萩原淳子ロンダ・コンクール優勝

[lang_ES]¨LA YUNKO¨quedo el primer puestoen el XVI Concurso de Cante, Toque y Baile ¨Aniya la Gitana¨ de Ronda.  Participará en el XLII Festival de Cante Grande de Ronda, que tendrá lugar el 21 de agosto, como la みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

私の方はと言えば・・・なんとロンダ・コンクールで優勝してしましました。↓
  • 2010年6月25日 第16回「カンテ・トーケ・バイレ全国コンクール「アニージャ・ラ・ヒターナ・デ・           ロンダ」優勝
  • 2010年8月21日  第42回「ロンダ・カンテ・グランデ・フェスティバル」出演
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子(優勝)
  • ハビエル・リベーラ
  • モイ・デ・モロン
  • ミゲル・ペレス

 

なんだかいまだに信じられません。コンクール決勝は金曜、夜通し行われ、朝5時過ぎにやっとセビージャに着きました。昨日は洗濯したり寝たり食べたり・・・をぼーっとしながら繰り返すうちにあっと言う間に日にちが変わってしまいましたよ。だからまだぴんと来ていないのかな?「優勝」が。
というより、そもそも私は自分が優勝するとは思っていなかったのです。決勝前日の合わせで、ギタリストのミゲル・ペレスにこんな事を言われました。「ジュンコが分かっているように、コンクールの結果というのは政治的な絡みがある。だからもし優勝できないとしても、決勝に残ったことだけでジュンコと俺達にとってはもう『優勝』したと同じことなんだ。『優勝できる踊りではない』と言っているのではないよ。ジュンコにとってこれから障害になるのは踊りじゃなくて、外国人であるということだ。なぜなら、外国人に『優勝』を与えるということは『フラメンコはわれわれのものである』と考える彼ら自身の尊厳を自分たちで自ら覆すことになる。それは矛盾だからだ。」
ミゲルは正しい。私にもそれは分かっていました。もちろん外国人であっても何か強力なコネがあれば優勝はできるかもしれない。でも私にはない。でもそれを分かっていて、敢えてコンクールに申し込んだのです。強力なコネを吹っ飛ばすほどの確固たる実力をつける。それが私に残された唯一の道だから。コンクール出場を通して実力をつける、優勝して踊り手としての道が今よりも開かれれば、舞台で私は成長できる。だけど、コネのない私は優勝はできないだろう・・・。いろいろな気持ちを抱えてあの日、ミゲルのスタジオから家まで歩いて帰りました。重いバタ・デ・コーラを持って。1時間もかかって。でもただ歩きたかった。
当日。決勝進出したのはマラガの踊り手ウルスラ・モレーノと私の二人。私たちはくじを引いて ①ソレア(私)②アレグリアス(ウルスラ)③アレグリアス(私)④シギリージャ(ウルスラ)という順番になりました。その1曲目の私のソレアが終わった後、ミゲルが私に言ったのです。「アレグリアスを今まで通り踊れば、ジュンコが優勝だ。」
え???だって外国人だから優勝できないって言ったのミゲル本人じゃなかったの???ぽかんとしてしまった私に、ミゲルが一言。「あのソレアで優勝できなければ、このコンクールはイカサマだ」
あの時のソレア。今考えると、あのサリーダ(出だし)で全てが決まったように思えました。こんなソレアのレトラ(歌詞)でした。今思い出してここに書くので多少違うかもしれませんが・・・
Toda la parte del mundo
sale el sol cuando es el día.
A mí me sale de la noche.
Hasta el sol va contra mía.
どんなことを歌っているのかというと、「世界のどこでも太陽は昼間に出る。でも私(のところ)には夜に出る。太陽までもが私に逆らっている。」こんな感じでしょうか?実際スペイン語の歌詞を日本語に訳すと無理があります。私自身うまく訳せません。日本語に訳してしまうと、自分がそのレトラを聞いた時の感覚と全く変わってしまうから。ま、それはまた別の問題として、この歌を聞いた時に自分の中から何かが「ぶわっ」と沸き上がってきたのです。あの独特の感覚がある時、私の踊りは私の踊りであり、私の踊りでなくなる。踊っているのは私だし、頭もちゃんと機能している。でも本当に私を踊らせているのはその「ぶわっ」だからです。
