フラメンコ・ライブ in ラジャ・レアル・セビージャ 大成功!

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2011.9.7 //  サラ・ラジャ・レアル – セビージャ.

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • マヌエル・ロメーロ
  • アンドレス・エルナンデス“エル・ピトゥケテ”

昨晩のセビージャ「ラジャ・レアル」でのソロ・ライブはお陰様で無事終了致しました。とてもとても楽しかったです。普段はバルなのですが、数ヶ月前からフラメンコライブが行われるようになり、留学生、地元トゥリアーナの方々、時にはアーティストもお客さんとしてやって来ます。なかなか素敵な空間でした。

踊った曲はソレアとアレグリアス。久しぶりにバタもマントンもなしの“素踊り”でした。今まであって普通だったものがなくなるとあれれ?という感じがしましたが、それはそれである意味自由も感じられたり。同じ曲を踊るにしても身にまとっているものが違うだけでこんなに感覚が違うものか、と自分でもびっくりしました。でも確かに日常生活でも、ジャージを着ている時とスカートはいている時は気分が違うし、すっぴんの時とばっちりお化粧している時でも違う。どれも全部自分なんだけど。不思議ですね。

本当に楽しいライブでした。楽しすぎて時々爆発しました。自分の踊りに関しては「あちゃ〜」というところが毎回必ずあり、まあ、人間だから仕方がないんですけど、でもそれはいつもの反省材料。でもお客さんも主催者側もアーティストも、みんな大喜びで私まで嬉しくなりました。1曲目のソレアの後、お客さんの一人がたどたどしいスペイン語で「初めてフラメンコを見ました。涙が出ました。私と一緒に写真を撮って下さい。」と声をかけて下さり私の方こそ感動したり、私の2曲目のアレグリアスで地元のアーティストが飛び入り舞台に上がりパルマたたいて下さったり、お客さんとして客席にいらっしゃった歌い手のボケロンも最後にブレリアを披露して下さったり。そういえば、テレビカメラも撮影に来ていました。インターネット上のフラメンコ番組の撮影だったらしいので、そのうちライブの様子がアップされるかもしれません。(・・・「あちゃ〜」の部分はカットされていますように・・・!!!お願い!!!)

お客さんの中にはたまたまこの時期セビージャを訪れていた、昔の留学生仲間、昔住んでいたピソ(スペインのアパート、マンション)の大家さんご夫婦、フラメンコ教室のクラスメートの姿も見えました。日本人の方もお一人。ライブが始まる前と休憩時間にご挨拶できましたが、ライブ後はお姿を見かけることができず・・・もしこのブログを読んで下さっているようでしたら、この場をお借りしてお礼申し上げます。どうもありがとうございました!

そしてあと二人、特別に感謝したい人達がいます。一人は今回のギタリスト、アンドレス。彼と知り合ったのは数年前トロンボのクラスででした。アンドレスはチリ人のギタリスト。現在はスーパー・フラメンカな歌い手エンカルナ・アニージョの歌伴奏者として大活躍しています。(エンカルナはファルキートの歌い手としても有名ですね)でも高飛車な所が全然なくて、何年も会っていなかったのにすぐに打ち解けられたのはやはり彼の人柄のおかげでしょう。いつも周りの皆をほっとさせる昔のままの笑顔を見せてくれました。

本番前日、そのアンドレスと合わせをした時のことです。彼のギターの音がとても素晴らしく聞こえたので、私は彼に「たくさん練習しているの?」と質問しました。すると彼は「そんなでもないよ。1日3〜4時間くらい。あんまり練習しすぎるのもよくないから。フラメンコに大切なものがなくなっちゃうよ。」と答えたのです。あああああああああああ、すごくよく分かる。その答えを聞いてとても納得しました。練習をたくさんすれば技術的には上達する。それはギターでも踊りでも歌でも絶対に必要なこと。プロならなおさら。でも練習すればするほどよいか、というとそうでもない。なんというか、新鮮さみたいのがなくなってしまう。練習に裏打ちされた確実性は見てとれても、その瞬間瞬間を生きる生命力みたいのに欠けてしまう。それがあるからフラメンコはフラメンコであるのに。アンドレスの言葉は本当だと思う。

そしてちょっと思った。ここ最近コンクールのことで頭がいっぱいだった私は練習のことばかり考えていたのではないかな。その割には練習できない精神状態に陥ってしまって悪循環になったり。コンクールだって本当は楽しめればいいのにね。・・・でも自分がコンクールにかける時間やお金や犠牲や・・・いろいろなことを考えるとそう簡単に「楽しめ」なんて言えない。きっと楽しめるのは、な〜んにも考えなくても生きてゆけるよほど幸運な人か、それらを全て乗り越えて超越できる強さを持っている人なんだろう。どちらでもない凡人の私はコンクールという言葉に縛られ過ぎていたのではないかな?というより、自分で自分を縛ってしまったのではないかな?

そんなことを思いながら、それを気付かせてくれたアンドレスに感謝しながら、ゆる〜りゆる〜りと自転車をこいでトゥリアーナ橋を渡っていると、橋の反対側から何か視線を感じる。ふとそちらを見ると、特徴的なシルエットが目に飛び込んできた。私は目が悪いので橋の向こう側の人の顔を判別することはできない。でもあのシルエット。もじゃもじゃ頭のもじゃもじゃひげに細身のズボン。そしてあの歩き方。舞踊伴奏大ベテランの歌い手フアン・ホセ・アマドールだ!絶対に。

彼の歩き方はYouTubeにアップしたいほど素晴らしい。それにはアルテがあふれ、一目見ただけでアーティストだと分かる。でも、「オレってアーティスト」という見せかけの雰囲気をこれ見よがしに振りまく“えせ”アーティストの歩き方ではない。うまく説明できない。でもセビージャの町中で見かけるフアン・ホセにはただただ後ろからついてゆきたくなる。拝みたくなるほどである。

そのフアン・ホセがその歩き方でこちらを見ている。橋のこちら側から「holaaaaaaaa(こんにちはあああああ!)」と叫ぶと彼は大きく手を振り返してきた。その手の振り方にもアルテがある。彼の後ろにはグアダルキビル川岸にそびえ立つ黄金の塔が光っている。その光景が一瞬流れた時に、今での100万時間の練習がすっと抜けていったような気がする。なんだかフアン・ホセのアルテのおすそわけをしてもらったみたいで、またまた感謝した。

そう、だから今回も本番前に大切なことがあった。それを教えてくれたアンドレスとフアン・ホセ。ありがとう。

きっと全部踊りにつながっていくんだろうな。私の見てるもの聞いているもの感じているもの。

2011年9月8日 暑さがぶり返してきたセビージャにて。

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