続々/コンチャ・バルガスのクラス

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

まだ続きます。コンチャ・バルガスのクラス。学ぶことが多過ぎてブログにしないと忘れちゃうよ。でも一番深く学んだことはブログにできない・・・

  • 7月16日(月)

暑い。気温46度の中、20数名の生徒ぎっしり+熱いコンチャ。暑い。18時。セビージャの最も暑い時間帯。そしてスタジオの中には外に面した大きな窓ガラスから西日が・・・しかも冷房がきかない。サウナ状態。何人かが具合悪くなって座って見学。萩原も暑過ぎて意識朦朧。クラスの内容覚えていません。。。。唯一覚えているのは、クラスが終わる瞬間コンチャが叫んだ言葉「これ以上はもうムリ!!!!!」

  • 7月17日(火)ブレリアクラス

今日も暑いが、昨日の反省から今日は集中。ブレリアの最初のジャマーダはファルーコ(現在のファルキートの祖父)のものだと言う。コンチャがこんな話しをしてくれた。

「私はファルーコに習ったことはない。でも2年間、タブラオでファルーコを見ていた。当時のフィグーラはファルーコ、マティルデ・コラル、ラファエル・エル・ネグロ。私はマヌエラ・カラスコとローレと一緒に前座で踊っていた。自分の出番が終わると衣装を脱ぎ、すっ飛んで彼らの踊りを観に行った。毎日毎日。だから私はファルーコのレッスンを受けたことはなかったけど、ファルーコはたくさん教えてくれた。」

・・・『衣装を脱ぎ、すっ飛んで』という部分でところで、コンチャは実際にそういう動作をする。そして『観に行った』というところで、コンチャがかがんでひざに手をあて、ただでさえ大きな目をぎょろっと開く。・・・萩原は思う。この人はアーティストである。踊らなくてもその存在自体がアルテである。

その後、コンチャに「場所はどこだったのですか?」と私が聞くと、コンチャはさらなる話しをしてくれた。「ラ・コチェーラというタブラオ。メネンデス・ペラージョ通りにあった。そこでファルキートが死んだのよ。ファルキートってのは今のファルキートではなくて、ファルーコの息子、今のファルキートの父。彼もコチェーラで働いていた。普段はファルーコと車でブレーネから、ブレーネってのは彼らが当時住んでいた村だけど、そこから車でコチェーラまで来ていた。でもその日ファルキートは『おれはバイクで行く』と言ったそう。当時タブラオは21時頃始まった。でもその時間になってもファルキートは来ない。22時になっても、23時になっても。ファルーコは警察なんかに連絡せずに、自分の車で息子を探しに行った。そして見つけたのよ。道路で死んでいる自分の息子を。」

コンチャは「ミラミラ」と言って、鳥肌が立った自分の腕を生徒達に見せる。そして続ける。

「ファルーコはその後、深刻な鬱病になった。そして何年も踊らなかった。靴を売っていたのよ。生計をたてるために。」

・・・そのジャマーダを教える時に、コンチャは「飛べ!」と何度も強調する。「私はもう年だしひざが悪いから飛べないけど、あんた達は若いから飛べ!」と。今まで私はクラスの中で教わった通りにただ飛んでいた。でもそこにはコンチャがファルーコと生きてきた時間と歴史があったのだ。フラメンコの歴史。

昔トロンボに習った時もファルーコの〝飛び〟を習った。トロンボを通して。あの時トロンボは言っていた。「ファルーコは踊りの中でたった1回しか飛ばなかった。飛べばいいってもんじゃない。1回だけでいいんだ。でも本当に飛べ。」と。

  • 7月17日(火)カンティーニャスクラス

今週から新しい生徒達が入って来た。皆初心者だ。先週まで一緒に受けていたグラナダの踊り手はレッスン代がもう払えない、と来なくなってしまった。彼女がいなくなってしまったこともあり、他の生徒達と私のレベルが違いすぎる。コンチャは彼女達に合わせて、本当に辛抱強く懇切丁寧に教える。

コンチャは私に言う。「私がどう教えるか学べ。」そうなのだ。それは私が時々クラスでこっそりやっていることなのだ。どうしてコンチャに分かってしまったのだろう。つまり、私は自分が教える立場でもあるので、自分が習っている時にその先生がどのように教えるか、それぞれの生徒達のどこに問題点があるか、もし自分が教えるならどうするかという視点でクラスを受けることもある。自分が踊れるようになることと、それを教えることは全く違う。踊るための勉強が必要なのと同じくらい、教えるための勉強というのも必要なのだ。そしてコンチャ自身も毎回のクラスを通して、どう教えたら生徒がきちんと学べるかという点に真摯であるように思える。

そして初心者の生徒にコンチャは数を数える。この点に関しては私ははっきりとした答えを見つけていない。先生によっては動きを全て数で数えて教える先生と、逆に「数えるな」という先生がいる。私は自分が教える時には最初は数えずにリズムやコンパスから教える。パソを教える時には、足よりも先に口でリズムがとれているか確認する。そのために、目を閉じさせて音に集中させることまで徹底している。目を開けていると、音をとるよりも右とか左とか、プランタとかタコンとか視覚的なことに気が散ってしまうからだ。音を先にとってしまえば後は早い。その音にのっとって右とか左とか見ればよい。プランタ、タコン、ゴルペも音を聞けば、それが何なのか分かるはずだから。その上で数えるべき時は数える。・・・これが今までの私の教え方だったけど、コンチャのように一つ一つの動きを数える訓練も積もう。きっとそれは自分が教える時に役に立つはずだから。

