はー、やっと怒濤の日々が過ぎ、セビージャに戻りました。今日は一日中洗濯に明け暮れ、今やっと最後の洗濯が終わるのを待っている所です。過ぎてしまえばなんてことないですが、大変だったな、ここ数日。
- 2月16日 東京にて生徒さんのスタジオコンサート(大成功のうち終了!)
- 18日 成田を発つ
- 19日 セビージャ着
- 22日 ヘレス入り(ヘレス・フェスティバル第1週目)
- 22〜27日 ハビエル・ラトーレのクルシージョ受講
- 25日 セビージャに一旦戻り、28日セビージャ公演の合わせ→またヘレスに戻る
- 28日 11:00 ハビエル・ラトーレクラス受講生によるヘレス舞台公演、最終リハーサル
- 同日 13:30 同上公演本番
- 同日 14:30 公演終了
- 同日 16:15 ヘレスからセビージャへ移動
- 同日 17:30 セビージャ着→仮眠
- 同日 20:15 セビージャ公演会場ホテル・アル・アンダルース着
- 同日 21:00 合わせ
- 同日 23:00 本番
- 3月1日 01:00 自宅着
いやーよくがんばりました。今年もヘレス・フェスティバルで開講されるハビエル・ラトーレのクラスを受講しました。他にもたくさんのアーティストがフェスティバル期間中にクラスを開講していますが、私は可能な限りハビエル・ラトーレのクラスを受講するようにしています。今年で3回目。何が他のクラスと違うかというと、期間中6日間のクラスで学んだ振付を最終日に劇場公演として発表すること。たった6日間で学んだ振付・・・そしてそれだけではない、群舞としてのフォーメションなども同時に学んでゆきます。だって、ヘレス・フェスティバルの公式プログラム内の劇場公演として発表するんだもの。そんな無謀なことができるのか?と普通の人は思う。私も思う。でもやってしまう。それを指揮してしまう、それがハビエル・ラトーレの恐ろしい程の素晴らしさ。ハビエル・ラトーレだからこそできる。みんなついていってしまう。ハビエル・ラトーレでなければこれはきっとできない。
その公演の動画は こちら。Taller con Javier Latorre , Festival de Jerez 2014
私にとって重要なのは舞台で踊るということよりも、その短期間でいろいろなレベルのクラス受講生達をどのように群舞としてまとめてゆくか、どのように舞台公演としてみせてゆくのか、そのラトーレの手腕を学ぶこと。これまでに2回、同様のクラスを受講してきたけれど、とにかく振付とフォーメーションを覚えるのに精一杯で、そこまでは学べなかった。。。。しかし!今年は分かってきたぞ。ラトーレの手腕が。ほんのささいな動きで、一瞬にしてその受講生のレベルを見分ける眼力。狭い舞台の中で、25人の受講生を群舞としてどのように動かすか、そのためには適材適所というのが必要になってくる。そしてラトーレの構想の中には群舞としての流れ、音の流れは一環としてある。それをできるだけ忠実に今そこにいる受講生で組み立ててゆく。無駄な動きがない。シンプルでありながら、全体的な構想としてまとまっている。説得力がある。美がある。しかし、それを絶対として固執することはしない。時として、受講生を動かしてみてベストな方法を選ぶ柔軟性もある。でもかといって受講生をむやみやたらに動かし、惑わすことはしない。気分や思いつきじゃないのだ、しっかりとした経験に基づく感性と知性によって人を動かす。
これはすごいよ。一人の人間がそれを行うってのは、相当頭がよくなくてはならない。物事を、踊りを、舞台を、音楽さえもマクロで観る目。そして一人一人を実は気遣ってもいるミクロの心。それを兼ね備えているのがハビエル・ラトーレ。だからこそ皆彼についてゆく。だからこそ素晴らしい舞台作品になる。
そして、私も将来そうなりたい。時間をかけて踊り手として、人として学び、経験を積んでゆけば、きっとできるはずだ。
