない。自分が愛していると信じるフラメンコのみに固執する人、そしてそれ以外のものに関しては観る前から、聴く前から先入観を持っている場合も同じ。だからフラメンコを守ってゆくには、真の意味でのフラメンコ愛好家の存在が必要なんだと思う。その観客の層があることによってアーティストは学び、自分の能力をさらに開花することができる。逆にそうではない観客、つまり表面的なカッコよさや単なる技術の高さにスタンディングオベーションをする観客ばかりだと、アーティストはその観客に感化される、そういう観客が喜ぶフラメンコに迎合するようになる・・・・好むと好まざると。

だから結局、自分はどうなんだ?という話になる。

  • 2月29日(月) ベレン・マジャ(会場:アルカサル)

d79ee50d4dフェスティバル20周年記念にちなんで、ヘレス市内の、劇場以外の20カ所の特設会場で開催されたミニ公演のうちの1つ。アルカサルという歴史的建造物の中で開催された「Romnia」という公演。

ビデオはこちら→https://vimeo.com/157144226

ビデオを先に観ると、なんだこれは?という印象を受けるかもしれない。「Romnia」というのはヒターノ(ジプシー)の言葉で、ヒターノの女性のことを表しているらしい。迫害されてきた長い歴史を持つヒターノ。その中でもヒターナ(ヒターノの女性型)はさらにヒターノの中の男性優位主義の元で二重の苦しみを持ってきた、そして今も持ち、将来も持ち続ける。その苦しみ、悲しみ、でも生きてゆく強さ、その中での喜び、そういったものをベレン・マジャは今回3つの女性像を踊りで表現した。残念ながら私は遅れてきたので、ビデオ内の最初の場面は観ることができなかったのだけど、この公演の趣旨を元に理解する限り、片胸を出しているのは母性の象徴を表しているのかもしれない。

伝統的なフラメンコ、つまり、カンテとギターの生伴奏があって伝統的なフラメンコの曲を踊る形式では全くないため、これはフラメンコじゃないという意見もあるのかもしれない。でも、ベレンがフラメンコのルーツ、そして自分自身のルーツ(ベレンはヒターノの父マリオ・マジャを持つ)に目を向け、そこから自分なりの表現を通して公演につなげていく創造性を持つアーティトであることには間違いない。そういえば、マリオ・マジャも自身のルーツ、ヒターノの迫害の歴史を元に舞台作品「アイ!ホンド」を創っていたっけ。

そして、会場であるアルカサルの空間を十二分に利用していたのも素晴らしい。3つの女性像を表すにあたって、同じアルカサル内でも3カ所に分けて観客も移動させる手法。移動の方法、移動時間等非常にうまく計算されている。そして舞台と客席が一体化されている状況をも利用して、観客を公演の中に巻き込む手法。これも上手い。ベレンのキャラクターとも相まって、そして天候にも恵まれ、観客とベレンが一体になった公演だったと思う。

マヌエル・リニャン、ベレン・マジャ公演写真:フェスティバル・デ・ヘレス公式HPより。Foto Javier Fergo para Festival de Jerez

マカニータ写真:アントニオ・ペレス撮影

2016年3月6日 セビージャにて。(本日へレスより戻りました)

Comments are closed.