明日!アレグリアス・コンクール決勝

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

とうとう明日になってしまいました。第14回全国アレグリアス舞踊コンクール決勝。

予選通過からこれまでの1ヶ月間、練習してきたようで、あまりしていません。1ヶ月あれば十分踊り込めると思っていたけれど。途中全く練習できなくなりました。スタジオに行ってもぼーっと立ちつくしたり、闘牛場の牛みたいにスタジオ内をぐるぐるぐるぐる歩き回ったり。

私のアレグリアスってなんなんだろう。私は本当にコンクール決勝進出者としてふさわしいのだろうか。そもそも私はなんで踊っているのだろう。私の踊りに価値があるのか。そんなことずっと考えていました。自分と自分自身の踊りにずっと疑問を持っていました。

ところで私はいつからアレグリアスを踊り始めたのだろう?

大学のサークルでフラメンコを始めたばかりの時に、先輩が踊っているアレグリアスを見て、早く早くたくさん学びたくって、そう思って毎週レッスンを見学していたら、見ているだけで振付をとってしまった・・・ああ!!!踊りたい、もっとフラメンコを学びたい!!!そう恋い焦がれていた時にこっそり踊ったのが、私とアレグリアスの出会いでした。

初めて舞台でアレグリアスを踊ったのは、それから2年後、当時師事していたAMIさん、そして森下祐子さん、長谷川典子さんの舞台「LAS ENAMORADAS DE SEVILLA(セビージャに恋する女性達)」。厳密に言うとアレグリアスを踊ったのはAMIさん、祐子さん、典子さん。私は彼女達の踊りと踊りの合間に、つなぎとしてちょっと踊っただけ。そして最後のブレリア。フラメンコ歴2年のド初心者の私がプロの踊り手の舞台に立つなんて・・・。あのアレグリアスは一生忘れられません。

その数年後私はセビージャに渡り、その約2年後一時帰国した時に都内のタブラオで踊る機会を得ました。「私、セビージャに留学してたんです!」という帰ってきたばかりの留学生独特の、あの高慢な雰囲気。留学してたからって、だからなんなの、と今は思うけれど、あの時はそれを特権のように思っていた私。これ、セビージャで◯◯に習った振付なんです!とばかりに鼻息荒くして踊ったアレグリアス。ライブが終わった後、ギタリストの方が私におっしゃいました。

「振付にしばられている。もっと自由にならなくてはだめだ。」

多分、“私の”アレグリアスは、あの時初めてスタートを切ったように思います。いろいろな先生に習ったたくさんの振付、技術。全部かなぐり捨ててカンテをひたすら聴く毎日。踊ることがどうでもよくなればなる程見えてきたアレグリアス。少しずつ少しずつ“私の”アレグリアスは形成されていったのでしょうか。

それからさらに数年後、スペインで何度も何度も踊るようになったアレグリアス。失敗もあれば喜びもあり。発見もあれば落ち込みもあり。たくさんのギタリストや歌い手達との共演。いろいろな人達との出会いの中で経験してきた、愛情、批判、嫉妬、罠、裏切り、感謝、敬意・・・。そしてバタ・デ・コーラとマントンとの出会い。今やっと、バタとマントンが自分の子供のように思えてきています。私は子供を持っていないけれど、持っているのなら多分同じような気持ちなのではないかな。自分といつも一緒にいて、彼らの自由を見守っていることもあるし、彼らを自分の一部のよう感じる時もある。その重みとその存在をいつも感じている。そしてそこに私は喜びを感じている。

長い年月をかけて私は“私の”アレグリアスを耕してきましたた。明日の決勝ではそれが出るか出ないかだけです。バタとマントンの振付も作ってみたけど、最終的に残るのは“私自身”なのでしょう。振付なんて壊れてしまえばいい。舞台の上で。そうでなければ “私自身” は現れないから。

コンクール決勝、ということは、もういいんじゃないかな。点数も順位も他人の評価も。重要なことはもう、私は私の中に持っている。たぶんね。

2011年8月19日 セビージャにて

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