エル・パイス紙 萩原淳子へのインタビュー

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか。

コルドバ・コンクールは予選落ちしました。まあそうだろう、とは思っていたのですが万が一決勝進出した時のことを想定して、予選後も結果が分かるまで気合い入れたまま練習していました。我ながらバカだな〜と思いながら。でも最後まであきらめずに挑戦してよかったなと思います。応援して下さったみなさんどうもありがとうございました。

今回振付けした4曲、アレグリアス、ソレア、ティエント、ガロティンはいつの日か日本の皆さんの前で踊れる日がくるといいなと思います。ギタリストのミゲル・ペレスが「それだけ持ってたらいつでもソロ公演ができるよ!」と。そうですね。この4曲に加えてタラント、シギリージャもあります。いろいろ踊れればいいというものではないけれど、フラメンコはその曲ごとにそれぞれの色合い、響き、空気、香り、味があるのでそれらを踊りを通して感じられるのはとても素晴らしいことだと思うのです。フラメンコの持つ豊かさに万歳!!!

それと、この予選に出場した時にスペイン全国紙「エル・パイス」の記者からインタビューを受けました。その一部が記事になりましたのでここで紹介させて頂きます。

2010年11月16日付 (記事:マヌエル・J・アルベルト、 写真:F・J・バルガス)

  • エル・パイス紙の記事(スペイン語)はこちら↓

los-idiomas-de-un-arte-universal-c2b7-elpaiscom

  • 記事における写真はこちら↓

(手前茶色の衣装の踊り手さんは、同じく予選出場したイグチユカリちゃんです。私は奥にちょこっと写ってます。)

記事タイトルは「Los idiomas de un arte universalーEl Concurso Nacional de Arte Flamenco recibe participantes de nueve países.」今回のコルドバ・コンクールにスペイン以外の9つの国(アメリカ合衆国、日本、キューバ、ペルー、ブラジル、メキシコ、コロンビア、フィンランド、モロッコ)からの参加者があった、ということで、フラメンコが芸術として世界的に認知されつつある、という内容の記事です。記事が長いので、私のインタビューのところだけ訳させて頂きます。

ジュンコ・ハギワラが初めてフラメンコを聞いたのは、彼女の国、日本における新体操の試合でである。選手のうちの一人がフラメンコ・ギターを演技に使用していたのだ。幼少にもかかわらずジュンコはその音楽に魅了される。「私にとってそれは衝撃でした。それによって全てが開かれたのです。」と、ジュンコは思い出す。それからというものフラメンコは彼女の中で大きな情熱となり、2002年の渡西へとつながる。

〈中略〉

(回を追うごとに増え続ける外国人出場者の中に)“ラ・ジュンコ”というアーティスト名を持つジュンコ・ハギワラと、彼女と同じ日本人ユカリ・イグチがいた。

〈中略〉

“ラ・ジュンコ”はフラメンコ舞踊のクラスに通い、練習に励み続ける。そのかたわらペーニャやタブラオにおいて不定期で踊る。しかしまだ特定の舞踊団やグループでの専属契約はない。「人によっては、東洋人がフラメンコを踊ることに対して奇異に思う人もまだいると思います。しかし私自身が自分の頭の中でそのような障害を作ってしまっているとも思えるのです。私がすることは、自分自身の壁を乗り越える事、常に前に進むことなのです。」

この記事が出た同日、フラメンコが無形世界遺産として認定されました。フラメンコが素晴らしい芸術であり、それが世界中の国の人々の心を打つものであることには疑問はありません。その意味で今回の認定はとても喜ばしいものであると思います。しかし、そのフラメンコを取り巻く「人」はどうなのでしょうか。「フラメンコは世界遺産である!なぜならアンダルシア人だけでなく、世界中の人をも魅了する芸術だからだ」と声高に叫ぶ同じ人が、「東洋人がフラメンコを踊る?そんなわけないだろう、フラメンコはアンダルシアのものなのだから」と冷笑する現実。

もちろんそうでない人達もいます。偏見なくフラメンコそのものを愛する人達。ロンダのコンクールで私に優勝を与えてくれた審査員、そしてそのコンクールを観に来てくれたウブリケ・コンクールの司会者。予選落ちしたコルドバのコンクールでも審査員のある一人は私の踊りを最初から最後まで凝視し続けていたと聞きました。コンクールだけではありません。私の踊りを愛してくれるペーニャの人達。私には有り余るほどの「愛情」。フラメンコへの「愛情」。

でもそれと同時にそうでない人達の壁。フラメンコそのものへの愛情というよりも、「フラメンコはアンダルシアのものである=(イコール)自分達のものである」というエゴ。フラメンコが世界遺産として認定されるということは、自分達の文化が世界的に認められたということ。フラメンコが世界的に広まり、外国人がフラメンコを愛して学んでくれれば、自分達の文化に誇りを持てるだけでなく、それはアンダルシアの経済発展につながる。その意味では外国人に対してとても開いている。でもその外国人がフラメンコを踊る、歌う、弾くとなると急に閉じる。教養のある人はそれが偏見であり、差別につながるということを頭で分かっているから、それと悟られないように表面的にはうまく繕う。でもその内面は・・・

セビージャに住みその現実を目のあたりにし、自分は日本人であることで差別されているとずっと感じていた私。でもその差別感は差別されている私自身の内部にもあったことに気づいたのです。「私は日本人だから・・・」という「謙遜」。その美しい言葉の裏に隠れている「卑下」。フラメンコに対して敬意を持つことと自分を卑下することをはき違えているのではないか。自分が属する、人種や文化、そして自分自身が彼らより劣っていると、いつの間にか植え付けられていた考え。そしてそれに縛られていることすら気づかなかった自分。なぜ???疑問を持ちそこから抜け出そうとすると「出る杭は打つ」ごとく批判する人達。もしくは最初から色眼鏡で見る人達。そしてその「人達」とはアンダルシアの人だけとは限らない・・・。

フラメンコが世界遺産に認定されても、フラメンコを取り巻く「人」はそうそう変わらないと思います。残念ながら。でも私はその人達を相手に闘うつもりはありません。私が挑戦する相手は私自身だから。自分の限界を作るのは他者ではなく私自身だと思うから。もし他者が限界を作るとすれば、それを限界だと思ってしまう自分自身がいることで、結局は自分が自分で限界を作っていることに変わりはないと思うのです。

小さい頃、家庭の事情で踊りを習わせてもらえなかったけれど、踊りが将来的に私の人生の中で大きな位置を占めるだろうということは、知っていました。なぜだか分からないけど、知っていたのです。そしてフラメンコ・ギターを初めて聞いた時の衝撃。頭に雷が落ちたのです。「これだ、これだ、これだったんだ!」

今までもこれからもきっと同じように生きていくのだと思います。私を取り巻く人も環境も変わるでしょうが。それでも自分という「芯」を持っていたいと思います。そして「芯」は「心」であり「信」であり「真」であり「慎」であり「進」であり「深」でもあります。全部自分の人生に必要な言葉。

ちなみにスペイン語の「シン」は「sin」。〜なしで、という前置詞です。sin miedo, sin prejuicios, sin limites. 「恐れず、偏見や限界を持たずに」これからもフラメンコを学び続けたいと思います。

2010年11月20日 寒いですが「ヒートテック」を着ている私は他の人より薄着なのです。ふふふ。セビージャにて。

Comments are closed.