スペインでオーディションを受けるの巻。

皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日、小島章司先生とハビエル・ラトーレの新しい舞台「FATUM」の舞踊団員募集のオーディションを受けてきました。オーディション会場はコルドバの劇場内の練習場。結果は予想通り、落ちました!ははは。

オーディションがあるというのを聞いて、履歴書を送ってみたら書類審査に通ってしまったのです・・・。後日送られて来たオーディション受験者の一覧を見るとなんと160名ほどの名前がずらっと。あ!この人!え〜!この人も受けるの〜!という著名フラメンコ舞踊家の名前もちらほら。日本人らしき名前は、というより珍しい外国人の名前は私くらいだったかな?こりゃ、落ちるわ、と最初から思ってはいたのですが、万が一ということもあるかもしれない。可能性0,0000000000000001%でもあれば、受けてみるべし。というわけで昨日はコルドバに行きました。

約160名の応募者を名字のアルファベット順に15名ずつグループ分けし、10:00〜14:00までが前半グループ、14:15に前半の結果発表、休憩を挟んで17:00〜20:00までが後半の部でその結果発表後、受かった踊り手が次の日(本日)の最終審査でまたオーディションされるというわけ。

私は前半グループの4番目、10:50〜11:30が〝準備運動〟時間、11:40〜12:20がオーディション時間でした。セビージャを朝8:30に出て10時過ぎにコルドバ駅着、タクシーで劇場まで着いたのが10:30前だったかな。ちょうどオーディションとオーディションの合間だったようで、ちらっと会場を覗いたら、小島章司先生とハビエル・ラトーレ、志風恭子さんがいらっしゃったのでご挨拶。着替えて〝準備運動〟会場まで行くと、すでに踊り手2人が会場前で着替えて待っていました。そのうちの踊り手一人が言うには、〝準備運動〟時間といってもストレッチをするのではなく、そこでオーディションの振付を学ぶとのこと。それを10分後のオーディションで踊るそうです。・・・・なるほど、それでこの二人の踊り手は恐らくかなり前の時間から〝準備運動〟会場の前で待機していたわけか。つまり、〝準備運動〟会場ではハビエル・ラトーレのお弟子さんが前のグループのオーディション受験者にその振付を教えている。扉は閉まっていて中は見えなくても、振付で使われる音楽(CD)は聞こえるし、その音楽に合わせてお弟子さんが「タカタカタカター」とかリズムを刻んで教えている声も聞こえてくる。それを事前に何度も聞いていて、自分たちの時間になって振付を習うのと、時間ギリギリに到着して初めて音楽を聞き振付を習うのでは大きく違う。〝準備運動〟時間とはいえ、もうそこから、いや、そのもっと前からオーディションは始まっているというわけだ。そんなことを思いながら、私も先の二人の踊り手と一緒に扉の奥の音に集中する。

しかし恐いのは、二人は表面的にはニコニコ会話をしている。扉の奥の音を聞いているくせに、いや私は聞いていませんよみたいな何食わぬ顔。すごい、この二人はオーディションのプロに違いない。萩原は会話に参加すると音が聞こえなくなってしまう。音に集中すると眉間にしわが寄り、会話に参加できなくなる。完全なオーディションど素人である。そうこうするうちに他の踊り手達も数名到着。〝準備運動〟時間になってやっと振付会場に入ったのですが、なんと私を入れて6名だけ。本当は15名いるはずなのに。でも時間なので振付開始。鏡の前に立ち、知ってはいたが改めて直面される現実。見た目。自分が東洋人であるということ。日本では派手顔で通る私でも、スペイン人の中に入ればのっぺり顔。そして身体が華奢すぎる。骨格も肉付きもまるで違う。身長も低い。スペインの舞踊団員の見た目要素は何一つ持っていない。そしてさらに恐ろしいことが始まる。お弟子さんが振付をちょっと踊った瞬間に皆振付を一発でとる。その瞬間にもう踊っている。全然戸惑わない、間違わない。お弟子さんは何度か繰り返してくれるが、それは教えてくれるのではなくて、すでに振付をとった受験者が確認できるようにするため。1回で振付をとれない人(私です)は自力でとるしかない。フラメンコのクラスのように、先生がゆっくりパソを繰り返してくれたりはしない。振付をとれなければそれでおしまい。舞踊団で踊る実力がない、ということ。多分30分かそこいらの時間で、終わってしまった。私からするとかなりの量。それほど難しくない振付だったけれど、短時間でそれを覚えて今すぐに踊るのは厳しい。でも舞踊団員に求められるのはそれ。練習して上手に踊れるのは当たり前。そうではなく舞踊団員は短期間で舞台公演に備えなくてはならない。必要なのは即戦力。そして当然、群舞で踊るための見た目。分かってはいたものの、改めて現実を突きつけられ気持ちの整理がつかないまま、そして振付もうろ覚えのままオーディション会場へ・・・

