コルドバ・コンクール予選模様!

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
私は元気です。昨日コルドバ・コンクールの予選に出場しました。予選は土曜日まで続くらしいので、予選結果はまだ分かりませんが、多分予選落ちないんじゃないかな。
私が予選用に準備した踊りは、ソレア、アレグリアス、ティエント、ガロティン。(今年から予選で4曲踊らなくてはならない、という話は前回のブログに載せましたので詳しくはそちらをお読み下さい。)コンクール会場で受付を済ませると、ある人からこんな事を言われました。「4曲全部踊らないかもしれないから、得意な曲から順番に踊った方がいいよ。」
あれ?実力が分かれば、踊りが中断されることがあるというのは聞いていたけど、それでもとりあえず4曲は踊るものかと思っていました。受付の人に確認すると「そうですね、2曲で終わるかもしれないし、3曲で終わるかもしれない。良くても悪くても審査員が踊り手の実力を審査できた段階で終わりになります。」とのこと。なるほど。ならば作戦変更。踊る順番を①ソレア ②アレグリアス ③ティエント ④ガロティンにしてもらいました。ソレアとアレグリアスは一番踊り慣れている曲。この2曲を見てもらえば私の実力は分かってもらえるはず。それでもまだ足りなければ、今回の隠し球、ティエント。この曲はまだ新しいのですが、なかなかいい仕上がりになっているのです。ひょっとすると舞台で大化けする可能性大?!それでも足りなければガロティン。でもガロティンは踊らない事になるかも・・・・な〜んて予想しながら楽屋へ。
私の出番は14番。ちなみに私の前はマリア・アンヘレス・ガバルドン。え〜、だって、この人もうプロで自分の舞踊団だって持っているでしょう。踊りの教則DVDとかも出してるし〜。何で今さらコンクールに出るわけ?しかも私の前ってことは、後に踊る私が見劣りするじゃないの〜。なんてブーブー文句言っていたら、「ジュンコ、がんばれよ〜」とモイ・デ・モロンが楽屋に遊びに来てくれました。「モイは誰に歌うの?」と聞いたら、とある踊り手の名前を挙げました。あ〜、某有名舞踊団で活躍してた人ね。う〜む。でも考えてみたら、スペイン人のプロの踊り手と同じ土俵で審査されたいから、私はそういうコンクールに申し込んでいるんだ。今さら何をごちゃごちゃ言う。望むところでないか。
なんだかんだ言ってもう本番。ミゲルとカンテのハビエル・リベーラが席に着く。そして私は素明かりの中、舞台中央へと歩く。そして止まる。客席最前列よりも前、つまり舞台とほんの目と鼻の先に審査員席。ただ立っているだけなのに身体がぐらぐらする。その時、自分がクルシージョで教えていることを思い出す。人に教えていて自分ができないなんて、そんなふざけた話があるか!心の中で自分で自分を叱責する。普段生徒さんとやっていることを今自分に課す。そう、この感覚。大地とつながってきた。私はもうぐらぐらしない。
カンテが聞こえてきた。審査員と観客が立ち尽くしている私を見ているのだろう。でも逆だ。私が彼らを見ているのだ。ソレアが充満していく全身で。
歌を呼ぶジャマーダ。しまった!いつもより早すぎるテンポで出してしまった。私は緊張している。足もがくがくだ。でもテンポを落とすことはもうできない。ギターとカンテをついてこさせる。止まる。正直言って、この出だしは失敗に近い。この瞬間、もう私の踊りは中断されるかと思った。でもそれと同じ瞬間、客席から「Ole」というため息のようなつぶやきが聞こえた。うそ?!なんで????そして歌を待つ1コンパスの間に審査員の誰かが横を向いて、隣の審査員に「Tiene arte.」(「アルテ《フラメンコの芸術性》を持っている。」)と話しかけているのも聞こえた。・・・信じられない。でも確かに聞いた・・・はっきりと。多分大丈夫・・・・踊り続けよう。
踊れば踊るほどエネルギーが無限に放出されていく。時々会場から「Ole」という声がかかるのが聞こえて来た。このエネルギーは確かに観客に伝わっている。そのエネルギーの循環が私をさらに大きく深くしていく。
私は私のソレアを踊った。舞台袖で私の踊りを見ていた人達(コンクール関係者?)が立ち上がって拍手をしている。そう、これが私のソレアなんです。何年も何年もかけてできたソレア。たくさんの歴史が凝縮されている。そしてこのソレアを私はこれから何年も何年も踊り続けるだろう。
楽屋に戻る。アレグリアスの衣装に着替えなくちゃ。アレグリアスも私の踊りだ。ソレアとは全く違うけれども、私の踊り。と、その時ミゲルが楽屋をノックした。「ジュンコ、もう終わりだ。セビージャに帰るぞ。」え?終わりって、1曲で終わり?もう審査が終わったってこと?・・・・ということは・・・・ラッキー♪早く帰れる〜♪
でもそんなことで喜んだ私はバカだった・・・後から妙なことを耳にする。私が踊り終わった直後に司会者が「これでジュンコのグループは終わりました」と客席に向かって言ったらしい。なぜ直後にそんなことが言える?それを決めるのは審査員でしょう?ということは司会者は、もともと私が1曲だけしか踊らないということを知っていた?そしてその後マリア・アンヘレス・ガバルドンは2曲踊るらしいというのも聞いた。彼女こそ1曲で実力が分かるはず・・・・そしてあの某有名舞踊団元団員も2曲踊るとのこと・・・ということは・・・・????