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このクラスは一応、「プロフェッショナルクラス」ということになっているけどレベルは様々。プロフェッショナルの定義は各自それぞれ異なるということなのかな。以前は確か、プロフェッショナルクラスに申し込む人は自分の踊りの映像をフェスティバル側に提出して、それで事前選考されていたように思うけど、今はそういうのはないみたい。そんな背景もあってかレベルは様々。もちろん私達は学んでいるからこそクラスを受講するのだし、「プロフェッショナル」の定義はそれぞれ異なるし、私がプロフェッショナルであなたは違うでしょ、と言うつもりはない。でも、明らかにどう見ても初中級のレベルの人がクラスにいるというのは先生に対して失礼なのではないかな。どうなんだろう、こういう考え方は。
・・・なんてことも少し思ったけれど、クラスには代教のプロの踊り手が3人いた。ハビエル・ラトーレの娘であるアナ・ラトーレ、コルドバのアナ、ムルシア出身のシンティア・カーノ。ちょうど、前者から身長が高い→中くらい→低いとなっている。背の低い私は、同じくらいの身長のシンティア・カーノの隣で踊ることが多かった。この若い、恐らく20代前半くらいの踊り手、舌を巻く程上手い。まず、早い。ラトーレが振付ている瞬間にもうパソ(足の動き)や振付をとっている。次の瞬間にはすぐ踊りだし、その次の瞬間には自分なりの味付けで自分の踊りにしていく。そして踊りと踊りのつなぎ。うまい。隣で、うーんとうなりながら振付をとっている私だったけど、とりながら、何度もシンティアの動きを研究した。私が持ってない動き、やらない動きというのが随所に出て来る。そうか、そういう音の感じ方もあるのか、そういう表現方法もあるのか、と非常に勉強になった。自分の動きにその場で取り入れた部分もあり、いつか使おうとポケットにしのばせたものもある。いずれにせよ、とことん学ばせて頂いた。それにしても、シンティア級の踊り手なんて、スペインにはゴマンといるんだよね。日本にいるとなかなかそういうことに気付かない。やっぱり受講してよかった。そしてシンティアと同じくらいの身長でよかった(笑)。
でも今回大変だったのは、同日にセビージャで自分の公演があったこと。公演時間が重なっていなかったため両方とも出演することになったのだけど、一緒に準備するのはかなり大変だった。セビージャ公演で踊ったのはガロティンとバタ・デ・コーラのアレグリアス。もちろん日本でも準備をしてはいたけれど、日本にいる時の私の生活の大半はクラスで教えているので、なかなか自分の練習時間を割く事ができない。時間があっても頭の切り替えが上手くないので(笑)自分の練習時間にクラスのことを思い浮かべて「ああ教えればよかったかな〜」とかいろいろ物思いにふけってしまい、自分の練習に集中できない。これは自分のせいですが。そんな感じで、一応準備はしていたけど、最終調整はヘレスで。
一度に3曲準備するというのは結構しんどい。2曲はまだ分かるけど。しかも3曲のうち1曲がその週から学び始めた新規の曲で群舞構成やフォーメーションも1週間後の舞台作品に仕上げていくわけだから、これは大変だった。ヘレスにいる間はほとんど練習に明け暮れた。ストレスでヘルペスが出て、顔にも吹き出物が・・・がーん。体調は崩さなかったし体力はあったけど、やはり身体はどこかでシグナルを出すものなのだと思う。でないと人間壊れちゃうよね。
とはいってもやらなきゃならない時もある。別にやる義務があってやらなきゃいけないわけではなく、自分でやると決めたことだからやる。自分で決めたからには、「できない」とか文句や弱音は吐かない。他人にも当たらない。とにかくやる。それが今回はこの時だったわけで、とにかくやりきりました。これができれば、後は大体なんでもできそうかな。また一つ山を乗り越えた、そんな気がします。
最後になりましたが、この公演に関してのブログが以下アップされていましたのでご紹介させて頂きます!
では、また次回、アントニオ・ペレスによる写真等もアップしたいと思います!
2014年3月2日 セビージャにて。