Tango de Pepico(タンゴ・デ・ペピーコ)

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

今日のブログのタイトルは「Tango de Pepico」。先日面白いことを教えてもらったので、今日はそれをブログにしようと思います。

先日ガルシア・ロルカの作品「ベルナルダ・アルバの家」の演劇をセビージャで観ました。その演劇の中でエストレージャ・モレンテの「Tango de Pepico」が使われていました。彼女のCDに収録されているタンゴなので、聞いた事のある方もいらっしゃるかと思います。(YouTube でも「Estrella Morente -Tango de Pepico」で検索するとその歌が聞けますよ。)その歌詞と演劇の内容が一致していたので、へ〜面白い使い方だな〜と感心して聞いたのです。

舞台の後、一緒に観に行ったスペイン人の友達に「ジュンコ、あのタンゴの歌詞の意味分かった?」と聞かれました。その友達には、聴き取れないフラメンコの歌詞について質問することが時々あるので、逆に向こうから聞いてくれたのです。その歌詞の意味はばっちり分かった私は、「もちろん分かったよ〜ん。『ペペがいなくなってから、菜園に誰も水やりしなくなって、薄荷とパセリが枯れちゃった。ペペ、私を苦しめないで〜』という意味でしょ?」と得意気に答えたのですが・・・・ ちなみに歌詞は以下です。

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Desde que se fué mi Pepe

el huerto no se ha rega(d)o.

La hierbabuena no crece

y el perejil  se ha seca(d)o.

Ay Pepe mío Pepe mío ven pa(ra) acá

Que no me hagas más sufrir

que ni tampoco me hagas más llorar.

※歌詞聴き取りは私です。ちょっと違うところもあるかも?

ちなみに()の部分はアンダルシアなまりのため発音されていない、と思われます。

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するとその友達はこう言ったのです。「あの歌にはドブレ・センティードがあるんだよ。」

・・・・・・「ドブレ・センティード」・・・・・それは難関すぎる・・・・・

「ドブレ・センティード」とは直訳すると「二重の意味」つまり一つの言葉や文章で表向きとは違う意味を含んでいる、そしてその意味の方が実は重要と説明できるでしょうか。和歌にも「掛詞」というのがありますね。それに相当するかと思います。(多分ですが。中学か高校の時に古文の授業で習った気がします。)

そしてこの歌詞の本当の意味を知る上でのポイントは「el huerto(菜園)」に「regar(水をやる)」。この裏の意味はなんと!「性交渉」を表しているんだそう。(こんなことブログにしていいのかな。まあいいか。ということで続けます。)そんな意味とはつゆ知らず、私はてっきり、ぺぺは農夫とばかり思っていました。水やりをしていたぺぺがいなくなってしまった今、自分が水やりをしなくちゃいけなくなってもう大変だわ、という意味かと。

でももう一つのの意味の方で解釈すると・・・つまりぺぺ(自分の夫、恋人、もしくは情夫?)がいなくなってしまってからというもの、私はご無沙汰で乾いちゃっているわ、ということ?ひえ〜、すごい意味。最後の2行「これ以上私を苦しめないで、そしてもう泣かせないで」というのも、それでつじつまが合います。確かに、菜園の薄荷とパセリが枯れたくらいで誰も苦しみませんよね〜。

いやそれにしても、そんなこと全然知らなかった。せっかく意味が分かるようになったと思って喜んでいたのに。やっぱり私は外国人だもんな・・・・とちょっとがっかりしていると、その友達は「アンダルシア人でもその意味を知っている人と知らない人がいるよ。例えばF(共通の友達で敬虔なカトリック信者。ものすごい堅物で有名。)は知らないと思うよ。」と言ってくれました。

なるほどね〜、じゃあ誰が知っているんだろう?と思い、その辺りに詳しそうな隣人Eを相手に早速実験することにしました。

私「ね〜ね〜、最近菜園に水やりした?」

E「先週したよ。でも今年は雨が多いからほとんどしなくて済むよ。」

と、真面目に答えてきたので

私「そっちの水やりじゃなくて、もう一つの方。いひひ。」

E「(にやりと笑って)ほぼ毎日」

なるほどね〜。こういう使い方をするのね!感心する私を後に、Eは屋上に洗濯物を干しに行きました。。。。。

それにしてもフラメンコの歌詞って奥が深い。深すぎる。外国人である私はスペイン語をまず勉強する所から始まり、なおかつフラメンコの歌詞にはアンダルシア方言とジプシーの言葉が使われているのでそれも理解しなくてはいけません。ここ数年ほど前からやっと歌詞の意味を聴き取れるようになってきて、それからフラメンコに対する接し方、感じ方、自分の踊りが随分変わったように思います。でもそれでも、まだまだ。あ〜遠い先のフラメンコ。本当に果てしない道のりなのですが、私はなぜか嬉しいのです。新しいことを知ること、そして少しずつカンテ(フラメンコの歌)を聴けるようになっている自分が。そのカンテを、その土地でその文化でその言葉でその感覚でその瞬間に理解する、感じる、共有する。少しずつそこに近づいている自分が。そしてそれと同時に、それでもまだまだ辿り着けない、深い深いフラメンコというものがこの世に存在していることが。それに出会う事のできた自分の人生が。

やっぱりフラメンコは素晴らしい!結論は必ずここに行き着くのです。

よし、セビージャ3公演まであと少し。がんばるぞ。

2010年2月19日 雨が降り続くセビージャにて。

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