アレグリアス・コンクール4位&最優秀振付賞・波乱の表彰式・・・

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。こちらセビージャは少し涼しくなりました。

一昨日「第14回全国アレグリアス舞踊コンクール」決勝が終了しました。たくさんの方に応援して頂き、本当に感謝しております。誠にありがとうございました!

結果は以下です。

  • 優勝:フアン・ベルムデス(プエルト・デ・サンタマリア)賞金4000ユーロ、タブラオ“コルドベス”出演契約
  • 準優勝:マリーナ・バリエンテ(セビージャ)賞金3000ユーロ、タブラオ“コルドベス”出演契約
  • 3位:ルイス・デ・ウトレーラ(ウトレーラ)賞金2000ユーロ
  • 4位:萩原淳子(日本)賞金1000ユーロ
  • 最優秀振付賞:萩原淳子(日本)

すごい風でした。風というより台風並み。カディスには海風があるのはもちろんだけれど、これは別格。空を見上げていると、音響担当の人が近づいてきました。「昨日からすごい風なんだよ。昨日はコニル(カディス近くの海沿いの村)でフェスティバルがあったけど、風の音がすごすぎてサパテアードの音が聞こえなかったんだよ。音量を上げるとハウリングしてしまうし。そして椅子が飛んで行ったんだよ。風で!」納得。あり得る。この風なら。

そんな中で始まったコンクール決勝。実際踊りの最中も風は吹き荒れ、マントンはあっちこっちに流され、シレンシオの部分ではマイクが風の音をひろい、ぐお〜とうなる。でもなぜか私は落ち着いていました。1カ所だけ「まずい!」と思った瞬間がありましたが。

踊り終わった後、たくさんのアーティスト達やお客さんが「ジュンコ、おめでとう!素晴らしかった!」と声をかけて下さいました。自分では自分の踊りに満足はしていないけど、でも傍目にはよかったのかもしれない。と思い直していると、私に伴奏してくれたギタリストのミゲル・ペレスが私の手を引っ張って小声で言いました。「賞をとるのは◯◯と××だ。ジュンコは賞なしだよ。でも君がどう踊ったか俺は知っている。そして客席にいた踊り手達も皆知っている。そのことの方が価値があるんだ。それを忘れるな。」

客席には、エル・フンコ、スサーナ・カサス、フアン・オガジャ、ピリ・オガジャ、アンドレス・ペーニャ・・・・etcそうそうたるプロフェッショナルな踊り手達がいたそうです。そして今回決勝進出できなかった踊り手達も。彼らのうちの何人かが「ジュンコ、素晴らしかった」と楽屋にまで来て言ってくれましたが、今思うとそういえば彼らの顔が皆曇っていました・・・私が賞なしになるのを彼らは既に知っていたのかもしれません。

そして、表彰式で大勢の観客の前で私がショックを受けないよう、事前に教えてくれたミゲル・ペレスに私は静かに感謝しました。

表彰式。案の定私の名前が最初に呼ばれました。コンクール規定によると賞は3位まで。順に賞金4000ユーロ、3000ユーロ、2000ユーロのはずでした。私は賞なし・・・のはずが、「4位」。不思議に思いながら壇上に上がると、なんと客席からブーイング・・・「tongo!」という声があちこちから聞こえて来たのです。・・・“tongo(トンゴ)”って・・・“八百長”ってこと???困惑気味の私に4位のトロフィーと1000ユーロと書かれた小切手が渡されました。私は全く理解できないまま、でもなんとか微笑みを作ってその場を退こうとすると、今度は別の主催者が「まだその場に残って。あなたには別の賞があるから。」と。別の賞?何ですか?それ?全く意味が分からないまま私は壇上に立ち尽くしました。

すると今度は「最優秀振付賞! ジュンコ・ハギワラ!」最優秀振付賞?そんなのこれまでのコンクールでも一度も聞いたことがない。しかもあの風のせいで半分以上即興で踊ったのに「振付賞」ってことはないでしょう。なんじゃそりゃ?それまで聞こえていた「tongo!」の声が一瞬聞こえなくなり、会場中がシンと静まりました。あの瞬間、会場全体にたくさんの「?」が浮かんでいたと思います。私は全く意味が分からないまま、自動的に振付賞のトロフィーも頂きました。

そして3位が紹介されました。「ルイス・デ・ウトレーラ!」その瞬間、先程の「tongo」の声が会場全体のシュプレヒコールに。「tongo! tongo! tongo! tongoooooooooooooooo!」(八百長、八百長、八百長!!!!)壇上に上がったルイスの目が泳いでいる。そしてそのシュプレヒコールが続く中、ルイスと私はそれぞれ3位と4位のトロフィーを手にし呆然としていました。

2位マリーナ・バリエンテ。笑顔を振りまいてトロフィーを受け取るとカメラ目線で写真に映る彼女。そして最後は優勝のフアン。まばらな拍手。しかしフアンは悪くありません。彼だって私と同じように決勝進出者として一生懸命踊っただけ・・・でもフアンは何が起こったのか察していたのでしょう。トロフィーを受け取るとそそくさと私の横に並びました。顔面蒼白でした・・・。

