ギジェーナ・コンクールの予選を終えて

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で昨晩、無事にギジェーナ・コンクールの予選でタラントを踊ることができました。

ギジェーナはセビージャから車で30分程の村。村の入り口に着いた私達はペーニャの場所を人を聞こうと車を止めました。運転していたミゲルに、私が「ペーニャの住所は〝スルバラン通り4番〟らしいよ。」と言いましたが、ミゲルが道端のおじいさんにした質問は

「¿Dónde hay cante?」(「どこにカンテ(フラメンコの歌)がある?」)

するとおじいさんは、「まっすぐ行ってスーパー・ディアに着いたら右に曲がれ」と即答。一体こんな会話が世界のどこで成立するのでしょうか?なんてアルテ。なんてフラメンコ。しかもそのおじいさんは口では「右」と言いながら左を指差している。そしてその声を聞いたモイが「あいつは歌うぜ。オレと話させろ」と助手席から身を乗り出す。それを気にもとめる風でもなくぶ〜んと車を発進させるミゲル。「グラシア〜(ス)!!!」と後部座席からおじいさんに叫びつつ、果たして右なのか左なのかを心配する私は、やはり日本人。結局スーパー・ディアまで着いて左右きょろきょろしたら右手にペーニャはありました。そう、これがフラメンコ。このやり方がフラメンコなのです。アンダルシアの。

そんなのナビ使えばいいじゃん、と思うのも一つの案。間違いではない。でもフラメンコはそうではない。フラメンコの属する文化。それは全然違うもの。便利な世界に慣れきってしまっている人からは決して理解されないけれど、それがフラメンコを温めている。銀行でも郵便局でもスーパーでもバスでも何分も待たされる。ネットで情報収集するより人に聞いた方が確実。でもその情報だって自分が自分の目で確かめなければ本当に確実とはいえない。しかもその確実性はその日その時によって変わる。そんなことにたくさん振り回されて、セビージャの中を歩いてばっかり。私、踊りに来たんだっけ?歩きに来たんだっけ?とふと疑問に思うことも。そしてそれが耐えられなくて、さっさと日本に帰っていく留学生も少なくは多い。「いいな〜セビージャに住んでいて」て言う人の恐らく大半は、実際生活してみたら耐えられないのではないかな。

コンクールが行われたギジェーナのペーニャ会場。あのフラメンコの瞬間の度に、あのアンダルシアの「oooooooleeeee」があちこちから叫ばれました。そうなんだよ、それなんだよ。自分が「oooooleeeee」と感じる瞬間に、まさにその瞬間に聞こえて来る「ooooooleeeeeee」。これはアンダルシアだからこそ。長い長い歴史の中でこの文化によって温められ続けてきた人達が、温め続けたものに対する「ole」。

そしてそれを引き出したのはモイの歌でした。モイ・デ・モロン。この歌い手は、仮に人間の姿をしているだけなのではないか。そう思わずにはいられませんでした。何度も恐ろしい瞬間がありました。あのフラメンコの瞬間。その瞬間の度に・・・・いや、これはブログでは表現できない。あの歌を聴いて、私は自分が踊る必要がないと思ってしまった。結局身体は踊るためにあるのではない。私は自分がモイのように歌えない分、身体で歌っていたのだと思う。

そういう時の踊りに対して、こちらの人は「バイラ(ス)・ビエン」(踊りが上手だね)という言い方は絶対にしません。自分がどれだけ感じたのか、それをその人なりの言葉で表情で一生懸命伝えてくれます。そして抱きしめてくれる。どう考えても、抱きしめたら気持ち悪いだろ〜と思うくらい、私が汗だらだらでも。そういう文化なのです。そういう人達なのです。

あるお客さんは「カンテに対する敬意を払ってくれてありがとう」と私に言って下さいました。あの時は踊り終わったばかりできちんと思考できなくて、私は「こちらこそありがとうございます」としか言えなかったけど、つまりこういうこと。

「敬意を払わずにはいられない、この偉大なアルテに対して、あなた達の文化に対して、私の方こそ感謝します。」

帰りの車の中でミゲルが私に言いました。「今日はオレはある意味、働かなかった。あのモイの歌をジュンコが踊って、それ以外に何も必要なかった。オレは弾きながら客観的にそれを感じていたよ。あのモイの瞬間、それをジュンコが受け止める瞬間、観客が爆発する瞬間、それを楽しんだ。半分伴奏者として、半分もう一人の客観的な自分として」

そしてこうも続けました。

「オレはモイやジュンコのように瞬間的に爆発することができないんだ。自分がそうなるためには時間が必要なんだ。1曲、2曲、3曲と弾いていくうちに温まってくる。オレはそういうタイプの人間なのだと思う。」

私は答えました。「モイが爆発したのはミゲルのギターがあったからじゃないかな。そしてモイの爆発が私を誘発した。多分違うギタリストだったらそうはいかなかったと思う。3人が3人だったから今日があったのだと思う」私はミゲルとモイと一緒にフラメンコの瞬間を共有できたことに感謝しました。

ありがとう。モイ、ミゲル、フラメンコ。

明後日から1週間セビージャではフェリア(春祭り)だけれど、木曜日に踊ります。

2012.4.26// ¨テ・デ・トゥリアーナ¨ – セビージャ.  22時以降開演、入場無料

 

 

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エル・トゥリニ
  • エル・フィティ

 

 

 

2012年4月21日 セビージャにて。

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