たとえセビージャに住んでいても、私はフラメンコの土地のものではない。私は明らかに外国人だ。でもカンテ(フラメンコの歌)を聞いているとフラメンコが自分の中にも生きているということ、それが自分の人生の一部をえぐり取っていることに気づかされます。カンテはジャンル分けすれば「音楽」なのだろうけど、それは本当に「音楽」の範疇に収まるものなのだろうか。カンテはメロディーではない。自らの感情の発露、爆発が言葉となって外に出たものだと思う。ある時はささやきだったり、またある時は叫びだったり。もちろん何を歌っているかよく分からない時もあります。でもその歌われていることが私の心を貫く時、そこから出る私の踊りも誰かの心を貫くのではないでしょうか。そしてそこに外国人であるということが、どれほど意味を持つのでしょうか。
私はウルスラの踊りを見ていません。ただ、彼女のシギリージャのサパテアードの音を聞いた限りでは相当実力があるように思えました。自分が外国人であるから・・・ということを抜きにしても、優勝するのは彼女かな、となんとなく思っていたのです。だから結果発表の時に「Segundo premio Ursula …..(第2位ウルスラ)」というのを聞いた時に「はぁ???」と思ってしまいました。「ってことは私が1位?」いや、待て、もしかしたら今年は優勝者がいないのかもしれない。私の名前が本当に呼ばれるまでは・・・・そして、「Primer premio japonesa Junko …..(第1位日本人のジュンコ...)」という声を聞いた時に思ったことは・・・。「もしやこれは『どっきりカメラ』では?!」そして思わず周りをきょろきょろ、あのどっきりプラカードを探してしまいました・・・・。こういう時に限ってなぜこんな発想をしてしまうのでしょう。日本のテレビ番組が(しかも古すぎる・・・)ロンダに来る訳がないじゃない。まったくもう。
でもその後が嬉しかった。なんと客席に、ウブリケ・コンクールの司会者の姿が!ウブリケ・コンクールといえばこれまでに私が3度出場し、昨年準優勝となったコンクールです。そのコンクールの司会者は毎年私を応援してくれて、今年はロンダまで応援に駆けつけてくれたのです!そしてまた別のウブリケの方からも昨日お祝いメールが。その方は、8月に私が出演するロンダのフェスティバルに観に来て下さるとのこと。ありがとうございます。正直言って、優勝したことよりもそっちの方が嬉しかったかな・・・
帰りの車の中ではミゲル、モイ、ハビエルが大興奮。疲れきって眠りこけるる私を「オイ、優勝者、眠るな!」と起こしてきます。ミゲルは「これで俺は賞を4つ獲得したぜ!ウブリケ(・コンクール)のイスラエル(・ガルバン)、ラファエル・デ・カルメン、コルドバのソラジャ(・クラビホ)、そしてロンダのジュンコに俺は弾いたんだ!」というより、その3人のすごい踊り手達と並べられちゃっていいんだろうか・・・。ミゲルが喜んでいるから何も言わないけど・・・。モイとハビエルは8月のフェスティバル出演できると決まってうっきうきの様子。夏のアンダルシアのフェスティバルに出演できるのはアーティストとしてとても名誉なことだからです。最近では不況のためフェスティバルが縮小されているので(中止のところもあるらしい)昔のように大物アーティストが続々とフェスティバルに出演することは少なくなってきました。でもやはりフェスティバル出演というのは私にとっては夢のよう。。。。
そんな私にミゲルが釘を刺します。「ジュンコ、フェスティバルに向けてちゃんと準備しろ。」そうです。もちろんいつでも準備しているし、このコンクールに向けてもさらに準備してきました。でもフェスティバル出演というのはもっともっと大きな責任が伴う・・・・今年のロンダのフェスティバルではホセ・メルセーが出演するそうです。そんな大物アーティストとともに私もフェスティバル出演するのだから・・・・
その緊張を今感じ、そして今週の木曜には別のコンクール「ラ・ウニオン」の予選でタラントとアレグリアスを踊ります。今日から今度はタラントの練習。応援して下さった皆様、日本の生徒さん達からのお祝いメールやお電話を頂きとても嬉しく思っています。どうもありがとうございました。そしてともに闘ってくれたミゲル、モイ、ハビエル。感謝の気持ちがこれからの私のエネルギーになっていくようです。これからももっともっとがんばりますので、どうぞよろしくお願い致します!
2010年6月27日 今日は妹の誕生日。おめでとう! セビージャにて。

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