¨SOMOS JAPON¨ ② アンヘル・アティエンサ

みなさんこんにちは。

今日はセビージャ・トゥリアーナにイサベル・バジョン・フラメンコ舞踊学校「ADOS」を構える、アンヘル・アティエンサへのインタビューと彼からのメッセージです。

第2回 アンヘル・アティエンサ

(フラメンコ舞踊家・フラメンコ舞踊学校「Ados」主宰)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】 今日本で起こっているような・・・・困難な状況は・・・自分の人生において・・・まだ・・・ありません。(言葉を切り、考えながら話していました。)

【答え②】 踊り手としての人生の中で、最初の頃は困難でした。踊り手になれるのかどうか、踊り手として食べていけるのか、それが全く分からないまま、不安で、不安で・・・でもそれでも自分の道を選び、貫き、闘いました。その生き方が自分に力を与え、今の自分があります。

【答え③】 この学校を続けていくこと。自分自身の踊りを確立すること。それを生徒に教えること。今まで学んだこと全てを生徒に与えること。

【写真の中のメッセージ】「一つの扉が閉まる時、常に別の扉が開く。元気を出して!!!」 そしてアンヘルは続けました。「日本で今起こっていることとは比べられないけど、例えば、人とけんかをするとするよね。相手のことを嫌に思っていてでも何も言わない時は、何も起こらない。でもその相手に対して何かを言った時、言い争いにはなって、それはよいことではないのだけど、言い争いをしてみて、初めて自分が何が必要なのか、実は相手を必要としていたこととか、もしくは相手が自分を必要としていることとか、そういうことに初めて気づく。それは言い争わなければ分からないことなんだよ。言い争いをするのは痛いし、つらい。でもそれは相手を理解するための必要なステップだということに気づくんだ。私の言う事、分かってもらえるかな・・・。」

すると、このインタビューを隣で聞いていた受付のスサーナがこんなことを言いました。「これは何かで読んだけど、インドネシアで津波があった時に、たくさんの人が全てを失った。でも津波によって得たものある。今まで出会いもしなかった人と出会ったり、それによって結婚した人もいたらしいわ。これは不謹慎な言い方かもしれないと思うけど、津波をきっかけに、何かが新しく始まったとも言えるのよ。」そして彼女は続けました。「私もメッセージ書いていいかな。私はアーティストでもないし有名人でもないけど、こんな時に必要だと思える言葉があるの。誰の言葉か忘れてしまったけど。」

  • 【スサーナ・イバニェス(フラメンコ学校Ados 受付)からのメッセージ】「困難な時にこそ、その人間の質があらわれる。」そのスサーナが、学校に伴奏に来ているギタリスト2人に一緒に写真に写ろう、と声をかけました。一人のギタリストは「私は有名なアーティストじゃないし、写真に写ったからといって日本を助けた、というつもりはないよ。でも日本を助けたいという君の気持ちと僕の気持ちは一緒だ。もしチャリティーコンサートなどをやるなら、是非声をかけて。いつでも弾くよ。」と言ってくれました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011年3月18日 アンヘルのインタビューから輪が広がったことを感じました。セビージャにて。

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