萩原淳子在西10年記念フラメンコ公演「ハモンは皿にのせるだけでよい」が終了し1週間が経ちました。1週間経った今でもたくさんのお客様からお喜びのご感想を頂いております。誠にありがとうございます。本当にこの公演を開催してよかったと心から思います。
この公演開催向けて動き出したのは1年以上前です。セビージャに住み始めて10年が経ち、この10年間を一つの舞台にまとめたい。スペインで共演しているアーティストを日本に連れていくのだ、そう思いました。本人にはその時まだ話しませんでしたが私は心の中で、すでにミゲル・ペレスを呼ぶことを決めていました。もちろんいいアーティストであり、人間性も素晴らしいのもそうですが、いい時も悪い時も、辛酸をなめさせられた時も、私が外国人であるという偏見を持たずに私を一人の踊り手としていつも接し、アドバイスをくれたギタリスト。それがミゲルだったからです。そしてモイ・デ・モロン。実際、私はモイよりも他の何人かの歌い手達とこれまで多く共演してきました。どの歌い手もプロフェッショナル。でも私が行いたい公演を実現するのに必要な歌い手は迷わずモイでした。
この二人と私の踊りで、私は私の行いたいフラメンコ公演ができる。
そう思ったのです。でもその後、ある事実が脳裏をよぎり、だんだん不安になってきました。
【事実①】よく観る劇場公演は、いつもずらっと後ろに多数のアーティストが並んでいる。
ギタリスト2人、歌い手2人は当たり前。パルメーロや他の楽器演奏者や、ゲストの男性舞踊手もいれば舞踊団の群舞あり・・・とにかく人数が多い。人数が多ければ多いほど格式のある公演・・・誰もそんな事は言わないけれど、暗黙の了解というか既成事実のようになっている気がする。そんな世の中で、ギタリスト1人、歌い手1人、踊り手1人。たった3人。お客さんから「『在西10年記念公演』とか言って、たった3人だけ?」と言われるのかな・・・あと1人くらい歌い手を呼んでみようか・・・日本にいるアーティストも呼んで人数を増やそうか・・・
迷いました。でも、原点に戻って考え直したのです。私はセビージャでこの10年間何を学んできたのか。日本でたくさんの舞踊技術と振付を学び、舞台にもタブラオにも立たせて頂いた。新人公演で奨励賞も頂いた。それはそれでとても大切なことだったと今でも十分理解しているけれど、あの時私は心の中でずっと思っていました。「そうじゃない。私が求めているフラメンコはそうじゃない。」そのわだかまりが増大し抑えきれなくなった時、私は渡西しました。フラメンコってなんなのか。学んでも学んでもまだ足りずに、今でも足りずに学び続けていること。死ぬまできっと学び続けていくこと。それがこの10年という歳月とたくさんの経験の中で、私自身を通して少しずつ濾過してきたのではないか。それがこの公演の源なのではないか。
だとしたら、それを舞台に現すまでだ。確かにバックアーティストがずらっと並んでいる方が見栄えがするかもしれない。公演チラシにもたくさん名前が載りハクを付けられるかもしれない。でもそのこととフラメンコであることとの因果関係は????
フラメンコの公演を行う。フラメンコ風の振付によるダンス公演ではなく。フラメンコギターとカンテのいいとこ取りをした別の音楽の公演ではなく。フラメンコの公演。それさえあればいい。それが私の公演の軸であり、私の人生の軸だから。
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「ハモンは皿にのせるだけでよい」
このタイトル私の中ではすんなり出てきました。昔あるギタリストとフラメンコ談義をしていた時に彼の口から飛び出た言葉。「El jamón solo tiene que ponerse en el plato. 」その日本語訳。私なりの。
ハモンは皿にのせるだけでよい
花も飾りもソースもいらない
ハモンは皿にのせるだけでよい
でもそれが本物でなければ
その切り方を知らねば
そして大切なのはそれを誰かと共有すること
フラメンコもきっと同じ
2013年4月 萩原淳子
上記は公演当日のプログラムに記載しました。たくさんのお客様から、「タイトル通りの公演でした。」とお言葉を頂きました。そう、そのための公演タイトル。
でもこのタイトルを発表する前にもちょっと迷いました。
【事実②】日本人のフラメンコ公演タイトルのほとんどがスペイン語である。
昨年10月に行われた、私の第1回目公演タイトルは「魚の選び方を知った時」でした。たくさんの方から「なぜ日本語なの?」と聞かれました。私は逆に問いたい。なぜ日本語ではいけないの?私は日本人で日本で公演を行うのだから、日本語で何ら問題はないと思うのですが・・・もし今回の公演タイトル、「EL JAMON SOLO TIENE QUE PONERSE EN EL PLATO」にしたらほとんどの人が読めないんじゃないかな。そして私の中ではすんなり出て来たタイトル「ハモンは皿にのせるだけでよい」。すんなり出たということはそういうこと。それが自分にとって一番自然なこと。自然なことは一番真実に近いこと。
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いろいろ思い出されることはあります。でも長くなってきたので一旦ここまで。続きはまた後日改めてブログにします。
写真:公演2日目、4月7日(日)本番前楽屋にて。
2013年4月15日