フェリアのセビジャーナス 2012

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは本日〝フェリア〟の最終日。フラメンコを習っているみなさんならご存知だと思いますが、〝フェリア〟は分かりやすく日本語に訳すと〝春祭り〟でしょうか。セビージャでは毎年大体、4月の1週間毎日開催されます。セビージャのフェリア会場(普段は空き地になっている)に飾り付けられた仮設の小屋(カセタ)が所狭しと建てられ、そこで1週間毎日踊り、歌い、飲み、食べ・・・というお祭りが行われます。

YouTube に今年のフェリアの模様がアップされているみたいです。→watch?NR=1&feature=endscreen&v=XxecOBpmUQA

フェリアの期間1週間は、多くの場合、学校や仕事は月曜から水曜まで。木曜からフェリア最終日の日曜まではお休みになる所が多いようです。フェリアの楽しみ方は人それぞれ。本当にフェリアが好きな人は1週間毎日フェリアに繰り出します。旅行会社に勤めている私の友達Pは、仕事が終わった後、即フェリア。明け方まで飲み食い踊り明かし、仮眠して仕事、また次の日もフェリア、そして仕事、フェリア・・・・これを1週間繰り返します。仕事が休みの日は一日中フェリア会場にいるのです。なぜそんなに体力があるのか・・・不思議なところ。他の友達の多くは1週間のうち何日かフェリアに行き、フェリア最後の週末はセビージャを脱出、近場の海に行く人が多いです。

ちなみに初日の月曜は〝Pescaito〟(ペスカイート)の日と言われます。フェリア幕開けの日に皆でカセタに集まってペスカイート・(フリート)、つまり魚のフライを食べます。そして夜中12時にフェリア会場の巨大な門(ポルターダ)の電飾点灯。それを祝ってフェリアの開始。

それもYouTube にアップされていました。→watch?v=9nuEHhN0IOM&feature=related

ちなみに初日の月曜はフェリアの衣装を着ないのが〝通〟。着てはいけないわけではないけれど、多くの人は衣装ではなく普段着のおしゃれで〝ペスカイート〟を食べます。衣装を着るとしたら2日目から。

セビージャのフェリアで残念なのは、多くのカセタがその持ち主と知り合いでないと入れないこと。一般に開放されている公共のカセタもいくつかありますが、楽しいのはカセタめぐり。あっちの友達、こっちの友達のカセタを周り、それぞれの場所で踊ったり飲んだり食べたり。セビージャの人が全員カセタを持っているわけではないですから(年間維持費がかかるのと、世襲的な部分も大きいので実際、カセタを持っていない人の方が多い)、知り合い総動員してそれぞれのカセタを回るわけです。

ちなみに私は今年は月曜のペスカイートの日と金曜の夜にフェリアに行きました。金曜日が楽しかったかな。雨が少し降って来てしまったのが残念でしたが。歩いていたら、「君、昨日踊ってたでしょ!すごくよかったよ!」と声をかけられ(前日の〝テ・デ・トゥリアーナ〟ライブ)その人のカセタに招待されたり。でも一番心に残ったのは、ある友達の友達のカセタで知らないおじいさんとセビジャーナスを踊ったことでした。

セビジャーナスは友達同士と踊っても知らない人同士で踊ってもとても楽しい。でも私が一番フェリアで好きなのは、〝知らないおじいさん〟から「私と踊って下さい」と声をかけられ、即興のセビジャーナスを踊ること。

セビジャーナスというと、日本ではフラメンコ初心者が習う踊りというイメージがあり軽くみられがちですが、実は奥が深い。厳密に言うとセビジャーナスはフラメンコではありませんが、フラメンコと同じくらいのアルテがあります。

で、そのセビジャーナスと踊る相手は〝知らないおじいさん〟というのがミソ。まず相手を〝知らない〟ことによって、その瞬間瞬間相手がどう出るかによって即興の踊りが生まれます。もちろん日本のフラメンコ教室で習うようにセビジャーナスは1番から4番まであります。でもその場合、教室で習った振付け通りに踊ることはありません。だから面白い。まず相手と向き合い、目を見る。日本では相手の目をじっと見つめる習慣がないけれど、ここでは見なくてはだめ。相手の目をじっと見て、でも見ているのは目そのものではなく、その目の奥にあるその人そのものを見るのです。それによって、相手がどのくらい踊れるのか、どのくらいのアルテを持っているのかをお互いに計る。動き出す前が重要なのです。だから相手を〝知らない〟というのがミソ。お互いを知っている友達同士で踊ってももちろん楽しいけれど、元々相手を知っていると、その〝掛け合い〟が〝馴れ合い〟になってしまう場合が多いから。

次に〝おじいさん〟というのがミソ。皆、若くてカッコいい男達と踊りたがるけれど・・・そうですね、確かにカッコよく上手に踊る若者もいます。確かに若者は若者だけにエネルギーがある。手足が上手に動く。しかし「オレってカッコいいだろ」という自意識過剰、「オレの方が上に立たなくちゃ」というちょっぴり男性優位主義なんかが顔を覗かせて、上手いけど〝粋〟にはならない。〝おじいさん〟というのは、多分、これまでの人生の中でそういうのがそぎ落とされて、ご本人そのもののエレガンシア(優雅さ)や粋というものに落ち着くのではないか。人としての、男としての粋。それがセビジャーナスを踊る時に、女性の前に立つ時に、ちょっと腕を上げる時に現れるのではないか。表そうと思っているのではなく自然と現れてしまう。

もちろんどこの国にも〝viejo verde〟(ビエッホ・ベルデ。エロじじい。)というカテゴリーに入る方もいらっしゃるので、そういうおじいさんは論外だけれど、そうではない前述のようなおじいさんは、目の前に立っただけで分かる。あ、この人はアルテがある。この人とは踊れる、と。

今年もその〝知らないおじいさん〟との出会いがありました。そういう出会いのもとに生まれたセビジャーナスはものすごいアルテの炸裂になります。1番から4番までそのおじいさんの目しか見ていません。踊り終わった後、私達の周りがぽっかりと空き、カセタ中の、そしてカセタの外にいた通行人がものすごい拍手をしていました。あのセビジャーナスを踊っただけで、多分来年のフェリアまでセビジャーナスを踊る必要はないでしょう。

ちなみに後でおじいさんからこう言われました。「私はパーキンソン病です。でも貴女と踊る事ができました。本当に楽しかった、ありがとう。」おじいさんはそのカセタのオーナーだそうです。友達の友達のそのまた友達つながりで勝手にカセタにお邪魔していたのでちょっと恥ずかしかったのですが、私も楽しかった。「あなたのアルテにありがとう。私も楽しかったです。」と答えて別のカセタに移動しました。

またどこかで会えるのかもしれない。でももしかしたらもう会えないのかもしれない。一期一会。だからこそ、その瞬間瞬間にお互いのアルテを探って取り出すのです。自分が持っている、もしかしたらこれまでの人生で培ってきたかもしれないもの、全てをとっぱらって、自分自身そのもので相手と向き合う。それが私にとってのフェリアの最高のセビジャーナス。来年はどんな〝おじいさん〟と出会えるのでしょうか。

2012年4月29日。 今晩12時にあがる花火でフェリア閉幕です。 セビージャにて。

Comments are closed.