志風恭子さんの批評から 2

みなさんこんにちは!ちょっと春らしくなってきたかな?いかがお過ごしでしょうか?

私は元気です。前回のブログをアップしてからたくさんの方から(主に公演にて私の踊りを観てくださった方々)励ましのメッセージと踊りに関するご感想を頂きました。「あの公演で歌い手が一番力を入れて歌っていたのがタラントだった」「歌に対して踊っていると思っていたので、背中を向けられたとは思わなかった」「これからもがんばって下さい」「泣きました」等。以前の公演の私の踊りに対する感想を寄せて下さった方もいらっしゃいました。本当にどうもありがとうございました。

志風さんからもその後個人的にメールを何通も頂きました。(セビージャでだったらバルで飲みながら語り合うのでしょうが。)それらのメールで、逆に志風さんの方が私自身よりも、私の踊りに期待して下さっているということに気づかされました。「スペインで食い込んでいこういう意気込み、それを実現させていく実力と実行力はすごい」(「」内は志風さんからメールからそのまま引用)そして、私の踊りを「あるレベルをクリアしているからこそ、エバやラフィをみるときと同じ視点でみて書いた」 とのことです。(注:エバやラフィ・・・エバ・ジェルバブエナとラファエラ・カラスコのことと思われます。)

そうか、、、そんな風に私は思われていたのか。ただ毎日毎日一生懸命学んできただけ、と自分では思っていたけど。でもその反面、いつの間にか私はセビージャに住み、そこで学び、そこで踊ることに慣れっこになってしまっていたんじゃないか、という気もしてきました。前に前に進んでいるようで、ある意味その現状で安住しちゃっている自分もいたのではないかな、と。自分の踊りを志風さんのような視点でとらえたことがありませんでした。志風さんの方がもっと先を見ていらっしゃる。私の踊りに関して。私が今年ウニオンのコンクールに出場することを志風さんはご存知で、そこでの入賞を意識していらっしゃる。ウニオンでは今回批評の対象となったタラントが審査されるので、それをふまえてあえて私のタラントに関して厳しい批評をして下さったのでした。ウニオンのコンクールに申し込んだのは私ですが、実際、入賞というのを自身では意識していなかったように思います。とりあえず申し込むだけ、申し込んだという感じ。私は自分に甘くなっている。その甘さを批評によってつかれた気がします。

そして、厳しい批評を拝読した時のショックの奥底にあったのは「人に高く評価されたい」という気持ち。そして今回の批評を、私の踊りを観たことのない人が読んだら「私は一体どう思われるんだろう?」という不安。他人の目を気にする小さな自分。さらに、自分が「こうだ!」と感じるフラメンコに関しては全く触れられていない批評を読み、反発の気持ちまで持ってしまった私。自分のフラメンコ観に固執するあまり、他の視点による意見を受け入れにくくなっているのではないか?そのプライドの高さというか自意識過剰というか、頭の固さというか・・・自分の人間としての浅はかさ、未熟さに気づかされました。もっと素直に謙虚になることで、私はもっと学べるはずだ。そう頭では分かっていたはずなのに、厳しい批評を公表されたことで、「なんで私がそこまで言われなくちゃけいないの?志風さんひどい!」なんて思ってしまった私。私の現地での活動を知った上で、そして私の今後のことまで考えて下さってあえて厳しい批評を下さった志風さん。感謝すべき方なのに。ひどいのは私の方ですね。

人間としてまだまだまだだ~。踊り手である前に人間でありたい。そういつも思っていたはずなのに、それがスコーンと抜けていた私。これから何をすべきか、振り出しに戻ってしまいました。でもそこに戻れたことも、そこに戻してくれる人がいるということも、私にとっては大切なことだと実感しています。(でも思っているだけじゃだめなんだ。ちゃんと実行しなくちゃ。)

「次回を楽しみにしています。期待していますよん」とおっしゃる志風さん、そして今回の件で励まして下さったみなさん、本当にどうもありがとうございました。不器用で時間がかかる私ですが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

次回は4/16(金)、4/24(土)に恵比寿サラ・アンダルーサで踊ります。今の自分を出すしかありません。

2010年 4月6日 中野にて。

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