ロンダ・フェスティバルを終えて 1

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

私は先週の土曜のロンダ・フェスティバル出演後あちらに2泊し、一昨日セビージャに戻ってきました。

フェスティバル出演に際し、たくさんの方々から応援のメールを頂きました。本当にどうもありがとうございました。みなさまに返信しようとずっと思っていながら、本番前の緊張や不安から、落ち着いて返信することができずにいました。ごめんなさい。フェスティバルが終わり数日経ち、今新たな自分になった気分です。これからお一人ずつきちんと返信させて頂きます。遅くなってごめんなさい。

今回のブログはちょっと長くなると思いますので、まずロンダ・フェスティバル当日の模様をブログにします。また後日、その続きをアップしますね。それでも長いと思いますが・・・お時間とご興味のある方にお読み頂ければ幸いです!(写真:アントニオ・ペレス)

コンクール優勝者として40年以上の歴史を持つフェスティバルで踊ること。外国人初の優勝者として。ずっとその責任というかプレッシャーというか重みというか・・・・そのようなものを背負ってロンダに着きました。出演順は①コンクールギター部門優勝者 ②カンテ部門優勝者 ③ルビート・イホ ④クーロ・ルセーナ ⑤私 ⑥ホセ・メルセーとのことでした。今年のフェスティバルの看板アーティストであるホセ・メルセーがトリを務めるのは当然として、その前が私????フェスティバル関係者の話によると、踊りを見て帰ってしまう人も多いとのこと。だから踊りはできるだけ最後の方に、とのことでした。・・・・ということは・・・・相当待つ。待つ。待つ。待つ。そしていつまで待つのか全く分からない。フェスティバルには時間制限がないし、特に歌い手というのは興に乗ればどんどん歌う。興に乗る前からマイクをつかんで離さない歌い手もいる。待っている方からすれば、これは体力と気力の闘い。

むき出しの土の上に立てられた仮設テントがその日の楽屋。裸電球、鏡、イス、テーブルしかない。水道もなく、もちろんトイレもない。トイレに行くには客席を通り抜けなければならない。床が土なので寝っ転がってストレッチもできないし足慣らしもできない。日本のなんでも揃っている楽屋に慣れているとびっくりしてしまうかもしれない。でもスペインでは(もしくはアンダルシアでは)ではよくある楽屋だ。もっとひどい楽屋に通されたこともあるのでがっかりはしない。もちろん飲み物や食べ物をどっさり御馳走して下さったり、私専用のシャワー室と新品のバスタオルまで用意して下さった所もあったけど。スペイン人アーティストの多くが日本で働きたがるのはお金のためだけではないだろう。予算の問題もあるので一概には言えないけれど、アーティストに対する敬意というものが楽屋にきちんとあらわれている国、それが日本だと思う。

5時間は待ったのだろうか?すぐ横の舞台から大音響のカンテが聞こえて来た。極限の精神状態の中であと何時間待てばいいのだろう。私のギタリストやカンタオール達は「こんなところで何時間もガマンできないよ」とすでにテントから出てしまっている。でも私は残る。出演アーティストが客席近くをうろうろしているのはおかしいでしょ?そして本番では何が起こるか分からない。去年のウブリケ・コンクールの決勝でも本番まで6時間以上待ったけど、なぜか勝手に順番を変えられて、出番がいつの間にか早くなっていたことがあった。もしその場にいなかったら・・・と思いぞっとした。あの時のことを思うと楽屋から離れられない。

舞台の板は「これは紙ヤスリか」と思うほどざらざら。そして板と板の間には段差があって、バタ・デ・コーラ(裾の長いフラメンコ舞踊の衣装)で踊るには致命的。大きな舞台だったけれど、ところどころボコボコ浮いている板があるので場所を選ばないとサパテアードがきちんと打てない。でも文句は言わない。私達が会場に着いた20時頃にはその屋外舞台はすでに完全に設置されてた。つまり逆算すればあのアンダルシアの最も暑い「魔」の時間帯にスタッフは屋外で働いていたことになる。それだけでも頭の下がる思いがするから。

やっと私の出番になった。もう時間の感覚はなかった。何時間待ったのかなんてどうでもよい。重要なことは自分の出番が来ることである。1曲目はソレア。踊っている途中、小さな男の子が駆け寄って舞台にお花を投げてくれた。そして歓声、拍手、拍手、拍手。感動。そしてそれに続くモイの歌。この人のカンテには何か恐ろしいものが含まれている。いつも必ず遅刻してくるし、電話をしてもほとんどつながらない。行きの車の中ではホセ・メルセーの歌マネをしてみんなを爆笑させていたモイ。でもこの歌い手が歌うソレアは一体なんなのだろう。上手な歌い手はいっぱいいる。でもこの歌い手のソレアは・・・・