オーデション会場では小島章司先生、ハビエル・ラトーレ、舞台監督など数名が審査員となり、スタジオに一列に座っていらっしゃる。受験者は上半身に番号入りの大きなゼッケンをつけてまずは全員で踊る。(もちろん、その時点ではお弟子さんは一緒に踊ってくれない。)その後ラトーレから指示された番号の受験者が数名ずつ踊る。先の二人のオーデションプロの踊り手はやはり全部踊れる。踊りが上手いかというと特筆するものはないが、そこそこ上手に踊っている。他の二人はあまり上手ではない。でも振付は間違えずに通して踊れる。残りの二人、セビージャでフラメンコを教えているプロのフラメンコの踊り手と私は全然ダメ。振付をちゃんと覚えられなかったので踊れない。あーこんな私のために審査員達の時間を割かせてしまって申し訳ないと思い、オーデション終了後審査員席に向かって頭を垂れた萩原でした・・・

というわけで元々想定はしていたけれど、これで落ちることは確定。しかしながら「バカ・愚鈍・間抜け」のオンパレードの自分が情けなく悲しくなってきました。落ちることは分かっていてもその3拍子オンパレードを審査員の前にさらしてしまったのも恥ずかしい。落ち込む権利もないのですが一丁前に落ち込んでいると、先程のオーデションプロの踊り手一人とそのお友達と思われるグループが近づいてきました。気を取り直して彼らとお茶でもするか、と思い一緒にバルへ。聞いてみたら、彼らはマドリッドのコンセルバトリオ出身だそうです。

「コンセルバトリオ」・・・・。それは私にとっては未知の世界。それはスペイン舞踊を6年間総合的に学ぶ、専門教育機関。フラメンコ=(イコール)スペイン、スペイン=フラメンコ、と思われる方も多いかもしれませんが、フラメンコは数あるスペイン舞踊のうちの一つ。コンセルバトリオでは、ホタ、クラシコ・エスパニョール、クラシック・バレエ、などの科目のうちの一つとしてフラメンコ舞踊も学びます。卒業した段階で、スペイン舞踊のプロとしてオールマイティーに踊れる状態。日本でおなじみのスペイン国立バレエ団などの舞踊団員はこのコンセルバトリオ出身者がほとんどなわけです。もちろん他の舞踊団の舞踊団員として活躍する人も。今回のオーディションにも彼らが応募していたのでした。

一人の女の子が言っていました。「私達は小さい頃からずっとレッスンレッスンで準備しているの。普通の人が行く学校にだって行けない。コンセルバトリオのレッスンがあるから。通信教育で高校の単位をとりたいと思っても仕事の日と試験日が重なったら仕事を選ぶしかない。私に替わる踊り手なんてゴマンといるから試験を理由に仕事を断ったら、もう仕事は来なくなる。だからまだ高校も卒業できていない。でも、コンセルバトリオを卒業したからといって仕事が保証されている訳ではない。あとはオーディションを受けまくって舞踊団員の仕事を自分で掴むしかないのよ。」

