ファルキートのクラス

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっと言う間に1月が終わってしまいました。先月はファルキートのクラスを受けていましたよ。火曜と木曜の週2日で、数日ファルキートがお休みし、私も自分の予定でクラスに行けない日もあったので、今月は数回しか受講できませんでした。でもなんだかずんと心に残っているな・・・

フラメンコを習っていらっしゃらない方もこのブログをお読み下さっていると思うので、簡単にファルキートの説明を私なりにしようと思います。ファルキートのおじいさんはファルーコ。ファミリア・ファルーコ(ファルーコ一家)と言えばフラメンコ・アーティストの中でも生粋のヒターノ(ジプシー)。その血に流れているフラメンコは他のアーティストとは明らかに一線を画し、神聖視されています。ファルーコが亡くなり、ファルキートのお父さんも亡くなり、ファルキートは若くして一族をしょって立つ立場になりました。その血と才能に恵まれた素晴らしいアーティスト。そんな中、数年前に起こしたひき逃げ事故のせいで世の中にはファルキートを敵視する一般の人もいます。もちろん彼は服役をし罪を償いましたが。

最も純粋で最高級の、誰一人としてその隣に並ぶことはできない。その意味で唯一のアーティスト。でもその陰にはきっと想像を絶する絶え間ない努力と、葛藤やしがらみ、責任や重圧をかかえているのかもしれません。もちろん本当のことは本人にしか分からないのでしょうが。私がこんなことをブログにするのは僭越なのかもしれません・・・

そのファルキートのクラス。これまでセビージャで彼は1週間(実質5日間)のクルシージョ(短期講習会)を時々開講していました。今までに何度も習ってみたいと思っていましたが、なんだか恐れ多くて。。。そしていつもすぐに定員いっぱいになっていたので、ずっと習う機会がありませんでした。

でも1月から毎週2回クラスを開講すると聞き、意を決して申し込み。中級と上級の2クラスがあり私は中級クラスに入る事にしました。上級クラスも試しに受講してみましたが、パソ(フラメンコの靴音を出すステップ)が難しく早かったりで、それを追いかけるだけで1時間が終わってしまいそう。中級クラスはパソがもっとシンプルな分、いろいろな勉強ができると思ったので。

そう、パソは簡単。フラメンコ初級者なら誰でも必ず習ったことのあるパソ。伝統的で、悪いけれど何の変哲もないパソ。でもそれなのにファルキートがそれをするとなぜあんなにも違うのか。音がまず違う。音の質が。彼がちょっと足音を出しただけで「なんじゃ、今の音は!!!」と唸る。そして音量も桁はずれ。スタジオにひしめき合う生徒達よってたかって15人分くらいの音よりもファルキートのサパテアードの音の方がずっと大きい。でも音量だけじゃないんだ。さっき言った音の質。

重要なことはパソではない、それをどうやるか、だ。

そしてファルキートは言っていた。

パソだけやって後からブラッソ(腕の動き)をつけるのはばかげている、と。

なぜならブラッソをつけることで、身体の向きを変えることでパソが変わってしまう。また一からやり直さなければならない、そして後から付け足したものは自然ではない。だったら最初から、最初は苦労しても一緒に学ぶべきだ、と。

さらにこんなことも言っていた。「世の中いろいろなパソがある。複雑なリズムがあり、それを遂行できる踊り手は世の中たくさんいる。

「でもその音がソレアに聴こえる人は何人いる?大部分がただの4分の3拍子のリズムだ。」

そうなのだ。そこなのだ。ほしいのはフラメンコの音だ。音楽の音ではなく。

そして今日は萩原の天と地がひっくりひっくり返った。

今日学んだのはソレアの誰もが知っているパソ。12拍子系の踊りを習ったことのある人なら初級者でも知っているパソ。(先生がきちんと基本のパソを教えていれば、の話ですが)経験のある人なら、あ〜それ知ってる〜、と流しがちなパソかもしれない。それを私は「1」から始めるものだと思っていた。そう誰からも教わっていた。ところがそれを「12」から始めてみる。普通のフラメンコ教室では「入るところが違う」とか「78910、ウン・ド〜!!!」と先生に大声で号令をかけられるところ。でもあえて「12」から始めてみる。

同じパソなのにセンティードがまるで違う。

ファルキートは言った。

「パソをどこから始めなくてはいけない、なんて書いてある本はない。」

でもじゃあ、わざとずらせばよいのかというとそういうことではない。クラスの中でファルキートは生徒達にやらせてみる。できる人もできない人もいる。でもできる、というのは立ち止まらずに続けられる状態のこと。ファルキートのセンティード(感覚、ニュアンス)はやはりファルキートしか持っていない。同じことを生徒がしても心地よくは聴こえない。ファルキートがやる時だけ光るのだ。音の一つ一つが。

そして、さらに衝撃的なのは、ソレアのマルカール。ものすごく自然で、これも何の変哲もないように見える。でもなぜそれを見ているだけで涙が込み上げてくるのだろう。生徒達もみんなそこそこ踊れるから振りはとれる。でも全然違うのだ。ファルキート、すごすぎる。それを思い出し今ブログにするだけで鳥肌が立つ。

ファルキートは言う。

「でもこのマルカールは例えばこういうソレアのカンテには合わない。コンパスは合うけどね。」

“Tu pena y mi pena son dos penas….”

その彼が歌い出したそのソレアは、数年前、ヘレスのフェスティバルで彼がソレアを踊った時に歌われた歌だった。

いまだにはっきり覚えている。あの日私は高熱を出して意識朦朧のまま劇場に向かった。でもはっきりとあの瞬間だけは覚えている。いくつかのソレアの歌の後、ファルキートがジャマーダをしている最中に歌い手は我慢しきれずにそのソレアを畳み掛けたのだ。その瞬間ファルキートはジャマーダを止め、カンテに対して踊りだした。いや、踊ったのではない。カンテをaguantar(我慢する)。あの瞬間を私は決して忘れることはない。

そのファルキートにソレアを習えるなんて。

でも以前の私だったらその価値が分からなかったかもしれない。ファルキートが素晴らしいアーティストだということが知識として分かっていても、そこ止まりだったかもしれない。

2013年2月1日 セビージャにて。

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