萩原淳子のセビージャ・ビエナル鑑賞記 ④

]みなさんこんにちは!今日も早速セビージャ・ビエナル鑑賞記第4弾です!

と行きたいところですが、昨日ある写真展を観に行ったら、このビエナルブログで紹介している写真家「ルイス・カスティージャ」さんがいらっしゃいしました。自己紹介をして「私の日本語のブログであなたの写真をお名前入りで載せているんですけど、よろしいでしょうか?」と伺ってみると、「もちろん!日本の人に私の写真を紹介してくているなんて、とても嬉しいよ!今度君のブログを見せて。私もホーム・ページを持っているんだよ。」とおっしゃっていました。

というわけでいつもご紹介している

【ビエナル・デ・アルテ・フラメンコ・セビージャ2010公式HP】www.bienal-flamenco.org

と、そこにアップされている写真を撮っていらっしゃる

【ルイス・カスティージャさんのHP】www.luiscastilla.com

を先にご紹介させて頂きます!ルイスさんはとてもいい方でした。このビエナル・ブログのおかげ(?)でお知り合いになれて嬉しかったです。もちろん、今日の写真も全てルイスさんのもですよ!

 

 

  • 9月30日(木)「HIBIKI este-oeste」マエストランサ劇場、小松原庸子スペイン舞踊団40周年記念公演

    【小松原庸子先生のインタビュー】(もちろんスペイン語で答えていらっしゃいます。)→
    775-yoko-komatsubara.html【公演の映像はこちら】779-hibiki-transforma-al-flamenco-en-nipón.html実はこの公演に本当は私も出演するはずだったのです・・・。庸子先生から「昨年の舞踊団マドリッド公演で踊った椅子を使った踊りとフィナーレのアレグリアスを踊ってほしい」との出演依頼を頂き、舞踊団スペイン公演に参加させて頂くのはサラゴサ万博、マドリッド公演に続き3度目になるはずだったのですが・・・練習日程がどうしても合わず、残念ながら今回は出演なりませんでした。これまでお世話になった舞踊団のみなさん。私は本当に群舞が苦手ですごくご迷惑をおかけしたと思うのですがみなさん親切にして下さって・・・。舞踊団外部のこんな私に声をかけて下さる庸子先生、縁の下の力持ちのスタッフのみなさん、いろいろなことを思い出すと、自分が出演する以上に緊張していました。客席で。「開演4分前です」という日本語のアナウンスが今日はなんだか誇らしく聞こえました。セビージャ最大の劇場「マエストランサ劇場」。お客さんは他のビエナル公演と比べると残念ながら少なめ。しかし、世界最大のフラメンコの祭典で日本の舞踊団が公演できるなんて本当にすごいことなのではないでしょうか。がんばれ、がんばれ、と誰にともなく心の中で唱えています。

    開演のアナウンス。しかしいつまでたっても客席の照明は落ちません。どうしたんだろう・・・。しばらくしてからプログラムの順番変更のアナウンスが流れました。この声はMさんだ!Mさんは舞踊団のスタッフの方。どんなに忙しくてもいつでも誰にも笑顔で応対して下さる。そのMさんの笑顔を思い出した時、上がらない幕の後ろからどどどどっという大きな音が。その瞬間私は昨年のマドリッド公演の初日を思い出す。共演のスペイン人の女性舞踊家の叫び声。彼女の衣装が見当たらないらしい。もう本番は始まっている。彼女はそれ着て今、舞台に出なければいけないのに。泣き叫ぶ彼女。衣装部屋と楽屋を走り回る舞踊団員と私。ああ!どうか、そんなことにはなっていませんように!!!!

    大丈夫。遅れたけど無事開演。照明が素晴らしい。衣装も美しい。舞踊団の群舞がさらに映える。今回の舞踊団員のほとんどの方とマドリッド、サラゴサでご一緒している。もうこうなると、いつものようにただの観客として観ることができない。がんばれがんばれがんばれ〜!

    ドランテスのピアノも英哲さんの和太鼓も英哲さん以外の太鼓軍団も素晴らしかったのだろうけど、私の意識は舞台の上にない。その裏にある。みんなちゃんと着替えられますように。緊張していませんように。がんばれがんばれがんばれ〜!