帰りの車の中で、ミゲルとハビエルに聞いてみた。「司会者は私が1曲で終わりっていうのを最初から知っていたみたいなんだけど・・・」ミゲルが答える。「なにか妙だ。あの踊り手(某有名舞踊団元団員)は上手いけど、何を踊っても同じなんだよ。その踊り手に2曲踊らせて、ジュンコに1曲しか踊らせないのは変だよ。」そして続ける。「アンヘレス・ガバルドンは知名度のある踊り手だから、そういう踊り手がコンクールに出場してくれたのにもかかわらず、1曲しか踊らせないというのは、コンクール側が彼女の実績や彼女自身を侮辱することになる。そういう意味で彼女が2曲踊る、というのはのはまだ分かるけどね。」「じゃあ、“某踊り手”も知名度があるから2曲踊らせてもらえて、私は知名度がないから1曲なのかな・・・」
最初から2曲踊る踊り手と1曲しか踊らせてもらえない踊り手でふるいにかけられていたということ?つまり2曲踊る踊り手は、予選通過の可能性あり、1曲の踊り手は最初から審査対象外ということ?
ミゲルは言う。「ジュンコ、コンクールは政治がからんでいるからな。訳が分からないよ。でも気にするな。予選に通れば通ったでよし、通らなければそれだけのことだ。あとは運の問題だ。」
そうなのだ。これまでいろいろなコンクールに出て来て思うこと。それだ。コルドバのコンクールというのは、スペイン人でも外国人も、プロもセミ・プロも練習生も誰にも平等に門戸が開かれている。同じように申し込めて、つまり同じようにチャンスが与えられる。でももし本当に、審査の前に1曲の踊り手と2曲の踊り手という風に分けられていたとしたら・・・入社試験で有名大学の学生とそうでない学生が、裏で実は最初から振り分けられているのと同じ・・・・でも前者の学生の方が優秀だって、なぜ最初から決めつける?知名度のない踊り手は、知名度のある踊り手より劣る?踊りを見ずになぜそれが分かる?
妙だ。妙だけど、仕方がない。もう私の予選は終わらされたのだ。でも、単に私の踊りが予選通過のレベルに達していなかったのかも。ミゲルの言う通り、考えれば考える程訳が分からない。もう仕方ないので、その話題は打ち切り。ハビエルがレブリハーノのCDをかける。カーニャかな、と思って聴いていたら、それはポロらしい。なるほど、確かに違う。カーニャとポロの違いを教えてもらった。彼らとの会話はなんでも勉強になる。3人でのりのりになって聴く。パルマをたたく。歌う。げらげら笑う。ハビエルの車の天井から星空が見える。楽しい。幸せだ。
もう一つ幸せなことがあった。ミゲルが最後に言ってくれたのだ。「ジュンコ、俺はジュンコの踊りが好きだ。上手い下手はどうでもいい。ジュンコの踊りは全部違って見える。そこがいい。」嬉しい。そしてさらに続ける。「ジュンコのティエントはいい。初めて見たけど、今まで見た事のないジュンコが見える。これからはティエントも踊れ。」そうなのだ。私も同じ事を実は感じていたのだ。ティエントを踊る時、ティエントを聴く時、私は今までに感じたことのない感覚を持つ。それはアレグリアスでもソレアでもタラントでもない。ティエントを聴く時にわき起こる感覚。そして踊る時にこんな私が実はいたんだ、という新鮮な発見。驚き。毎回毎回その発見が生まれ変わり、でもその度にこれも私なんだ、と納得していく。それをミゲルも感じ取ってくれていたんだ。とても嬉しかった。
このコンクールがなければ私はティエントを踊ることはなかったかもしれない。(今まで一度もソロでも群舞でも踊ったことがなかったのだ。)でもこのコンクールのお陰で私はティエントに出会えた。ティエントのお陰で私は私の未知の部分を引き出しつつある。そしてガロティンもね。
今朝クラスに行って、先生に「昨日コルドバのコンクールに出ました。」と報告すると、先生が「私も出ようと思ったのよ。でも4曲準備するのは間に合わないと思ってやめたの」とおっしゃっていた。人にはいろいろ事情がある。先生には先生の事情があるのだろう。私も・・・同じ理由で何度も棄権しようと思った。でも今思う。間に合わないと思ってあきらめるのと、何が何でも間に合わせること。その瞬間の状況に変わりはない。出発点は同じだ。でもどちらを選択するかによってその後の状況は変わってくる。私の場合コンクールの予選通過はどうでもいい。(先生の場合、もし出場していれば通過していただろうに・・・。)でもきっとこの経験が将来、大きな意味を持つだろう。物事は全部つながっているから。
長くなりました。眠くなりました。誤字脱字あるような気がしますが・・・ここで終わりにしたいと思います。いつも読んで下さるみなさん、どうありがとうございます。今度お会いできる時にはもっと成長しているといいな。がんばります。
2010年11月10日 クリスマスのイルミネーションが準備されつつあるセビージャにて。

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