Dec 15
2008年12月15日 ブログ
Hagiwara Junko | ブログ | 12 15th, 2008| Comments Off

みなさんいかがお過ごしでしょうか?こちらセビージャではクリスマスに向けて一気に加速度が増しています。普段は静かな日曜日もクリスマス商戦とばかりにお店も営業、不景気を逆手にとったバーゲンにどんどん人が群がっています。

そんな中、一人もくもくとスタジオに通い猛練習を続ける私。そんな毎日も先々週の日曜のコルドバ・ペーニャ公演でようやく一息つくことができました。

スペインでは12月にはたくさんの「お食事会」があります。(日本の忘年会みたいなものかな?)クリスマス前に、普段はなかなか全員顔を合わせられないこ とが多い友達や職場の仲間同士で、普段とは少し違う特別な場所で、特別なおしゃれをしてお食事をするのです。先日のペーニャ公演も、普段のペーニャ会場で はなく特設舞台を設けたその特別な「お食事会」でした。その特別な場に踊り手として招かれたことを本当に光栄に思っています。

共演した歌い手、ヘロモ・セグーラがの言葉が印象的でした。「ジュンコ、地方の村のペーニャのほとんどがあまりお金がなくて、セビージャのペーニャ のよう に毎週ペーニャ会員が楽しむようなフラメンコ公演を企画することができないんだ。そういうペーニャは一年に一度だけアーティストを招いてフラメンコ公演を 楽しむんだ。僕たちが今日出演する公演が、その一年に一度だけの公演なんだよ。そしてペーニャ会員達は、『ああ、あれはいいフラメンコ公演だった。』と来 年の12月の公演までずっと思い出しては語り合うんだ。彼らはそうやってフラメンコを楽しむんだ。」

私は知りませんでした。そんなペーニャがあったなんて。私の踊り、私達のフラメンコを来年まで語りついでくれるなんて。それを踊る前に聞いてよかった。高 い舞台に上がって広い特設会場を見渡した時、私は幸せを感じたように思います。たくさんのペーニャ会員の一人一人に「ありがとう」と言いたかった。本当は 舞台から降りて彼らと同じ席で一緒にお食事したかった。でも私は踊り手。私ができるのは踊りだけ。踊りを通してでしか私は真の意味で人の心とつながること ができないのです。特設舞台はガタガタ横揺れして、踊り終わった後舞台から降りる階段を踏み外し、ごろごろごろごろ~と転げ落ちてしまったけど(お客さん からは見えなかったのでよかった)私は踊った!今でも残っている、ひざ小僧にできた3つの巨大なあざはその踊りの証だわ、と思っています。

踊り終わった後、ペーニャ会員のおばあちゃん二人が手をつないでやって来ました。(こちらのおばあちゃはよく手をつないでいます。)「アンタ、どう やって 踊ってるの?」「アンタ、アルテ(フラメンコの芸術性、日本語に直すと固すぎるかな)を持ってるねぇ」「これからも踊り続けなさい」と言って両手で私の ほっぺたをぎゅっと挟んできました。しわしわの手だったけれどとてもあたたかかった。本当にあたたかかった。

踊りが上手かろうが下手だろうが、私には関係ないのです、最終的には。プロの踊り手である以上、技術的なレベルをもっと伸ばす責任はあるしその訓練 は欠か しません。でも最後に私に残るのは、この私自身。人を愛して愛される私。フラメンコを、自分以外のすべての存在を愛し愛そうとする私の心。その心が「真」 であればあるほど私の踊りは「フラメンコ」になると思うのです。それが私にとっての「プーロ(純粋な)・フラメンコ」。

この公演で2008年の踊りを締めくくることができそうで幸せに思います。日本人だろうとなんだろうと、私はとにかくスペインで踊る、そうして実力をつけ る。そう心に決めて必死に踊ってきました。そして確かに自分の実力は舞台の度に伸びていると実感しています。でも実力って何かな?「ジュンコ」という名前 がほんのちょっと前より知られるようになったからといって、だから何なのかしら?私は踊り手で、スペインでは「LA YUNKO(ジュンコ)」で日本では 「萩原淳子」。でも私は私。私はただの人間。そのただの人間がフラメンコと出会って、フラメンコを通して人の心と触れ合うができる。私の心は踊りを通して 人の心に届く。なんて素晴らしいことだろう。それだけで私は生まれてきた甲斐がある。それ以外に何を望む?家族の健康と世界の平和。それだけ。

2009年も私が私でありますように。踊り手である前に一人の人間として私の人生を生き抜くことができますように。愛を持って。

2008年12月15日 セビージャにて。

萩原淳子