帰りの車の中。ミゲル・ペレスが激怒している。歌い手のヘロモ・セグーラも。ミゲルの話によると、私が入賞しないようにコンクール側に圧力がかかっていたのだそうです。“私”がというより、正確に言うと“日本人”が、です。私は驚きました。特定の踊り手を入賞させるために私がはじかれたのではなく、日本人である私が賞をとれないよう最初から仕組まれていたとは。しかしこのコンクールではこれまでの歴史の中ですでに2名の日本人が準優勝を飾っているそうです。なんでだ?むしろ日本人に“優しい”(?)コンクールかと思っていたのに。それが裏目に出ました。要するに、これ以上“日本人”を入賞させない、という圧力だったらしいのです。

なぜ、誰が、なんのために圧力をかけたのか、詳細はブログに載せられません。それにより傷つく人がいると思うから。でもその裏事情を聞いた時、私はなるほど、と思いました。よくある話です。これまでに私は日本でもスペインでもたくさんのコンクールに出場してきました。大なり小なり似たような裏事情に翻弄されてきたので、正直、またか、と思いました。

コンクール側はその上で、本来存在しなかったはずの「4位」と「賞金1000ユーロ」を私に与えたのでしょう。そして「最優秀“振付”賞」という微妙な賞も・・・。「最優秀舞踊家賞」は与えられない。「最優秀アレグリアス賞」ってのもだめ。だったらなんで4位なんだ?という話しになってくる。苦肉の策で「最優秀“振付”賞」にしたのかな。もう一つ賞をあげるから4位だけどがまんして、ということなのかな。う〜む、微妙すぎる。それにしても、その賞のトロフィーの踊り手・・・目が切れ長で東洋人みたいなんですけど。私の気のせいでしょうか???しかもそのポーズは私のアレグリアスの最後のポーズと一緒・・・これってすごい偶然???

私はゲラゲラ笑い出しました。今までの私だったら怒り狂うか、大泣きするか・・・でも今回は笑いが止まりません。「tongo!」のシュプレヒコールを思い出して。そんな波乱の表彰式になったのはきっとカディスだったから。カディスには特別のアルテがある。そんなカディスの観客にオレ!だし、そのカディスのコンクール決勝で踊った私にもオレ!4位にされちゃって、でもそれを笑い飛ばしている自分にもオレ!

結局コンクールってなんなんだろう。コンクールの“結果”がその人の人生を変えることもある。人は“結果”のみでその出場者を判断することもある。裏事情が表に出ることもあれば出ないこともある。だからコンクールには絶対出ない!という人もいる。なるほど、それも一つの選択だ。でも私にとって重要なことは、そのコンクールのために準備する“過程”。その“過程”を知る人は少ない。だからこそ重要なのだ。

多くの人や審査員に踊りを見てもらい、順位をつけられたり意見をもらうのもよい、という考えもあるかもしれないが(私もこれまでそう思っていた)でもそれは場合による。踊り手の本当の実力を見極められるのはプロフェッショナルなギタリスト、歌い手。そして自分より実力のあるプロフェッショルな踊り手だと私は思う。そのような人達の前で踊れるのであればそれは貴重な経験だ。そしてその貴重な経験は、コンクールに出ると決心し、いろいろなものと闘いながら準備してきた人間にのみ与えられる。

そしてもっと重要なのは“結果”に流されない自分を持つこと。今までの私のように、納得のいかない“結果”に落ち込んだり、自暴自棄になったりするのは意味がない。それだったらコンクールなんて最初から出ない方がいい。自分自身をだめにするだけだし、周りの人に迷惑をかける。もしくは納得のいく“結果”に溺れ、そこから抜け出せない場合。それも意味がない。自分で自分の道を閉ざすことになる。

今そう思えるのは、これまでに私自身がいろいろなコンクールに出場して、それぞれの裏事情に涙を飲んできたからこそ。そして、それは私だけではない。3位になったルイス・デ・ウトレーラ。ミゲルが言うには素晴らしい踊りだったそうだ。ルイスが本当は優勝を飾るべきだったと。そして今回、決勝進出せずに「バイレ・リブレ賞(バイレ自由部門)」を受賞したパトリシア・イバニェス。彼女だって、きっと納得していないはず。去年のアレグリアス・コンクールで同賞を受賞した(させられた)チョロにしてもそう。あのラファエル・デ・ウトレーラだって、今年のウニオンのコンクールで優勝を与えられなかった・・・

きっとこれからも私はいろいろな波に翻弄されるだろう。努力すればするほど、挑戦すればするほどその波はうずを巻く。でも逆に言えば、その波があったからこそ私は「自分」というものを持ち始めている。人間誰しも落ち込むこともあるし、自分を信じられなくなることもある。でもそれは人間なら当たり前。日本にいようがスペインにいようが、フラメンコをやっていようがいまいが、それはみんな同じ。だから今日も私は波へと漕ぎ出す。

どんぶらこ〜どんぶらこ〜

2011年8月22日 セビージャにて(写真:アントニオ・ペレス)

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