萩原淳子のフェスティバル・デ・ヘレス2016鑑賞記③

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

すでにフェスティバルも終わり、私はセビージャに戻りましたが鑑賞記の続きです。いろいろ思い出すのも楽しいものです♪

  • 2月29日(月)21:00開演 メルセデス・ルイス(会場:ビジャマルタ劇場)

JAVIERFERGO_MERCEDESRUIZ_08_copy人気・実力ともにヘレスの踊り手No.1といっても過言でないメルセデス・ルイス。その彼女がヘレスのフェスティバルでビジャマルタ劇場で自身の公演を引っさげて踊るのだから、これはもう盛り上がらないはずはない。共演アーティストもギターのサンティアゴ・ララ、カンテのヘスス・メンデス、ダビ・パロマール、そしてゲストアーティストにパコ・セペーロ。ヘレスのアーティスト達を中心に豪華共演陣となっている。公演名は「Déjame que te baile」(デハメ・ケ・テ・バイレ)。踊らせてよ、あなたに踊るから、みたいな感じの意味。(上手く訳せないな〜)メルセデス・ルイスのファンだったら、「どうぞ、どうぞ、どんどん踊っちゃって下さい!」と思わず言いたくなるようなタイトル。

ビデオはこちら→https://vimeo.com/157217360

最初の幕開き、メルセデスが舞台中央に一人立ち,照明があたっている。とても素敵。その後の舞台転換でのホリゾント(舞台の背景部分)の使い方もよかった。ホリゾント部分を舞台場面によって大黒幕(ホリゾントにかける幕。その幕を全部かけるとホリゾント部分は真っ黒になる。)で部分的に区切り、幕のない部分に照明をあてる。実はこの方法、日本で開催した私の公演「ハモンは皿にのせるだけでよい」でも使った手法で、大掛かりな舞台装置を必要とせずに場面転換を効果的に行えるので、時々他の舞台でも見かける。劇場公演というのは舞台空間の芸術でもあるので、ただ踊ればいい、歌えばいい、弾けばいいというわけではないと私は思っている。その意味で今回のメルセデスの公演のホリゾントの使い方はなかなかいいなと思った。

フラメンコファンならご存知の通り、メルセデスは全ての技術に長けた踊り手。何をやっても上手い。公演名通り、これでもかこれでもかと次から次へといろいろな曲を踊ってゆく。ただ個人的に気になったのは、踊れば踊るほど、さっき観た前の踊りとかぶる部分が増えてゆく。例えばガロティン(帽子なしでコリンで踊った)とアレグリアスとブレリアと曲種を変えて踊っても、なんだかどれも同じに見えてくる。恐らく彼女の中で気に入っている動き、もしくはやりやすい動きが曲種が変わっても何回も登場するからなのではないか?それをメルセデスの個性ととらえることもできなくはないが、何度も繰り返される動きや仕草を観ていると、もうそれは見ましたが・・・、とつい言いたくなってしまう・・・・何を踊っても上手な分、その部分が私の目には際立ってしまって残念だった。公演名の通り、とにかくメルセデスが一人で踊りきることを目的とするなら、振付をもう少し考える、つまりそれぞれの曲にはその曲のルーツや雰囲気、その曲なりの動きというのがあるのでそこをクローズアップすれば、曲が変わっても同じ様な動きがまた出て来るというのは必要最少限にとどめられるのではないだろうか。この点に関しては私自身がソロ公演を行う時にものすごく注意していることで、だからこそ気になってしまったのかもしれないけど・・・。

個人的に心からのOleが出たのは、ゲストアーティストとして登場したパコ・セペーロのギター。彼のギターを生で聴く事ができて本当に感謝している。歴代の歌い手達の伴奏を担ってきたパコ・セペーロが、バタ・デ・コーラのアレグリアスを踊るメルセデスに伴奏。カンテはカディスの若手実力派カンタオールのダビ・パロマール。パコ・セペーロ伴奏のアレグリアスといえばやはり大御所の歌い手ランカピーノだけど、このダビ・パロマールとの組み合わせも悪くない。なかなかいいぞ。メルセデスの踊りはバタがよくないのか、動かし方に問題があるのか・・・、バタの動きはちょっと?という部分もあったけど、パコ・セペーロのギターを尊重して踊っていた所、そういう振付構成にしている部分はいいなと思った。(そうでなかったらゲストにパコ・セペーロを呼ぶ意味がないか。)それにしてもあのギター。いろいろ音を詰めて弾く必要も、複雑なリズムでソニケーテを繰り出す必要もない。音の1つ1つがフラメンコだから、親指で一音出しただけでフラメンコに染まる。あの大きな舞台空間が。そしてその音と音の「間(ま)」。その間があるからこそさらに染み渡るフラメンコ。その場にいて彼のギターを聴くだけで身体の中にどんどんフラメンコが充満してゆく。だからOleが出るんだよね。Oleっていうのは溜まりにたまったフラメンコの発露だから。

  • 2月29日(月)24:00開演 バルージョ(会場:ラ・グアリダ・デル・アンヘル)

