¨SOMOS JAPON¨ ④ カルメン・レデスマ

みなさんこんにちは。

今日は、セビージャのフラメンコ学校「Centro de Arte y Flamenco de Sevilla」で教授活動を行うカルメン・レデスマへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第4回 カルメン・レデスマ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】いろいろあったけど、最大のものは父の死。(カルメンは涙目になる。)父は私の身体の一部だったの。私には夫がいないから、別離しているから、父がいつも経済的にも精神的にも助けてくれたの。でもその父が亡くなってしまって、私は病気の母と幼い息子と残されてしまった。(息つく暇もないほどの勢いで語るカルメン)そしてその父の死後、6〜7年前・・・確か・・・の交通事故。3ヶ月ベッドに寝たきりになった。もう二度と一生踊れないと思った。精神科医にも通ったの。本当に大きなトラウマが残ったわ。殺されたも同然だったのよ。

【答え②】人生にしっかりつかむものが必要なの。(身を乗り出して、自分の手のひらをぎゅっと握りしめるカルメン)私にとってのそれは踊ること。子供を育てること。その決意。そしてそれを乗り越えることなのよ。家族の結びつきも重要。特にスペインではね。物質はいつか元に戻る。でも人の死は戻らない。でも常にそこから這い上がる強さを持つの。あなたが生きてさえすればできる。それが必要なの。常に心の中には欠落がある。でも、とても強くならなくてはならないの。それと、その経験をした人しかそれを感じることはできない・・・。

【答え③】(目を大きく見開き、肩をすぼめるカルメン)私は一日一日を生きているの。今日と明日は違うから。そう、もう一つつらかったことを話すわ。昔ペドロ・バカンとのプロジェクトがあったの。コンチャ・バルガスやペパ・デ・ベニート達とも一緒のね。2ヶ月間、スイスで公演するはずだったのよ。そのリハーサルが土曜日にレブリーハで行われるはずだった。そしてその次の日にスイスに発つはずだった。でもそのリハーサル前日の夜中、ペドロは交通事故で亡くなったの。電話がかかってきたの。「カルメン、レブリーハに来て。でもリハーサルのためじゃない。ペドロがこの世からいなくなってしまった・・・・。」あの公演はもう二度とできない。そんな経験から、私は朝起きたら毎日、神様にありがとう、と言う。次の日に生きているかどうか分からないから。本当に本当に強くならなくてはならない。もちろん、ある時期は本当につらい。そういう時期があるのは分かっているわ。

(ずっとがまんしていた涙がこぼれ落ちそうになった時、私の手をカルメンがぎゅっと握る。そして二人で涙をぬぐう。)

9月に日本に行くことになっているの。ヨウコ(萩原註:小松原庸子スペイン舞踊団)の公演よ。4つの公演がある。その公演の計画を絶対に続けたい。(身を乗り出して声が大きくなるカルメン)絶対日本に行きたい。なぜならそれが「しるし」なのよ。この国はもう大丈夫だっていう。私が日本に行くことでそれを証明できるのよ。日本人は責任感が強い。私は日本を、日本人を、日本の文化をよく知っている。もう何年もいたから。 日本は私にたくさんのことを与えてくれた。私は日本という国に敬意を払っている。日本人は常に闘う。そして勤勉。絶対に復興するわ。私にはそれが分かるのよ。

【写真の中のメッセージ】「『前へ進もう』と言うだけでなく、日本の人達と一緒にいなければならない。この本当につらい状況において彼らを助けるために。 私は私の踊りでたくさんの元気と愛情を送ることができる。カルメン」

 

メッセージを書く前に、カルメンはインタビューとはうって変わって、小さな声で言いました。「私は字を書くのが苦手なのよ。きっとつづりを間違える。私が言うことをジュンコが書いて」No.と答える私。「カルメン、これはあなたが書かないと意味がないの。つづりなんて間違えたっていいじゃない。重要なのは心だから。踊りと一緒でしょ?」 そしてカルメンは言いました。「そうね。間違えたっていいわ。私がどういう人間かみんな分かっているだろうから。」そして書き終わった後、カルメンは言いました。「なぜこれを書いたか説明するわ。踊りは私の人生なの。人生の中でとてもつらいことがある度に私は闘った。踊った。働いた。踊りが私を立ち上がらせてくれたのよ。今が大変な状況なのはよく分かる。でも続けなければならないの。踊り続けるのよ。」そしてこう言いました。「彼(写真の中の絵の人物)はティオ・フアニ。ナノ・デ・ヘレスのお父さんよ。彼と一緒に写真を撮って。彼も彼の人生の中で本当に闘ったから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年3月21日 カルメンと別れた後、私は涙を止めることができませんでした。 セビージャにて。

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