    庸子先生から踊ってほしいと言われた椅子を使った踊りが始まった。この中に私もいたはずだったのかな、なんてちょっと思ってしまう。自分が踊るのと踊るはずのものを客観的に観るのはこんなにも違うものなのか。もし踊っていたとしたら私はちゃんと自分の役目を果たせたのだろうか?そしてアレグリアス。マントンとバタ・デ・コーラを使っている。それらを扱い一人で踊るのだって難し。しかもそれを群舞として合わせるなんて。バタ・デ・コーラの高さ、角度、滞空時間、マントンの動き、それを群舞で合わせるのは至難の業だろう。そして位置取り。マエストランサの舞台は広いと言っても、出演者全員が舞台に乗っている場合、きちんと位置取りをしないと、きっとバタがぶつかる。マントンのフレコがひっかかる。

    公演前々日にセビージャ入りし、すぐにお稽古、本番を迎えたみなさんは、この公演後メキシコ公演へと旅立ってしまいました。舞踊団の方は慣れっこになっているこのハードスケジュール。でも身体には気をつけてほしい。そしてスタッフのみなさんも。舞台に立つこともなく、拍手をしてもらうこともない。でも舞台は踊り手だけでは成り立たない。「40周年」を迎えた小松原庸子スペイン舞踊団。私が生まれる前から存在してる舞踊団。40年という年月の重み。そして最後に、日本フラメンコ界のの先駆者のお一人として闘い続けていらっしゃる庸子先生。

    このブログを読んでいるフラメンコ練習生も私も、きっとみんながんばっている。いろいろなことと闘いながら。でも本当に大変なのは、道を切り拓くことだ。私が歩いている道はすでに誰かが切り拓いてくれたものなのだ。それを忘れて自分だけがんばっている気になっている私。そんな自分を恥ずかしく思う。

    がんばろう。そうして歩いていく跡が私の道になるのかもしれない。小さな小さな道だろうけど。

  • 10月1日(金)「NEGRO COMO LA ENDRINA」ホテル・トゥリアーナ、出演:イネス・バカン、ペドロ・ペーニャ、ペドロ・デ・マリア、コンチャ・バルガス、他

【公演の映像】787-vargas-peña-y-bacán.html

会場の「ホテル・トゥリアーナ」は実際にはホテルではない。普通に人が住んでいる。そのパティオ(中庭)に設置された屋外舞台。ここでのビエナル公演はたいてい夜23時過ぎに始まる。この公演は23時半。ビエナル期間中住人はベランダに飾り付けをし、そしてそこからフラメンコ公演を楽しむ。なんという贅沢。(左の写真には身を乗り出してフラメンコを楽しむ二人が映っていますよ。)22時以降音を出してはいけない、という法律で長年続いていたフラメンコ・フェスティバルがなくなってしまったというドイツ。日本でも住宅地でこんなに夜遅くフラメンコにしろコンサートにしろ行われるなんて考えられない。フラメンコが文化として生活に根付いている土地。ここでは他の劇場公演よりも圧倒的に地元の観客が多い。ハレオが全然違う。劇場での舞台作品を観るのもいいが、こういうフラメンコ公演もいい。照明や衣装がシンプルな分、アーティストの実力が問われる。個性が光る。

レブリーハの歌い手、イネス・バカン。すごく好きだ。観客のOLEを引き出すために大声を張り上げたり、(わざと)苦しそうな表情をしたり、そんな小細工する歌い手もいる中、イネスの歌は本当に彼女の心から出ている。シンプルで真実だ。ウトレーラのギタリスト、アントニオ・モジャ。彼のギターもそうだ。同じ薫りがする。

数年前、私はとあるプライベート・フィエスタに出演していた。そこでいつも弾いていたのがモジャだった。私はモジャのギターで1年半の間、何度も何度もソレアとアレグリアスを踊った。自分の踊りがいい時もあれば悪い時もあった。モジャのお陰で、ギターとカンテが自分の身体に入って身体から出て行くということを知った。そういう時、モジャは目を真っ赤にしてギターを弾いていたし、終わった後立ち上がって私をぎゅっと抱きしめてくれた。そしてそうでない時、ただ技術的に上手にしか踊れなかった時、モジャは私に何も言わない。何人かのお客さんは「君はバイラ・ビエンだね(上手に踊るね)」と言っていた。

いろいろなフラメンコがある。アーティストは自分の可能性を広げたり、それに伴いフラメンコの表現方法としての可能性も広がっていく。でもそれは表現「方法」だ。「方法」の前に、自らが表現するものがなければ。そしてその表現するものは一人一人の内面にある。内面が真実に迫っていれば迫っているほど、そこから溢れ出るフラメンコは「プーロ(純粋な、という意味)」なのだと思う。