_DSC7560_DSC7673_DSC7518これが観たくて観たくてたまらなかった。バルージョのソロライブ。何年か前に観たセビージャのペーニャ・トーレス・マカレナで観た彼のソロライブの興奮を思い出すといても立ってもいられなくなる。バルージョ。本命はフアン・フェルナンデス・モントージャ。フラメンコ史に偉大な名前を残した踊り手、故ファルーコの孫にあたる。ファルーコの孫といえば現代フラメンコ界で最も有名なのはファルキートだろう。そしてその弟のファルー。つまりバルージョはファルキートのいとこにあたるわけだ。これまでファミリア・ファルーコ(ファルーコ一族)として活動することが多く、そうするとどうしてもファルキートやファルーの影に隠れ気味になってしまっていたバルージョ。しかし、あれは何年前だったか、もう10年くらい前か、ファルキートとファルーと、バルージョがそれぞれソロを踊る公演がセビージャであって、その時に踊ったバルージョのソレアが忘れられない。あれからというもの、私はバルージョ派(そういう派が本当にあるのか分からないが)になっている。もちろんファルキートは素晴らしい。でもそのファルキートさえ持っていないもの、それがバルージョにあるような気がしてならない。思うに、これは本当に私見だけど、故ファルーコの血を一番濃く引いたのがバルージョの母ピラールであり、そしてその子どものバルージョなんではないか。そこには外国人である私にも、さらには一般のスペイン人、アンダルシア人、ヒターノのアーティストにも持ち得ない、ファルーコ一族の一部の人間だけが持ちうる「血」が関与しているとしか思えない。もし「フラメンコ・プーロ(純粋なフラメンコ)」という言葉を真の意味で使うとすればファルーコの血、バルージョの血というところに最終的には行き着くのではないか。

前置きが長くなったけど、その前置きのままのライブ。それ以上の踊りとなった。そして特筆すべきは、ギター伴奏のエル・ペルラ。久しぶりに聴いたペルラのギターに血液が沸点に達する。あの音の立ち方。そこにそう音を入れるか!!!という絶妙なレマーテ。特にブレリア。彼のブレリアを聴いた時の興奮度合いはトマティートのそれに匹敵する。バルージョもペルラのギターを心から感じ、ペルラもバルージョの踊りを引き出し、こんなにギターと踊りが共鳴し合い、高みに昇っていく場を目の当たりにすることはめったにないように思う。バルージョはオープニングに短めのアレグリアス、そしてコルドベス(帽子)を使ったタラント、そして最後にソレア・ポル・ブレリアの計3曲を踊った。本当はバルージョのソレアを観たかったのだけど、ソレア・ポル・ブレリアでブレリアに入ってからのあるレマーテの瞬間、あの一瞬があればそれだけでいい、と今では思う。その瞬間が来ることは分かっていたのだ。でもその瞬間に思わず身体が飛び上がってしまった。Oleだけでは済まされない何かがそこにはあった。飛び上がったのは私だけではない。最前列にいた彼の一族も。だって、そうだろう、あれは座ったままOleなんて言う訳にはいかない瞬間だったもん。

ああああああ、なんという夜だったのだろう。

  • 3月1日(火)21:00開演 ヘスス・カルモナ (会場:ビジャマルタ劇場)

JAVIERFERGO_IMPETUS_08_copy勝手ながら夫と私の間で、このヘスス・カルモナにあだ名をつけている。そのあだ名とは「宇宙人」。ヘスス・カルモナの踊りを観た感想を「あの踊りは地球の人間では絶対にできっこない。違う惑星から来た踊り手なんだよ!!!絶対!!!」と私が言って以来、ヘスス・カルモナは「宇宙人」になってしまった。(笑)・・・にしても、本当にそうなのである。あの完璧な技術を、そしてあり得ないレベルの技術をどうして、自分と同じ種族の人間が持てるのか?いや、自分と比べてはへそで茶をわかしてしまうか。(笑)世の中には同じ種族の人間でも、ものすごい踊り手というのはあまたいる。そんな踊り手達と比べたとしてもヘスス・カルモナは人間とは思えない。そして技術だけでない。フラメンコ性も傑出している。技術オンパレードで、全くフラメンコを感じられない踊り手というのも世の中にはいるが、ヘスス・カルモナは全部完璧。あえて欠点をあげるとすれば、完璧すぎる所か・・・?

これまではヘスス・カルモナといえばその高過ぎる技術とフラメンコ性を駆使した、アレグリアスのイメージが強かった。でも今回のソロで踊ったのは重厚なシギリージャ。歌はフアン・ホセ・アマドール。この人の歌も聴けば聴く程いい。アーティストとしての存在感、伴奏者としてのコンパス、そして年齢とともに厚みと深み、艶を増すカンテ。こんな歌い手のカンテに太刀打ちできるのは、やはりヘスス・カルモナのような大物舞踊家になるのだろう。この二人のシギリージャがあっという間にフラメンコの世界に引きずり込む。そして最後はマチョと呼ばれる盛り上げの歌、もしくは高速弾丸サパテアードで終わらせるのではなく、あえてフアン・ホセ・アマドールのトナーと共に歩いて去ってゆくヘスス・カルモナ。これは彼だからこそなせる業としかいいようがない。拍手が止まらない。

群舞のレベルも高く、特にフェルナンド・ヒメネス(写真左)の舞踊性とマリア・モレーノ(写真右)のフラメンコ性が傑出。照明はたまにタイミングがずれる時があって少し残念だったけれど、紗幕を利用した照明効果が功を奏していた。(ちなみに紗幕とは、薄い幕のことで、その後ろにアーティストが位置し照明を後ろからあてると客席からはその人物が透けて見え、照明を前からあてるとその人物は見えない。)公演内の群舞の量が多過ぎた感もあり、もう少しヘスス・カルモナの踊りをソロで堪能したかったかな・・・とも思ったけど、いい舞台だったと思う。

ビデオはこちら→https://vimeo.com/157356802

メルセデス・ルイス、ヘスス・カルモナ公演写真:フェスティバル・デ・ヘレス公式HPより。Foto Javier Fergo para Festival de Jerez

バルージョ公演写真:アントニオ・ペレス

2016年3月7日 セビージャにて。

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