・・・・なんという違い。中学・高校を普通に卒業して、大学のサークルでフラメンコを始めて、18歳で初めてセビジャーナスを習って、会社員として働きながらレッスンと自主練を続け、やっと貯めたお金でスペイン留学し10年経った私。そして彼らが学ぶスペイン舞踊全般を私は学んだことがない。私が学んでいるのはフラメンコだけ。ただそれだけでも、一生かかっても学びきれないというのに・・・。

どちらがよくてどちらが悪い、ということではない。元々全然違う道なのだ。コンセルバトリオで学び舞踊団員になる踊り手と、フラメンコを学びフラメンコ舞踊家として独り立ちする踊り手と。もちろん両方を兼ね備えた踊り手というのもごく稀だが、いないこともない。そういう踊り手は本当に傑出している。星の数ほどいる上手なプロの踊り手達の中のトップレベルだ。しかしほとんどの場合がどちらか。フラメンコしか学んでいない踊り手は舞踊団員として通用する要素に欠ける場合が多い。コンセルバトリオ出身の踊り手というのは、フラメンコの「振付」は踊れても、その踊りが「フラメンコ」かどうか、というと疑問を持つ場合が多い。今回少なくとも前半のオーデションを受けたフラメンコのプロの踊り手達が軒並みオーディションに落ちて、受かったのがコンセルバトリオ出身の踊り手だったというのが、その証拠だ。

もちろんさっき一緒にお茶していたコンセルバトリオの女の子達は全員受かっていた。数時間お茶してただけだけど、彼女達の小さな頃からの苦労を思い浮かべ、私はなんだか嬉しくなり「おめでとう!」と一人一人に言いました。でも、セビージャやカディスから集まったフラメンコのプロの舞踊家達は皆憮然とした顔。立場的にどちらかといえば私は後者の方の部類なので、彼女達の気持ちが分からないでもなく、萩原、複雑な心境・・・。

そう、もしオーディション内容が例えば、即興のカンテとギターででフラメンコを踊れ、とかいう内容だったら確実に結果は逆転していただろう。それぞれ学ぶ道が違うから。舞踊団が求める要素を兼ね備えた踊り手が選ばれるのだから。ちなみに今回オーディションで使われたCDの曲の続きはアレグリアス・デ・コルドバのカンテ(歌)のようだった。その出だしでCDの音源は切られていたけど、ああ、そっちを私は自由に踊りたかった、と心から思った。もし時間が許されるなら、その続きを踊らせてほしいと。多分そっちの方が私の本来の踊りだろうから。オーディションに落ちても審査員が見ていなくても、その続きを聞いて踊りたかった。未だに、カンテの歌い始まった所でぶちっと切られた音源が、その瞬間がまだ耳にこだましている・・・。

いろいろな事を考えた。私はスペイン舞踊という観点からしたら「バカ・愚鈍・間抜け」のオンパレードかもしれない。でもフラメンコの観点からしたら、どうなんだろう。もちろんフラメンコの観点からしても同じオンパレードになるかもしれない。東洋人というネックもある。それでも自分が選んだフラメンコという道を一心不乱に進んできて、これからも進んでいくだろう。そのオンパレードは一生続くかもしれないけれど、それでも進んでいくだろう。

スペインにいる限り壁は強固だ。昨今の経済危機、それがなくても東洋人であるというということ。でもあえてその環境の中で踏み留まるからこそ得るものがあるのだと思う。そしてその場の成果にはつながらなくても、その経験はきっと私の血となり肉となり踊りになる。そう信じている。

日本にいれば日本にいることでメリットもあるだろう。そのメリットを十分活かして成長するのも一つの生き方だと思うし、そのようなアーティストも日本にはいらっしゃると思う。でも私の場合、日本という土地で成長するためには、スペインで必要とされる精神力とは別の精神力を持たなくてはならない。その精神力を持たないと、私は井の中の蛙になってしまう。それは危険だ。大変危険だ・・・。

私は大海の一匹の魚でありたい。大空を飛ぶ一羽の鳥でありたい。それが今の私には必要なのだと思う。

2013年10月12日 戻って来たセビージャにて。

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