セビージャに着きました。& 教えることと学ぶこと。

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で無事「第12回少人数制クルシージョ」を終了、水曜にセビージャに着きました。生徒の皆様、受講して頂きありがとうございました。今回も東京・大阪・福岡のクルシージョに加え、7月の連休に開催した写真展&ライブにお越し下さった皆様も、改めてありがとうございました!

セビージャに着いて早々、大阪からいらした方に個人レッスンでソレア・ポル・ブレリアの振付を開始。背が高くブラッソ(腕)の長い彼女。彼女の良さを思い切り活かすような振付にしています。毎日個人レッスンで大変だと思いますが、集中して学ぶ事できっと上達されるでしょう。

それにしても学ぶということは、本当に限りがない。教えていて改めて思います。もし単に振付を教えるだけだったら簡単。生徒さんの方でも動きだけ追いかけて、それで踊っている(つもり)なら話は早い。でも振付を踊るには、舞踊基礎がなくてはならない。基礎が大切で、学ぶ必要があることは誰でも頭では知っている。でも「なぜ」その基礎が大切なのか、「どう」必要なのか、それを理解しなければ、「基礎が大切」というのはただのスローガンになってしまう。しかもそれを唱えることでちゃんとフラメンコを勉強した気になってしまう危険性が高いから気をつけた方がいい。

そして振付の意味。ただ単に動きを羅列しているわけではない。見栄えのするカッコいい動き、もしくは、これをやったらフラメンコと思われるに違いない、という確信犯的な動き、そういうものをつぎはぎした振付には気をつけた方がいい。意味のない動きは、カンテとギターを無視しているから。それはどれだけ上手に踊れたところで、ただのダンスである。その踊りを通してカンテとギターとコミュニケーションができなければ、フラメンコっぽい振付のフラメンコ風ダンスということ。

そしてその意味を教える側がちゃんと生徒さんに伝えているか。これは教える側の責任。そして、教えられた後にきちんと覚えているか。検証しているか。研究しているか。実践しているか。それは生徒さんの責任。教わって、その場で「そうか!なるほど!分かった!」と思うのは当たり前。重要なのはそこから。

それら全部を個人レッスンで学ぶというのは、どれだけ大変なことか。教える方も教わる方も。もちろんクルシージョでもそう。もしかすると、もうレッスンできるのは最後かもしれない、という思いがいつもどこかにあるから。もちろんクルシージョはもう東京では12回、大阪と福岡も3回続いている。継続して受講されている生徒さん達は当たり前のように、私がまた日本に来ると思っている。私もそのつもりである。でも、そんなの誰がわかる?本当に?明日何が起こるか本当は誰にも分からない。だとしたら、そのたった1時間のレッスンでも、そのうちの5分でもどれだけ重要かというのが分かると思う。だから一生懸命教えて、一生懸命学ぶ。教える側も教わる側も、それを忘れてはいけないと思う。

一生懸命学んでいる生徒さんを見て、そんなことを改めて思いました。

2013年8月24日 日本より涼しいセビージャにて。

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