「表現」とは、芸術というのを突き詰めて考えた時、厳密には何かを「表に現す」ことではない、と私は考える。内面にあるものが自分の中にとどめておくことができずに、ある瞬間をきっかけにそれが外に溢れ出ること。「表に現れて」しまうことなのではないか。フラメンコの原点というのは、そういう意味では芸術の極地にあるのではないか。いかに美しく見せるか、どれだけ難しく新しいことを行うか、もしくは逆にいかに自分が「プーロ」であることを見せつけるか、を競うことは、なんと虚しいことなのだろう・・・・。

  • 10月3日(日)「FLAMENCO SCHOOL MUSICAL」アラメダ劇場、ラウラ・ビタル・カンパニー  

    この公演は全くのノーマークだった。タイトルからして・・・「フラメンコ・スクール・ミュージカル」?きっと子供向けのフラメンコ・ミュージカルなんだろう。ところがどこからか招待券を頂き、日曜の夕方ならまあ、暇だし、行ってみるかと軽い気持ちで劇場に着く。

    すごい熱気。親子連れで満席。私は最後列の座席に座るしかない。入り口で頂いた公演プログラムを見てうなる。この公演はすごい。まずプログラムがビエナル公式用のものと、子供用のものと2つあるのだ。内容は同じ。でも子供用のものは、写真や字がカラフルで大きい。紙もつるつる光っている。確かにこっちのプログラムを見る方が公演への期待が高まる。そしてその出演者を見て驚く。この公演は当たりだ!!!踊り手に「JUAN AMAYA」の名前がある。フアナ・アマジャじゃないよ。フアン・アマジャ。 「EL PELON(エル・ペロン)」という日本人をナメたアーティスト名を持つこの踊り手は、ただの踊り手ではない。アルティスタだ。アルテ(フラメンコの芸術性)を持つ人。日本ではあまり知られていないのだろうけど、こちらには想像を絶する程の踊り手がまだまだいる。

    開演。座長の歌い手ラウラ・ビタルは「タナ・モンタナ」と称する「フラメンコ・スクール」の先生役として登場。この学校はフラメンコで子供を教育をする特別な小学校。その生徒達が小学生クイズ選手権出場することになる、というストーリー。開演前、降りたままのどんちょうの前でラウラがそれを説明する。それまでざわついていた客席の子供達はシーンとなる。一生懸命聞いている空気が伝わる。見えないけど彼らの目はきらきらしているだろう。(ま、私もだけど)

    どんちょうが上がって大笑い。写真上のバスが目の前に飛び込んで来た。舞台下手前方にはギターのエドワルド・レボジャールとパーカションの人がいる。彼らのブレリアのリズムで、ラウラはアンダルシア8県の地方の特色、その土地で生まれたカンテを紹介するレトラ(歌詞)で歌って行く。うまくできている。会場の子供達が楽しみながらフラメンコについて学べるようにできている。これはすごいわ。会場から大きな拍手がわき起こる。

    スクールバスは学校に到着。バスの黄色い車体が解体されると、その裏側は教室の壁になる。ラウラは クイズ選手権に向けて授業を進める。コロンビアーナ、グラナイーナ、ファンダンゴを歌っているのだが、歌詞でストーリーを表している。(ミュージカルだからね。)

    体育の授業になる。先の踊り手ペロンは体育教師役。カンティーニャスを踊る。時々バスケットボールをパスしながら生徒達も群舞で参加。動きは準備体操なのだが、不思議なことにフラメンコに見える。時としてペロンのアルテが炸裂。もちろんこの作品の中という限られた枠内ではペロンの全てを見ることはできない。それでも客席最後列まで伝わるペロンのアルテ。やはりこの踊り手はすごい。

    そしてこのペロンを起用したラウラ。えらい!!!上手な踊り手はいくらでもいる。サパテアードをだだだだ〜と打って子供達をびっくりさせることだってできたはずだ。でもあえてペロンを起用したラウラ。あなたは偉い。子供用のフラメンコだからって、子供にフラメンコが分かる訳ないだろう、なんて見くびってはだめだ。子供は大人以上に感性が豊かだ。そして偏見がない。アルテをアルテとして受け止めることができる。そして最初の出会いというのはとても大切だ。フラメンコ劇場公演を観るのが初めての子供達だっている。そんな子供達が初めて見るフラメンコの踊り手・・・それがペロン・・・いい。いい。とってもいい。

    こんなに何度も会場から拍手がわき起こった公演は初めてだ。私も本当に心から拍手していた。出演者も会場もみんなが一体になった公演。終演後誰もが笑顔だった。子供達が飛び跳ねている。皆幸せに溢れていた。

2010年10月10日(日)次回、ビエナル鑑賞記最終回となります! セビージャにて。

Comments are closed.