¨SOMOS JAPON¨ 第25回 マルタ・バルパルダ

みなさんこんにちは。

東日本大震災復興支援特別プロジェクト“SOMOS JAPON”。スペインのフラメンコ・アーティストへのインタビューと、彼らからの応援メッセージの第25回目。

今日は、マルタ・バルパルダへのインタビュー&彼女からのメッセージです。

マルタと私は数年前、クリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校のクラスメートでした。表面的な人が多いクラスの中でマルタとはよくいろいろな話しをしたものです。先日久しぶりにマルタとお茶をしたら、なんとマルタは震災の時に福岡にいたそう。国が出した飛行機でほとんどのスペイン人が“脱出”した中、マルタは日本に残ることを決心したそうです。日本人からすると「福岡は被災地から遠いから大丈夫」と思ってしまうかもしれませんが、外国人からすればどんなに被災地から離れても日本は日本。スペインのニュースで何度も何度も流された、“脱出”する在日スペイン人の映像とコメントを思い出した私はマルタの決心に心底驚きました。と、同時にそれができたのはマルタだからだ、と気付いたのです。以下、日を改めて彼女にお願いしたインタビューです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第25回 マルタ・バルパルダ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】日本にいた4ヶ月間。1月から4月末まで。震災があったから。でも私自身がつらかったのではなく、私のことを心配する家族のことを思い、つらかった。知っているでしょう?スペインのニュースがどんなか。(萩原註:私の個人的な見解としては、スペインの報道は衝撃的であればあるほど、ニュースとしての価値が高いというような認識があります。特に映像は、日本では考えられないようなショッキングな映像がお昼間に流されることも。スペインに来たばかりの時、私はニュース映像を見ながら食事をすることができませんでした。震災に関する報道も誇張されたり、誤報に近いものもたくさんありました。)私の家族はそのニュースでしか日本を知る事ができなかったから。家族からは「帰ってきなさい」と何度も何度も言われ、私の仕事仲間は「空港が閉鎖されて日本から出られなくなる」とか「これから先もっと大きな地震が来るのよ。場所もどこだか分からない、ここかもしれない」とパニックになって叫んで飛行機に乗っていった。私はここに残るか飛行機に乗るか、決心しなければならなかった。そして決心した。でも被災地の日本人からすると、そんなことは取るに足らないことだけど。

【答え②】なぜ残ることにしたか?日本人が日本に残っていたから。スペインで同じことが起きたら、全員海外脱出してしまう。モロッコとかイタリアとか。日本人は誰も日本を見捨てなかった。私のクラスの生徒もその家族も皆残っていたから。福岡では、水も電気もそのままあったし、クラスもお店も今まで通り普通だった。何か生活に支障があるとか、クラスが閉鎖されるとかだったら私も考えたかもしれないけど、今まで通り何も変わらなかったから。みんなが普通に生活しているのに、私だけ逃げるのはおかしいでしょ?私が日本にいたのは4ヶ月間。その間私は日本人として過ごしていたの。たとえそれが“招聘された”スペイン人フラメンコ教師という立場だとしてもね。だから私は自分の周りの日本人と同じようにすることにした。

もちろん家族は最初は理解してくれなかった。スカイプで話していたの。どんなに説明しても「帰ってこい」としか言われなかった。でも日本人がこの状況をどのように我慢しているのか、どのようにして落ち着きを保っているのか、それがスペインのニュースでも流されて、それが私の家族を落ち着かせたの。(萩原註:スペインの報道では、がれきの中から自衛隊員に助けられて何度も頭を下げる老婦人の映像や、支給物資を待つ列に整然と並ぶ日本人の姿等が報道されました。どちらもスペインではあり得ない光景です。)日本人は誰もパニックにならなかった。あの冷静さ。日本社会全体が私も私の家族も助けてくれたのよ。

全てのクラスが終わった後、生徒達から「日本に残ってくれてありがとうございました」と言われた。その時、この4ヶ月は私の人生にとって特別な時だったのだと思った。

【答え③】たくさん踊ること。たくさん仕事をすること。たくさん学ぶこと。・・・・(しばしの沈黙の後)周りの人達とたくさん飲むこと(笑)。

【メッセージ】それにしても不公平。震災や津波に襲われるなんて。そんなの何もない国だってあるのに。不公平。

写真の中のメッセージ:国旗はジレンマである。フラメンコの魂に祖国や地理や国籍は存在しない。自分を進ませるその道で、私はあなた達のキスと抱擁をずっと覚えているでしょう。 マルタ・バルパルダ ♡日本

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この“SOMOS JAPON”に協力して下さったアーティストの中ではまだまだ無名に近いマルタ。でも若さの中に時としてとてつもない深淵さを垣間見せます。これから先一体どんな踊り手になるのでしょうか。

2011年6月6日 セビージャにて。

 

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