アンへリータ・バルガスのクラス

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?
今日は月曜日。魔の月曜日。月曜はいつも調子が悪いのです。特に週末海に行っていたので・・・あんなに楽しんだのに〜!!!(写真:ボロニア海岸近くのローマ遺跡「バエロ・クラウディア」で飛ぶ私。ラララ〜♪)
月曜の朝いつものスタジオにこもって練習する自分が信じられない。いやだ〜!!!そんな調子で午前中の練習は不発に終わってしまいました。いかんいかん。
気合いを入れて午後からはアンへリータ・バルガスのクラスへ。クラスは18時から始まるので17時半には家を出なければいけません。スタジオまで歩く20分。暑い。8月のこんな時間帯に歩いているのは旅行者と私ぐらい。暑いのででれでれしそうだけど、ここで本当にでれでれ歩くとスリに狙われるので、とにかくすたすた歩く。スタジオに着く。今日のアンへリータは真っ青のワンピースにレギンス姿だ。昨日はショッキングピンクのTシャツ、その前は真っ赤なワンピース。もうすぐ還暦を迎えるはずのアンへリータ。こちらの女性は元気な色を好んで着る。太陽の光が強いので、日本人の色彩感覚からするとぎょえー!!っと思うような色が映える。逆に日本で素敵に見える色というのは、残念ながらこの街ではくすんで見えてしまうのである。
いつも時計を見て時間を気にするアンへリータ。時間通りに始まる。そして時間通りに終わる。1分でも延長するのがお嫌いのようだ。今クラスで振付けているのはソレア・ポル・ブレリア。生徒は私を入れて5人ほど。外国人の初心者の人が多い。以前の私は自分と同じくらいのレベルの生徒がいるクラスに所属したがっていた。でも最近はそうでもない。小ぎれいに上手に踊る人達というのはある程度のレベルを持っているけれど、多くの場合鏡の中の自分に満足していてそこから脱しない。脱する時は同じように小ぎれいに踊る人にライバル意識を燃やす時か、自分よりも技術レベルの低い人、もしくはパソや振付けをとるのに時間がかかる人を見て優越感に浸る時だ。そのような人達と一緒の空間にいると私は居心地が悪い。余計な疲労感を感じてしまう。本当に実力のある人というのは、もっとストイックだ。自己陶酔することもないし、クラスで自分の実力を誇示しようなんて思っちゃいない。ちなみに、こんな人間観察をしているから私の実力は中途半端のままである。
今のクラスはほとんど初心者の人なので、クラスがしょっちゅう止まる。なかなかリズムがとれなかったり、とれても足が思うように動かない人がほとんどだからだ。でもそういう時は、みんながつまずく部分が分かるし、どういう風に教えればできるようになるか考えることによって、自分の教授活動に役立つ。誰だってみんな最初は初心者なのだ。本当はみんな、永遠の初心者なのだと思う。(「みんな」というのが失礼なら、「少なくとも私は」ということにしておこう。)
この間発見したことは、初心者だからこそする質問に実は重要なことが隠されている、ということである。それらの質問は、フラメンコ歴の長い人からすれば「当たり前のこと」なのかもしれないが、実はその「当たり前のこと」が一番重要なんだと思う。でもそれは「当たり前」すぎて、もう考えなくなってしまっていたり、もしくは自分はできていると考えている。本当はできていないのに。初心者の人というのは、生半可な知識や技術を持っていない分、それだけまっさらの状態でフラメンコに接することができる。だからこそその質問は核心をついていることが多い。う〜む、とうならされる。彼女達と学べるのは本当に貴重だ。
さらに今日発見したことは、アンへリータの足さばきがなぜあんなに美しいのか、ということ。2年前彼女のクルシージョを受けた時も美しいな〜とずっと思っていた。でもどうしたらあのような足さばきになるのか分からなかった。でも今日分かったような気がした!ちょっと試してみた。するとすぐさまアンへリータに直された。形だけマネしても、それはできていることにならない。重要なことは「当たり前のこと」に隠されている。それを学ばなければなんの意味もない。
明日は何を発見するのだろう。自分のできていない部分がどんどん明るみになっていく。こんな私が来週の土曜にはロンダのフェスティバルで踊るのだ。今年のロンダ・コンクールの優勝者として。私は一体なんなのだろう。でも踊らなくちゃ。今私ができる精一杯のことをぶつけなければならない。それは本当にちっぽけな事なのかもしれない。何年学んでも何年セビージャに住んでもそのちっぽけさは大して変わらない。でもそれはそれで、私は私として受け入れようと思う。そこから私の踊りは始まるように思うから。
洗濯機がまだ動いている。もう夜中なのに。
あ、もう火曜日になってしまいました。
2010年8月10日 セビージャにて

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