“クルーセス・デ・マジョ” in レブリーハ

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは暑いです。すでに日中の気温が35度にもなっています・・・

先週末はセビージャ郊外の町、「レブリーハ」に行ってきました。セビージャから電車で50分ほど。セビージャ県の中にありながら、ここセビージャとは全く違う趣。大地がずっとずっと続いている、そんな感じ。「レブリーハ駅」から見える景色もこの通り。町中も。平屋の家が多く、のんびり。町というより、村かな?

代々受け継がれているレブリーハのフラメンコ。レブリーハの歌は特別。カディスのアレグリアスが海の香りがするなら、レブリーハのカンティーニャスは大地の香りがする。ヘレスのブレリアもいいけど、レブリーハのブレリアもいいね。フラメンコの素晴らしい所は、その土地その土地で、その土地なりの傑出したフラメンコがあること。そしてそんなフラメンコな土地のうちの一つがレブリーハ。ここに来るとなぜか落ち着く。懐かしい感じがする。私の大好きな土地です。

そのレブリーハのペーニャで2年前に踊ってから、レブリーハの人達と知り合いになり、今年はレブリーハが全スペインに誇る、「クルーセス・デ・マジョ(Cruces de mayo)」に招待されました。「え!ジュンコ、『クルーセス・デ・マジョ』に来た事ないの?!」「絶対来て!!!」昨年から言われ続け、でも昨年はその時期に確か日本にいたのかな?予定が合わず昨年は断念。今年こそは!と楽しみにレブリーハにお邪魔したのです。

そもそも「クルーセス・デ・マジョ」って何なの?日本語に直訳すると、「五月の十字架」。まるで意味が分かりません・・・聞いた話しによると、お祭りみたい。セビジャーナスを一晩中踊るみたい。でもそれはフェリア?いや、フェリアは別に夏にあるらしい。そしてそのセビジャーナスもセビージャのとはちょっと違う。レブリーハのセビジャーナス。そうだ!カルロス・サウラの昔の映画「セビジャーナス」で見た、あれだ!

YouTubeの映像はこちら→watch?v=OS58XjbiQcc

さらに詳しく由来を聞いてみると、昔は「アルボル・デ・マジョ(árbol de mayo)」というものだったそうです。収穫を祝ってレブリーハにある大きな木(アルボル)の下に皆で集まり、自然に対して感謝を捧げたという風習が由来だそうです。ところが、カトリック教会が「収穫への感謝は『神』にしなければならない。木(アルボル)を崇めるのではなく、十字架(クルス。複数形はクルーセス。)を立てなければならない」と言い出し、それが「クルーセス・デ・マジョ」になったとか。さらに時代はさかのぼり、現在では家族や近所の人達の集いの場になり、また女性が主体のお祭りになったそうです。男性優位主義の歴史を持つ(今でもまだあると思います・・・スペイン人に言うと怒るけど・・・)土地において、女性が自由に外に出て歌い踊れる日。実際に数十年前は男性はこの日は外出禁止だったそう。今は男性も参加していますが、ほとんどが女性です。そしてこのクルーセスで歌われるセビジャーナスの歌詞もほとんど女性にまつわるもの。誰かが、セビージャのトゥリアーナ地区の歌詞を歌ったら「ここはレブリーハだよ!!!」とつっこまれていましたよ。

町中の広場などに手作りの十字架が30カ所も飾られているそう。私を招待してくれたアラセリさんは、ご自宅の屋上に手作りの十字架を飾り付けました。そこで歌い出す親戚の子供達。歌っているのはルンバ、ブレリア、セビジャーナスなど。小さな子供達なのにカホンをたたき、パルマをたたき、歌い・・・やっぱりすごいね。フラメンコって。そんな午後をお茶をしたりして楽しんだ後は、「クルーセス・デ・マジョ」の本番の始まり。

アラセリさんのお友達のセビジャーナス楽隊がやってきました。年配のご婦人中心のこのグループ。レブリーハのセビジャーナスで使われる楽器はタンバリン。そして金属製のすり鉢とすり棒。アルミレスと呼ばれるそれは、この日のためにレモン汁でぴかぴかに磨き上げられます。そして楽器に早変わり。タンバリンのたたき方も独特。教えて頂きましたが、全然できなかった・・・教えて下さった方は、私ができないのを見て笑っていらっしゃいましたが、やはり最初はできなかったとのこと。年季が入っていらっしゃるんですね。さすが!

いやーみなさん、すごい。歌う。歌う。踊る。また歌う。歌う。これは説明のしようがないので、アラセリさんがアップしたYouTube の映像をご覧下さい。すごい女性パワーです。これが夜中まで続きます・・・・

YouTube の映像はこちら→ watch?v=Xc8mFhmjJ-Q&NR=1

しかし、ここからがさらなる本番。今度は町中に繰り出す。歌いながら。この日のレブリーハは眠りません。町中にある十字架の場所をあちこちまわるのです。

YouTube の映像はこちら→ watch?v=bfRlZsCuSOk&feature=related

レブリーハは小さな町(村)。ちょっと歩けばみんな知り合い。出会った人達とともに歌い出す。踊り出す。そして、驚くべき事に、その十字架のある場所に住む家の人達は、訪れる人達のために飲み物や食べ物を用意して下さっているのです。しかも無料!一晩中!私もチョリソ(豚の腸詰め肉)や、ゆでた空豆、レブリートと呼ばれるマンサニージャ(サンルーカル産のワイン)と炭酸水で割った冷たい飲み物を頂きました。レブリーハの歴史の中で、これが有料だった時代もあったそう。でもそれでは、レブリーハのクルーセス・デ・マジョではない!ということで、最近はまた無料に戻ったそうです。

決してお金持ちとは言えない国で、その国の小さな村で、そんな伝統を大切にすることって、素晴らしいことなんじゃないかな。私みたいな外国人にまで親切にして下さり、本当にいろいろ御馳走になりました。ありがとうございました。

たくさんのお金を持っている人は、なぜそれほどお金に執着するのだろう。どうしてそのお金を自分だけのものとしか考えられないのだろうか?どうしてお金のあるなしで人に媚びたり人を見下したりするのだろうか?お金を持てば持つ程幸せになると考えているのだろうか?実際の幸せは本当にお金と比例しているのかどうか考えたことはあるのだろうか?お金は必要だ。全くないのも問題だけど。。。

「クルーセス・デ・マジョ」って何?と一番最初に聞いた、レブリーハのパン屋の女の子はこう言っていました。「家族や近所の人と集うの。みんなで一緒に過ごすの。普段会えない人達ともみんな会えるの。クルーセス・デ・マジョのないレブリーハなんて存在しないわ。私の母、祖母、ひいひいひいひいばあちゃんの時代からずっーとずーっと続いてるの。」誇らしげに語る彼女の顔を見ながら、子供の頃、毎年必ずお盆とお正月に田舎に帰っていたなぁ、と私は懐かしく思い出していました。

ありがとう。レブリーハ。

2011年5月16日 セビージャにて。

Comments are closed.