「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演への道のり⑥

ソレア・コン・バタ・デ・コーラ ソレア・コン・バタ・デ・コーラみなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

さて、前回のブログの続きです。

ミゲル・パソコン事件も解決し、明日本番。最後の練習です。この日は15:00から舞台監督さんだけいらっしゃるということで、午前中に作戦会議。昨日のリハーサルでは走りまくり、公演時間が全体たったの50分になってしまった・・・

ミゲルが言いました。「昨日は3人とも皆走り過ぎていた。もっと落ち着いていいんだ。それにしても、ジュンコのサパテアードのスピード、どうしたんだ?!」サパテアードのスピード?だから、昨日は走っちゃったんだって・・・、ミゲルは言う。「以前だったら、走っても『もうできない』って止まってたのに、昨日はあのスピードでも普通にサパテアードしていたぞ。」・・・うん、確かに。走ってたけど足は普通に動いていた。ミゲルは言いました。「サパテアードの技術が格段に上がってるよ。音もクリアになって以前よりずっといい。ジュンコ、相当練習したって言ってただろう?」

思い当たることがありました。1月中に受けたファルキートのレッスン。ファルキートのクラスは結構休みが多くてあまり受講できなかったけれど、数回受講しただけでも私の中にあの音は残った。全然違う音。誰とも違う音。フラメンコの音。それを心に留めて1人でもくもくと練習した2月、3月。もし私のサパテアードがよくなっているのだとすれば、それしかあり得ない。私はあえて中級クラスに入った。難しいパソをなんのセンティードもなくどかどか打っている上級クラスに入るのではなく、パソは簡単でいい。ただしそれをきちんとやる。きんとやるというのはファルキートのレベルできちんとやる。それが上級クラスのパソを学ぶよりどれ程難しいことか。

でも私が1人で練習していた時にずっと感じていたことは、ミゲルが言ったことと逆だった。自分のサパテアードの音がひどい、私はずっとそう感じて練習に励んでいた。多分、あのファルキートのクラスで、私の耳はファルキートの音に照準を合わせてしまったのだろう。だから自分のサパテアードの音がひどく聞こえるようになってしまったのだ。結果、自分ではひどいと思っていたけど、相対的に見た時にその音のレベルは上がっていたのだ。ファルキートと比べたら比べものにならないほどひどい。でも昔の自分のレベルはゆうに超えたのだと思う。知らず知らずのうちに。

耳は大切だ。耳そのものよりも「聴く力」。これがなければ踊れない。歌えない。弾けない。おいしいものを食べていれば舌が肥えるのと同様、いつもいいものを耳にしていなくてはならない。知らず知らずのうちに聞いているものに耳は慣れてゆく。よくも悪くも。

15:00。舞台監督さんがいらっしゃる時間になりました。ミゲル、モイ、私の3人は誰も何も言わなかったけれど、昨日のぼろぼろのエンサージョよりずっといいエンサージョにしてみせる、という意気込みがありました。お客さんはたった1人。舞台監督さんのみ。リハーサルが始まりました。ミゲルの伴奏から始まり、モイのカンテに続き、私はぞわぞわっとしたものを感じていました。恐ろしい、この二人。やはりただものではない。ものすごいシギリージャでした。どうしてモイは真っ昼間から、スタジオで、こんなに恐ろしいシギリージャを歌えるのか。

ミゲルのギターソロに続き、私のマントンのアレグリアス。そしてその後に事は起こりました。

モイのカンテソロ。マラゲーニャ。

私は涙が止まりませんでした。なんてフラメンコなのだろう。これを、明日、明後日お客様は客席から聴くのだ。これはとんでもない公演になる。

さらにソレア。私のバタ・デ・コーラのソレア。覚えていない。

そして最後のマルティネーテ。

タンゴ。

おしまい。

その日のリハーサルで計った公演時間は1時間20分でした。

それよりも、あのリハーサルはなんだったのだろう・・・。まるでそれはもう公演のようでした。

ミゲルが言いました。「この公演は絶対に成功だ。間違いない。」

モイもそれに頷いていました。

どうして、そんなことを断言できるのだろう。でも彼らがそう言うならそうなのかもしれない。

きっとそうに違いない。そうあってほしい。そうでなくては困る。きっとそうなのだろう。

いろいろな思いが私の中で渦を巻いていました。

4月5日、公演前日の夜でした。

写真:「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演ソレア/写真:松本青樹/衣装:ピリ・コルデーロ

2013年4月20日 小倉のホテルにて。

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