Apr 2
¨SOMOS JAPON¨ ⑫ エバ・ルイス
La Yunko | Somos Japon | 04 2nd, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はエバ・ルイスへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第12回 エバ・ルイス

(フラメンコ歌手)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】スクールバスの交通事故。13年前の昨日、起きた。3人の友達が亡くなった。私はその日バスに乗っていなかったの。その日、なぜだか分からないけど学校に行きたくなかったの。なぜだか分からない。でもどうしても行きたくなくて、母に「喉が痛い」とか適当な理由をつけて学校を休んだ。だから私はバスに乗らなかったの。そんなこと今まで一度もなかったけど、その日だけは乗らなかった。そしてその私が乗るはずだったバスが交通事故にあった。

当時私はレブリーハに住んでいてヘレスの高校に通っていた。スクールバスはレブリーハやいろいろな村の生徒達を乗せていた。ものすごい急なカーブが途中にあるの。とても危険な。運転手は毎日毎日20年以上その通学路を往復していたから、そこが危険なのも知っていたし、万が一事故にあった時のことを頭の中でシュミレーションし、どのようにハンドルをきるのか準備もしていたらしい。でもだめだった。ブレーキが間に合わなかった。バスの左側に乗っていたの生徒達のうち3人が亡くなった。片目を失明した子も、全身付随になった子もいた。

私は思った。私が乗るはずだったバス。私の友達は亡くなって、私は生き残った。なぜ私はバスに乗らなかったのだろう、って。事故は私のせいではない。でも自分に罪があるような気がしていたの、ずっと。もし乗っていたとしても死傷者が増えるだけだから乗っていなかった方がいいに決まっている。でも、なぜ私は乗らなかったのだろう、私が死ぬはずだったんじゃないか、でも友達が死んだ、とずっと思っていた。そして私のように思っていた友達が20人以上いた。普段そのバスは50人以上の生徒でいっぱいだったの。でもなぜかその日に限ってバスはがらがらだった。20人以上の生徒がその日学校を欠席したの。皆、私のようになぜか分からないけど、「今日は学校に行きたくない」って思って休んだ、と後から聞いた。私たちは助かってしまったのよ。

別の私の友達はバスに乗っていた。彼女はいつも運転席の真後ろに座っていて勉強をしていたの。いつも。でも事故の日、急にバスの電気が消えたらしいの。勉強できなくなってしまったから、通路をはさんで座っていた隣の子に「席を交換して」と言った。その子と私の友達は席を代わった。そしてその3分後に事故は起きた。席を代わった子は亡くなった。「席を交換して」と頼んだ私の友達は生き残った。隣の子は私の友達のいとこだった。私の友達はずっと自分を責め続けた。「私が死ななければならなかったのに。私のせいでいとこが死んだ。席さえ代わらなければ、いとこは生きていたのに。」

無事だった人も生き残った人も私たちはみんな苦しんだの。あの「オンセ・エメ(11.M)」(スペイン同時列車爆破テロ事件。9.11テロから2年半後の2004年3月11日、マドリッド中心部の3つの駅で4つの列車が次々と爆破された。通勤通学客でのラッシュ時を狙った卑劣なテロで、200人が死亡、約1500人が重軽傷を負った。)の時もそうだった。あの時マドリッドにいなかったスペイン人全員が皆苦しんだのと一緒。

【答え②】話すことで、よ。私たちは話したの。話して話して話して、話して・・・・。事故後1年経っても2年経ってもずっと。何度も何度も私たちは話した。話すためのグループを作ったの。あの時何が起こったのか、自分が何をしていたか。何を感じて、何を思っていたのか。私たちは話したの。泣き出す人もいた。でも誰も止めなかった。泣きたければ泣けばいい。とにかく話したの。同じ話しを30回繰り返そうが、何度も何度も話したの。

【答え③】フラメンコ。フラメンコの歌い手として成長すること。そして人間としても。それ以外のことを答えるのは難しい。本当は分かっていなくてはいけないのかもしれないけど・・・。私は一日一日を、今を生きているの。5年後自分が何をしているかなんて分からない。でもフラメンコと共にいることは確かだわ。フラメンコの歌い手として成長したいの。人間としても成長したいの。

【メッセージ】日本の人達へ、私の全ての愛情と賞賛と気持ちをあなた達へ送りたいと思います。これほどまでの大惨事にどのように立ち向かうのか模範例を示しているのはあなた達だから。私たち全員が、日本人の平和的な振る舞いと努力できる力、素朴さから学ばなくてはならないでしょう。

フラメンコの抱擁を全ての人へ。

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2011年4月2日 このエバが、今日のチャリティー公演で私にソレアを歌ってくれます。 セビージャにて。

Apr 1

みなさんこんにちは。

昨日行われた、東日本大震災チャリティー公演 en セビージャ 第2弾である「FLAMENCOS DE SEVILLA POR JAPON」(左チラシ)はお陰様で無事終了しました。スペイン人アーティスト、日本人アーティスト、スタッフ、お客様、全ての人が日本のために一丸となって感動の渦につつまれた公演でした。

「詳細をブログにして下さい。」と多くの方からお願いされましたが、今回の公演では企画協力・出演をし、今は疲れ果てて、何もできません。明後日にもチャリティー公演第3弾があり、それにも出演しますので準備をしなくてはなりません。大変申し訳ございませんが、結果ご報告のブログは後日落ち着いてからアップさせて頂きたいと思います。

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今日のところは3月30日付セビージャの新聞「Diario de Sevilla」(写真左。萩原淳子“ラ・ジュンコ”プロフィール、写真、公演趣旨について)

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3月31日付同紙(写真中は1面に載った舞台写真、写真右は日本人クアドログループの谷口香織さん、福原恵理さん、荒巻奈々子さん写真と公演批評)。

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また、3月31日付の全国紙「EL PAIS」には1面に天皇・皇后両陛下のお写真が、国際面にはその記事が

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また、日本への応援メッセージも掲載されました。

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明後日のチャリティー公演第3弾は、セビージャに長く在住されている衣装デザイナーのタカハシ・ジュンコさんと彼女が所属するトゥリアーナのペーニャ・フラメンカ(フラメンコ愛好会)のみなさんが企画されたチャリティー公演です。ペーニャの会長さんから出演依頼があり、土曜日に踊ることになりました。たくさんのアーティスト達が出演協力して下さいます。ペーニャの方々もセビージャ大学の協力を得て会場の準備をして下さっているようです。私の踊り伴奏で出演協力して下さるアーティストはギタリストのミゲル・ペレス。歌い手のエバ・ルイスです。出演依頼があったその日の午後にはもうポスターが出来上がっていたので、彼らの名前を入れて頂くことはできませんでしたので、こちらでご案内させて頂きたいと思います。

アーティストへのインタビューも数本まだアップしていないものもありますし、この公演準備のかたわらインタビューも続けています。萩原淳子がもう一人いてくれたらいいのに・・・と思います。時間と体力が足りなくて・・・・。できる限りのことをがんばりたいと思います。

2011年 3月31日 セビージャにて。

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