でも・・・思う。コンチャにはまずコンパスがあって、それを数えて教える。動きに数をあてはめることを学んでいる。でも多くの生徒は逆だ。生徒にはコンパスがない。そこから数を数えられて教わる。すると生徒はいつコンパスを学ぶのだろう。コンパスが人生の中に、生活の中にない私達はいつコンパスを学ぶのだろう。それが外国人である私が学ぶ時の、教える時の重要なテーマだ。

  • 7月19日(木)ブレリアクラス

踊りの上手な外国人の生徒がコンチャに質問する。前に歩いて行ってジャマーダに入る部分。コンチャはかがんで歩け、と教えた。それに対してその生徒は「どうも上手くできないのでどうしたらよいか教えてほしい」と言う。コンチャに「やってみろ」と言われて彼女は一人でやってみた。確かになんだか変だ。普段の彼女は全体的に踊りはソツなく上手に踊っている。彼女の国では有名な踊り手なのだろうと容易に推測できるくらいの高い舞踊レベルである。でもその部分はなんだか変だ。(萩原、自分のことは棚に上げてます)コンチャは「歩幅をもっと小さくしろ」とか「もっとかがめ」とか教えるけれど、彼女がその通りにやってみればみるほどおかしい。「どうしたらいいの!できないのは私だけ?!みんなはできるわけ?!」と苛ついて教室全体を見渡す彼女にコンチャは言う。

「あんたの踊りにはサルサ(ソース)が足りない。フラメンコはガスパチョと同じ。オリーブオイルじゃなくて、あんんたの踊りにはひまわり油が入ってんのよ!」

・・・・強烈なお言葉。以降彼女は黙ってしまう・・・

・・・・萩原唸る。彼女に向けられた言葉は世の中100万人フラメンコを学んでいる人にもあてはまる。もちろん私にも。もしかするとあなたにも。

  • 7月19日(木)クラスの後で

お友達夫婦が、セビージャ郊外にある日本料理レストランに連れて行ってくれるというので、もちろんついていった。そこで私達が食べたもの。

①わかめとえびの酢の物

②まぐろのたたき

③野菜の天ぷら

④えびの天ぷら

⑤焼き餃子

⑥寿司

⑦刺身

⑧冷酒

⑨抹茶アイス

であった。「おいしい」という噂をかねがね耳にしていた通り、おいしかった。見た目もとんちんかんではない。セビージャ市内にある日本料理レストランとは格が違う感じ。

・・・でも・・・厳密に言うと日本食とは言えないような気がする。日本食と言うには何かが違う。何かが足りない。その点を上記のメニューそれぞれにおいて考察してみた。

①酢の味が微妙に違う。

②タレがない。

③天ぷらではなく厳密にはかき揚げ。しかも野菜が太切り。

④なぜか〝自家製トマトソース〟がついている。

⑤焦げ目がない。

⑥ にぎりを自分の皿にとろうとするとシャリが真っ二つに割れる。軍艦巻は高さがありすぎて食べづらい。無理に食べるとやはり崩壊。(しかも、「食べ方のお手本を見せて」と言われて彼らの前で食べた挙げ句の崩壊。)

⑦切り方が厚過ぎる。

⑧あまり冷えていない。

⑨アイス3玉は多過ぎだろう。しかも全部抹茶は飽きるよ。

・・・そう、でもこれは私が日本人だからの意見であって、スペイン人のお友達夫婦は「うまい、うまい」と食べていた。もちろんそんな事を言ってせっかくの食事に水を差すのもなんなので(しかも彼らの奢りだったので)私ももぐもぐ食べていた。実際おいしかったし。

つまり、こういうことだと思う。日本食を知らない人が日本食を研究してマネしたのがここのレストランの料理だと思う。コックは多分日本人ではない。でも日本人でないのに、よくぞここまで研究したなと萩原は個人的に褒めてあげたい。その研究が中途半端なまま料理にしちゃっているのが、その他大多数のセビージャ市内の日本食レストランでだと思う。だからそれに比べたら、ものすごい研究努力がうかがえる。それがお料理の見た目と味に現れている。スペイン人達が「おいしいおいしい」と噂する理由はここにある。

でも、厳密には日本食じゃないんだよ。それが、お料理としてではなく〝日本食として〟おいしくなるための、肝心な所が足りない。もしくは違っている。日本人以外の人からすればそれは本当にささいな事かもしれない。でもそれがズレていることで、お料理としてはおいしくても〝日本食として〟おいしくならない。

そう、コンチャがクラスで言ったことってそういうこと。フラメンコを知らない人が見れば、その踊りは上手でフラメンコっぽく見えるかもしれない。でもフラメンコを知っている人からすると、どんなに上手でフラメンコっぽく踊ってもフラメンコではない。踊りとしてはおいしくても、フラメンコの味がしない。フラメンコの味になるための決定的な何かが足りないか違っている。例えば、お料理にソースがないように。例えばガスパチョにひまわり油を入れてしまうように。

2012年7月 来週でコンチャのクラスが終わるセビージャにて。

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