セビージャに着きました&ウニオン予選落ちました

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

私は元気です。日本での3週間は怒濤のごとく過ぎ、先週の水曜にセビージャに戻りました。とにかく今回は暑かったのと忙しかったのと・・・大変!でしたが、第4回目となったクルシージョ、そして恵比寿「サラ・アンダルーサ」でのライブ3公演など非常に非常に充実した3週間でした。受講して下さった皆様、ライブにお越し頂いた皆様どうもありがとうございました。

あ、ご報告ですが、ウニオン・コンクールの予選は落ちました。たくさんの方に応援して頂き予選通過の結果を待ち望んで頂いていたのですが、通過ならず。予選では自分の踊りをできたと思っていましたし、ギタリストやカンタオール(歌い手)とも準決勝に向けて話をしていたのですが・・・・でも実は心の中で「通らないかもしれない」とも思っていたのです。コンクールに申し込んだ日から予選の日までに、いろいろな人の、このコンクールに関するいろいろな裏情報を耳にしてしまっていたからです。もちろんそれらは噂なので真実かどうかは分かりませんが。

予選落ちを知らされたのは7/26(月)、恵比寿でのライブの当日朝でした。予想はしていたものの、実際本当に落ちたことを知らされると悔しいのと虚しいのと・・・・こんな気持ちのまま今日は踊れるんだろうか。これまでのライブ2日間でせっかく波に乗って来たのに・・・がーん。と思いながら恵比寿に着きました。共演のエミリオ・マジャに「ウニオン落ちた」と言うと、そばにいた歌い手のエンリケ・エル・エストレメーニョがいきなり激怒し、「何だと????ジュンコがウニオンに落ちただと???」「あのコンクールは・・・・(日本語訳不可能の罵倒語)だ!!!落ちるべき踊り手が予選に通って、予選に通るべき踊り手が落ちる!!!俺が電話してやる!!!」ものすごい剣幕。実際にはエンリケはコンクール主催者に電話はしないと思うし、(多分ね。でもその気持ちだけで十分嬉しい。)結果は変わらないので私としてはもうどっちでもいいや、という気持ちでしたが、エンリケの激怒を目にして、なんだか逆に気持ちがすーっと落ち着きました。

そのお陰かな?月曜のライブの踊りは、やっぱり出て来た、あの「ぶわ〜」が。それはいつも出て来るとは限らないし、いつどこで出るかは分からない。でも時にして私の踊りに出て来るもの。うまく説明できないけど、何かをキャッチした時、何かと交信できた時(私は地球人ですが)、自分の中の針のようなものがマックスにふりきる瞬間があります。そうしたら後はそれに従うだけ。そしてそれがあの日、2部で踊ったアレグリアスの、2つ目の歌が歌われた時に起こりました。今でも覚えていています。すごい。自分がすごいのではなく、その瞬間が世の中にあるということが。それが自分に巡り回って来たということが。この瞬間があるから、私はフラメンコを踊っているのだと思う。やっぱりフラメンコって素晴らしい。自分の人生の中でフラメンコに出会えた事に心から感謝する瞬間なのです。

結局のところ、あの予選落ちの真相は分かりません。私が聞いた噂やエンリケの言っていた通りのことが起こってしまったのか?単に私の実力が予選通過者よりも劣っていただけの話なのか?どちらにせよ、コンクールの結果は結果でしかない。良くても悪くても。考えても仕方がないことは考えない方がいい。ネガティブになって自分に悪影響を及ぼすから。自分の踊りの問題点だけ反省して、そしてよかった所は自分の中で守る。そして踊り続ける。日本でもセビージャでも、コンクールでもそうでなくても。同じ。いつもフラメンコを探す。

そういえば、以前日本のコンクールに出場した時に伴奏して下さった、ギタリストの俵英三さんがおっしゃっていました。「淳子ちゃん、あのな、コンクールでは何でも100点をとらなあかんけど、フラメンコってのはな、1カ所1万点があればいいんや。あとの残りは0点でもマイナスでも構わん。みんなその1万点を探しているんや。」

そして!!!!その「1万点」を持つ踊り手のクラスを昨日見学しました。その踊り手の名はアンへリータ・バルガス。彼女を人間国宝と呼んでも過言ではないでしょう。国の宝。いや、世界の宝。今日から1ヶ月、私はアンへリータに習います。「習う」というより・・・その「1万点」の瞬間に出会えればいい。自分の踊りに「1万点」があってもなくても、ここには「1万点」の瞬間を持つ踊り手がいるのです。やっぱりフラメンコって素晴らしい!!!!

というわけで・・・・これからクラスに向かいます。またブログを更新しますね!

今年はセビージャより日本の方が暑いみたいですよ。どうぞご自愛下さいね。

2010年8月3日 日焼け止めを塗っているのに日焼けしちゃうセビージャにて。

Comments are closed.