石巻に行きました②

みなさんこんにちは。昨日のブログの続きです。

松島のホテルに1泊して、次の日また石巻に向かいました。昨日と同じように石巻駅前でタクシーを拾ったところ・・・なんと昨日と同じ運転手さん!すごい偶然!早速昨日行けなかった魚市場、水産加工場に連れていって頂くことになりました。

「今日もたくさん写真撮って下さいね。船がね、津波で乗り上げていますから、いまだにそれ残っていますから、そこ写真に撮って下さいね。」今日もものすごい勢いで説明して下さいました。「今日はこの後、女川にも行きましょう。魚市場で待っていますから。女川は市場から20分くらいで行けます。そこも見て頂きたいんです!女川は本当に壊滅してしまったんです。高台にある病院の1階、15メートルまで波が来たんですよ。だからもちろんその下の町は壊滅。壊滅ですよ。」

魚市場に着きました。やはり待って頂くのも申し訳ないのでお別れをすることに。すると運転手さんは名刺を下さいました。「写真撮り終わったら私を呼んで下さい。すぐに飛んできますから。」とても熱心な、宮城交通の運転手Kさんでした。

全壊してしまったという魚市場、水産加工工場。でも少しずつがんばっています。

満潮になると冠水するそうです。その大きな水たまりを避けながら、運転手さんが教えて下さった「陸に乗り上がった船」を探す事に。

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う...これはひどい....言葉になりません・・・

震災直後は石巻市内にまで乗り上がった船が放置されていたそうです。

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人間が作ったものなんてこんなに簡単にぐにゃりと曲げられてしまう。かもめにとってはどっちでもいいのかもしれないけど。

魚市場を後にし、先程のタクシーの運転手さんに電話しました。女川行きを勧められたけど、今日は天気も悪いし帰りがかなり遅くなってしまいそうなので、昨日行った南浜町にもう一度連れて行ってもらうことにしました。魚市場から南浜町をつなぐ大きな橋があります。その橋の上を通った時に運転手さんは教えて下さいました。「この橋の上には津波が届かなかったの。だからこの橋の上で助かった人はたくさんいるんですよ。次の日、ヘリコプターで助けられたのね。」

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南浜町に到着。昨日はほとんど人がいなかったけど、今日は復興支援の車がひっきりなしに通る。あれだけある壊れた車の山へ、さらなる車がどんどん運びこまれる。

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住宅跡を何台ものショベルカーが更地にしていく。でもここでも冠水。

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「災害復興支援隊」の皆様に本当に頭の下がる思いです。

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昨日手を合わせた同じ場所。昨日はなかったお花が供えてありました。昨日私がお供えしたのど飴はそのままになっている。迷惑ではなかったのかもしれない・・・・。今日は持参してきた別の飴をお供えしました。そしてまた手を合わせました。

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その後また同じ運転手さんに迎えに来てもらい、石巻駅前から駅前商店街へ。丁重にお礼を申し上げお別れすることに。そして、やはりその運転手さんに教えて頂いた、おいしい石巻のかまぼこのお店「白鎌」へ。商店街にも津波は達したらしく、営業しているお店とまだ閉まっているお店とありました。しかし「白鎌」はお客さんで賑わっていましたよ。試食をさせて頂いたら本当においしい。一箱を両親の元へクール宅急便で送ることに。左のかまぼこセット、宅急便代を入れて3000円ちょっと。家に帰ってから皆で頂きました。ありがとうございました。

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ぶらぶら歩いていると商店街でたくさんのキャラクター銅像を発見。石ノ森章太郎さんの美術館がある石巻は(美術館は現在閉鎖中。建物は残っていますが)たくさんのキャラクターにあふれています。なんだか元気が出てきます。

商店街にある「ヴォーグ美容室」の方とお話ししました。美容室にも浸水してきたせいで、電動椅子が全てダメになってしまったこと。でも地方に住む息子さんやそのお友達が椅子を寄付して下さり、わりと早く営業再開できたそうで、震災後2ヶ月は無料でカット、その後1500円、そして2500円、現在は通常料金でカットされているそうです。美容室の奥はご自宅。美容室2階には復興事業の業者さん達が宿泊されているらしく、業者さんの夕ご飯を作っていらっしゃいました。「ごめんなさいね。今度いらした時にはコーヒーをお出ししますね。」と優しい奥様。そしてこうおっしゃっていました。「欲を出すからこんなことになったのよね。普通に暮らしていれば普通に幸せなのにね。」柔和なお顔から発せられたそのお言葉が心にずっしりときました。

その美容室お向かいの洋品店にもお邪魔しました。洋服ちょっと、呉服ちょっと、いろいろなものが少しずつ売っています。「あなた、ここの方ではありませんね。」とお店の方はおっしゃり震災直後の石巻の写真集を見せて下さいました。昨日今日と訪れた南浜町がそこにはありました。「ここが火災した門脇小学校ですね。ここが公園だったところ。まだがれきが山のようにありました。あ、そしてここが壊れた車が山積みになっているところ。」その写真と自分が実際見て来た場所を一致させようと、私はたて続きに確認していきました。

その時別の店員さん(私と同じ年くらい)が笑っておっしゃいました。「その中に私の車もあります。」

はっとしました。何を分かった気になっているのだ。私の目の前にいるこの人は津波から生き延びた人なのだ。きっと私は何も分かっていない。私が知った事実はただの事実で、私はその外にいる。でもこの人はその事実の中で生きている。

私ができることはその洋品店で売っていた、〝I ♡ ISHINOMAKI〟と書かれた「復興Tシャツ」買うことでした。そしてそんな私にお店の方は優しく教えて下さいました。「みなさんね、『アイ・ラブ・イシノマキ』と読まれますけど、『オイ・ラブ』なんです。私達は自分のことを『オイ』と呼ぶんですよ。」

「オイ」・・・・スペイン語だと〝今日〟という意味を持つ「hoy(オイ)」。今日という日を愛せ、そう言われているような気がしました。昨日は過去、明日はまだ来ていないから分からない。分かっているのは今、今日。だから今を、今日を大切に生きる。それは私がこの9年間セビージャでの生活で学んだ、とてもとても大切なことでもありました。

2011年10月31日 セビージャにて。

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