お陰様で、金曜の、サラ・ガルーファでのソロ公演は無事終了致しました。お越し頂きましたお客様、誠にありがとうございました!中にはなんと、バルセロナからお越し下さった方々も。誠にありがとうございました!
公演1部はモイ・デ・モロンのカンテ・ソロでマラゲーニャ。楽屋で聞いていて思わずoleが。マイクがない分、フラメンコファンにはたまりません。そしてアントニオ・モジャのギターソロ、これまた渋いフラメンコの音色のタランタに続き、私のバイレ、アレグリアスで1部終了。1部はお客様がちょっと固いような気がして、正直少し踊りにくかったかな。でも楽屋に戻って、モジャが「オレ達はよかったよね。」なんて言っていて、ちょっとほっとしました。
そして休憩の後の2部。モイのカンテソロ、シギリージャ。これまた鳥肌もの。何度も言うようですが、あのシギリージャをマイクなして、あんなに近い場所で聴けるなんて、これはもう、いらっしゃったお客様は本当にラッキー。歌えば歌う程、どんどん深く黒くなっていくモイのシギリージャ。本当に本当にフラメンコでした。そして、今度は私のソレアだ!と思った瞬間、なぜかギタリストのモジャが楽屋に駆け込んできました。
「爪が割れちゃったよー!!!」
だって・・・。フラメンコギタリストは自分の爪ではギターを弾きません。アロンアルファで付け爪をするのですが、その爪が割れちゃったのだそう。そしてモジャお気に入りの、緑のアロンアルファ(日本製)で爪を作り始めました・・・そしてその間、「おい、なんとかつなげとけ」とモジャに言われ、舞台に一人残されたモイは・・・・なんとギターソロを始めました。
モイ・デ・モロン。 つまり、モロンのモイ。モロンとはセビージャ郊外にある小さな町の名前ですが、この小さな町が生み出した、フラメンコ史上その名を轟かせるギタリストがいます。
その名は「ディエゴ・デル・ガストール」
決して高度な技術を持っているわけではない。でも最小限の音で最大限のフラメンコを弾くギタリスト。そして、そのモロンから輩出されたギタリストの音にはモロンにしか出せないモロンの音があります。明らかにモロンだと分かるその音色。間。
そのディエゴ・デル・ガストールの、モロンのブレリアをモイが弾き始めました。訥々と。決して上手な訳ではない。でもモロンの音がする。モロンの薫りがする。それを楽屋で聞いていた私は思わず笑みがこぼれました。付け爪を作っているモジャを見ると、モジャも本当に嬉しそうな笑顔。客席からも暖かな笑い声が。フラメンコが好きって、本当に素晴らしいことだと思う。あー、しみじみ。あ、そうえいばモイって、歌い手になる前はギターを弾いていたんだ、と思い出しそれをモジャに言うと、
「モロンではパン屋だってギターを弾くんだよ」
つまり、それだけモロンの人にとってギターを弾くということは当たり前のこと、という例え。その言い方があまりにも愛嬌に満ちていて思わず、はっははーと声を出して笑ってしまいました。セビージャが踊りの町なら、ヘレスはカンテの町。そしてモロンはギターの町、という訳です。同じアンダルシア地方でもその土地によって特色が違う。そこがまたフラメンコの豊かさ、素晴らしいところなんですよね。
そんなこんなでモジャの爪も作成完了。私のソレア。出だしから、ソレアの歌でまたモイが炸裂。うおー、モイの歌が身体に入ってきたー。ぞわぞわーと踊りが出てきました。モジャのファルセータ(ギターのメロディ)に引き続き、またモイの歌につなぐ!!!と盛り上がってきた所で、なぜかモジャのギターがフェイドアウト・・・・無音になってしまった・・・
???なぜですか?モジャ???? なんなの?この展開?