1曲目の後はすぐに2曲目のアレグリアス。セビージャから駆けつけて下さった、フラメンコ・ジャーナリストの志風恭子さんが着替えを手伝って下さった。カンテソロもギターソロもなく、もうアレグリアスが歌われている。そしてギターのトレモロが聞こえて来た。やっとここでアレグリアスを聴く精神状態になる。その音が私を舞台に向かわせる。しかし・・・・自分で思ったよりも1曲目のソレアで体力を消耗していた。そしてそれを回復できていなかったことに気づく。ざらざらの床はバタ・デ・コーラに噛み付いていつものように動かない。クラスでは「床のすべりが悪い時は・・・・」なんて偉そうに教えていたけど、実際本当に自分の身に振りかかって初めて分かるバタの難しさ。時々襲ってくるめまいと闘いながら、絶対に最後まで踊りきる、と覚悟を決めてアレグリアスを踊り始める。

ピクオの歌が終わり、ミゲルのファルセータも終わる。そして、まただ。この人、モイ。あの日モイはピニー二のカンティーニャスを歌っていた。もう私はバタ・デ・コーラごと宇宙にふっ飛ぶかと思った。この歌い手は・・・・怪物だ。あの日彼が歌ったカンティーニャスは・・・・ブログにするのが不可能だ。でもあの時の私はあのカンテを飲み込んで、自ら放出することができなかった・・・・。なぜだろう?体力が残っていなかったから?集中力も欠けてしまっていたから?舞台の状況が悪かったから?そうかもしれない。理由はいくらでも思いつく。でも本当のところはそうでない気もする。・・・・それは「なぜ日本人はフラメンコが好きなのか?」という問いの答えを考えるのと似ている。

アレグリアスを踊っている最中にもまた小さな子が(今度は女の子だった気がする)舞台にお花を投げてくれた。「すごい拍手で歌い出せない時があったよ」と終わった後にピクオが言っていた。数ヶ月前からのプレッシャーとあの過酷な状況の中、私は踊りきった。以前の私だったらその状況に押しつぶされてガタガタの踊りになっていただろう。よくもまあ踊れたものだ、と自分でも思う。私にお花を投げてくれた小さな子供たちや、満場のロンダのお客さんからの拍手は本当に嬉しかった。・・・でも私は落ち込んでいた。落ち込みからなかなか立ち直れなかった。

踊れればいいというものではない。あのモイのカンテを聴いて私の中で「ぶわっ」と何かが起こったはずである。でもそれが私自身から放出されなかったのだ。その放出がなければ、私の踊りはフラメンコでもなんでもない。ただの踊り。フラメンコの振付けを持ったただの動き。そんなもののために私は生きているのではないのに。

エバ・ジェルバブエナは言っていた。「一度 “あの” 感覚を持ったのなら、後は “sintonizar” をすればいい。その “sintonizar” の仕方を知ればいい。それを舞台で行えばいい。」

“sintonizar” とは、日本語に直訳すると「同調させる」とか、「調和する」という意味。ラジオの周波数を合わせる、とか言う時などに使われる単語だ。ただ実際その直訳をあてはめるとちょっと違う気もする。言葉というのはその時その場所で、その本人の口から出た瞬間にのみ本来の意味を放つから、あの時私が感じた感覚を今ブログにすることは難しい。でも一つ言えるのは、私はその “sintonizar” の仕方を知らない、ということだ。エバの言う “あの” 感覚は突然やってくる。いつ、どこから、なぜやって来るのか私には分からない。やって来ない時もある。そして同様になぜやって来ないのかも分からない。

自分の踊りが終わり呆然としたままだ。志風さんから「早く着替えないと風邪引いちゃうよ」と心配される。その通りなのだが、頭が働かない。着替えと後片付けの順番がごちゃごちゃになっている。やっと着替え終わったらすでにホセ・メルセーのカンテが始まっていた。私はテントから出て横から舞台を見上げる。ちょうどその時反対側のテントからパルメーロ(手拍子でリズムを司る人)のチッチャロが出て来た。すぐそばにいる。うわ〜やっぱりすげ〜な〜(すごいな、ではなくあえて「すげ〜な〜」と表記させて頂きます。失礼!)、このコンパス。さっき踊った自分の踊りのことなんぞすっかり忘れて私は幸せいっぱいになる。

フェスティバルが終わり、そのチッチャロとモライート(この日ホセ・メルセーに伴奏していたギタリスト)と一緒に写真を撮ってもらう。会場を後にし、今度は私が「一緒に写真を撮って」とロンダの人達から声をかけられる。「すばらしかった!」と。嬉しいけど・・・変な気分。今度はコンクールの時から私の踊りを観て下さっていた、というロンダのペーニャ会員のグループに取り囲まれる。みんな興奮していてそのまま拉致されそうだったので、丁重に何度も何度もお礼を述べ、先に行ってしまった志風さんを追いかける。

よかったのかな・・・・不思議な気分が続く。自分がダメだと思っている時ほど人は賞賛する。自分でよし!と思っていても他人の反応は逆だったりする。でもそれが一致している時もあるし・・・なぜだろう。志風さんには「あんまり考えすぎないでね」と言われたけれど・・・・。でも考えてしまう。どうして今日の踊りはああだったのだろう・・・。ホテルに着いてからもそれがずっと頭から離れなかった。

次回ブログに続く。

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