¨SOMOS JAPON¨③ ミラグロス・メンヒバル

みなさんこんにちは。

今日は、クリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校にて教授活動を行っている、ミラグロス・メンヒバルへのインタビューと彼女からのメッセージです。「ミラグロス、差し支えがあるなら別の質問に変えてもいいですし、無回答でも問題ありません。」と言うと、ミラグロスは「何でも答えるわよ。日本のために。全部。」とおっしゃって下さいました。レブリーハのペーニャ公演後、楽屋でのインタビューです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第3回 ミラグロス・メンヒバル

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】背中の手術。1991年のことだった。医者に「もう前のようには踊れない」と言われたの。医者は私の踊りをビデオで見たのよ。私が以前行っていたバタ・デ・コーラでの動きやブエルタ(回転)はもうできないって。私は会社員のように背中をまっすぐにして座って仕事をする訳ではないの。(パソコンのキーボードを打つまねをする。)私の踊りのためには、背中を動かさなければ。でもそれがもう無理だと言われたの。本当にショックだった。それから私は2年間踊らなくなったの。そしてその後も手術は続いた。今も。今度は3度目の背中の手術をする。首の手術だってしたのよ。

【答え②】ゼロから始めたの。ゼロから。もう以前と同じことはできない。でもそのかわりに私は見つけたの。カンテを聴くこと、カンテを踊ること、踊りにサボール(sabor:直訳すると「味」)を与えること。そしてこの手。(この時ミラグロスは彼女の手の動きをしてみせる。)

(今さっき見たミラグロスの踊りがまさにそうであった、と萩原深くうなずく。)

現代は多くの人がたくさんの回転技やサパテアードを用いて踊る。でも私は一つの事を失って、別のことを手に入れた。その別のことが私の踊りを生まれ変わらせたのよ。でもそこに至るまでは本当に本当につらかった。

【答え③】教授活動。常にフラメンコとともにいること。そしていつか私は舞台を去る。70才になってまで踊ろうなんて思っていない。他人に言われる前に自分で分かるから。引退の時をね。

【写真の中のメッセージ】私がこんなにも愛するすばらしい国に起こったこの悪夢が全て過ぎ去りますように。この自然災害が全て過ぎ去りますように。(しかし)それによって日本が平和で勤勉で良い人達の国であることが示されました。私は私の第2の国、日本といつも一緒にいるでしょう。 ミラグロス・メンヒバル

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年3月20日 昨日のアンヘルのメッセージとミラグロスの人生が重なってきました。  レブリーハにて。

Comments are closed.