仕方がないので、ここから即興。ソレア・ポル・ブレリアにするか、と思いジャマーダをして歌を呼んでみたけど、歌が入らない・・・・モイの方を見たら、状況を把握できない模様。がーん。落ち込む暇もなく、今のはフェイントで(笑)、歌を呼ぶジャマーダじゃなかったよ〜んと見せかけて、テンポを上げてブレリアに突入。さらに私の即興は続きます。自分でもこの後どう踊りを組み立ててゆけばよいのか、その段階では分かっていない。私が分からなければモジャもモイも分からない。何かがひらめくまで即興で踊り続けていました・・・。
こういう時は脳みそを使わなくてはなりません。「フラメンコは感じて踊る」とよく言われますが、その通りですが、半分脳みそも使う必要もあります。例えばこういう時。よくありがちなのが(今までの私の経験でよくあったのが)頭が真っ白になってしまって何がなんだか自分で分からなくてぐちゃぐちゃになって終わり、後で大泣きするパターン。だからこそ落ち着いて脳みそを使わなくてはいけない。舞台の上で止まることはできない、「あ、すみません、もう1回」とやり直すこともできない。即興で踊り続けながら、次の展開を考える。
これ、結構難しいです。文章にすると簡単ですが。でもやるしかない。そうこうするうちに何とか自分の中でも流れが整理できて、よし!と思いました。ブレリアのエスコビージャ(足の技術の部分)を終えて、これならモジャも分かるだろう!と確信を持ってレマーテをしてファルセータ(ギターのメロディ部分)を呼んだのに・・・
・・・・ギターが止まってしまった・・・・また無音・・・なんなんだ!!!この展開!!!
そしてモジャが弾き出したのが、またソレア・・・・え?なんで?と思ってモイを見たら、モイの顔にも「?」が10個くらいついている。それにしても、モイ、気持ちは分かるがもう少し顔に出さないようにしてくれないか・・・なんて正直なんだ君は・・・と思ったけれど、もうソレアしかない。というわけで、モイがソレアを歌い出す。まあ、それはそれでよかったのですが。そんなわけで、その後もまた即興が続き、わーっと踊って終了。
フィン・デ・フィエスタはタンゴで、もちろん即興。まあ、最後なのでこれは普通、即興で踊られるものなのですが。いやー、あの日のソレアの即興度(?)は久々でした。踊り手には大きく分かれて2種類の踊り方があります。1つは、音楽も振付も事前に完全に決めて、それを何百回と繰り返し、本番でもその通りに踊るタイプ。シンクロナイズドスイミングとか、新体操のようなスポーツ的な準備の仕方でしょうか。もう1つは、ある程度、要所要所の構成は決めておいて、あとは自由に弾いたり踊ったり歌ったり、という即興部分を残しておくタイプ。普段の私は、舞踊団の群舞で踊る以外は後者のタイプで踊りますが、あの日のソレアは、要所要所の構成自体が舞台上で変わってしまったので、そこから全て即興になってしまいました。ちょっと骨を折ったけれど、ライブはお陰様で無事終了。お客様はみなさん大喝采で「来てよかったー」とおっしゃって下さり、よかった。楽屋ではなぜか、モジャ大満足。「いやージュンコ、よかったぞ!」と・・・。私が即興で格闘していたのに全く気付かなかった様子。そんなモジャにole。(笑)そういう時に黙って何も言わないモイにもole。(笑)本当はもっと「普通に」ソレアを踊りたかったけど・・・まあ、これもありか。
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今から5〜6年前、私が即興で踊っていたプライベート・フィエスタで弾いていたのがモジャ。そこは、一流アーティストが舞台の上にも、客席にも集まるものすごいフィエスタでした。そんな中でいつも踊るのが怖くて、でもそれこそ命がけで踊って、いい時もあったけど玉砕することもたくさんあって、家に帰って大泣きすることもたくさんあって、それでも踊り手として呼んでもらえて1年半修行させて頂いた場所。あの時たくさんかいた大恥と、流した涙が今の私につながっている。そう思うと、あの時に比べて私はちょっと成長したのかも。そしてあの1年半、私を鍛えてくれたのがモジャ。
そのモジャが昨晩、開演前に楽屋で言っていました。「オレはいつも舞台の前で緊張するんだ。フェルナンダ(・デ・ウトレーラ)もすごい緊張していたぞ。フェルナンダの緊張は普通じゃなかったぞ」うん、私も緊張する。5〜6年前、あのフィエスタの時は緊張どころか踊るのが怖かった。あんなにすごいアーティストに囲まれて、なんであの人達じゃなくて、私が踊らなくちゃいけないんだ、って。何にも知らない日本人が、って。そういう私にモジャは言いました。「オレ達の仕事は不条理だな。緊張ばっかりして。」「そうそう、緊張して、ストレスたまって、夜も眠れないし、顔に吹き出物は出るし、夫は八つ当たりされて可哀想だし」という私に、ふぁっふぁっと笑うモジャ。そしてこうも言っていました。
「だから舞台の上では楽しまなくては。」
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そうなんだよね。いろいろあったけど、それも結局楽しめるようになったのかなあ。
ありがとう、モジャ。ありがとう、モイ。
(写真:アントニオ・ペレス)
2014年10月6日 セビージャにて。