エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/2日目

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

本日はエバ・ジェルバブエナのセミナー2日目。ものすごい筋肉痛です、全身の。昨日と同様、スポーツトレーナーの先生から授業開始。昨日はストレッチと呼吸法だったのが、今日はもっと動きが激しくなりました。みんなゼーハーゼーハー。どう考えても受講生は私よりも10歳は若いはずなのに、ゼーハーゼーハー。もちろん私もゼーハーゼーハー(笑)普段エバが取り入れているトレーニング法だそうで、エバも一番最初にやった時は最後までできなかったそう。でも今ではもう慣れて何セットもできるらしい。恐るべし、エバ・ジェルバブエナ。一流のフラメンコ舞踊家のトレーニングとはこういうものなのか、と唸っているうちに筋肉痛が・・・(笑)いくつかの動きは、バタ・デ・コーラにつながるものがありました。バランス、軸、重心移動、骨盤を固定すること、股関節を開くことなど。バタの訓練をきちんとやっていれば大抵の動きはカバーできる。逆に言えば、本気で身体の基礎を作ればバタ・デ・コーラは技術的には難しくない。(バタの難しさは昨日のブログにも書いたけど、コントロールすること、そしてバタにアルテを宿らせること。)

今日の訓練法でキツかったのをメモしておこう。

①腹這いになって、伸ばした足をバタ足する。すごく速く。しかも骨盤を浮かせる。(太ももが床についた状態で膝先だけバタ足というのはダメ。)そしてそれと同時に両腕を前方に伸ばし、ひじを直角に曲げるという動作を同時に行う。もちろん上体も床から浮いている。

②腕立て伏せみたいなポジションで左右の足を曲げる、伸ばすを繰り返す。ただし曲げている足は床から浮いている。交代する時は片方の足が床に着く瞬間にもう片方が曲がる。(両足が両方とも床に着いていることはない。)しかもその交代がすごい早い。シャッシャッシャーと忍者のように。

ブログで文章にするとなんだか分からないかもしれないけど(笑)まあいいや、今回はこれは自分が忘れないようにするためのものなので。すみませんね。

しかし②の動きで思い出したことがある。これは、小学校の時にやった雑巾がけの動きにかなり近い。よく一列になって誰が向こうの壁まで先に着くかよく競争していたから、かなりのスピードで足を交代していたことになる。しかも、萩原、とっても得意だった。あまりにスピードが早過ぎて、雑巾に乗せている手がスピードに追いつかず突き指したこともあったくらい(笑)うーん、あの頃の体力に戻せばいいのか、トレーニングで・・・

考えてみればプロフェッショナルな踊り手というのは、スポーツ選手並みの運動量をこなしているはずである。ここでいうプロフェッショナルというのはスペインでのプロフェッショナルな実力を持つ踊り手、という意味。クラスで教えることで舞踊教師としてプロフェッショナルというよりも、第一線で舞踊家として活躍する狭義の意味でのプロフェッショナル。例えばエバ・ジェルバブエナとかイスラエル・ガルバンとか。フラメンコはスポーツではないけれど、一流の踊り手というのは身体の準備の仕方がそもそも違う・・・

エバが言っていた。

「皆、身体の準備もできていないのに、なぜパソや振付ばかり欲しがるのか?」

本当だよなーと思う。

そしてその次、エバのタンゴ!エバの踊りで素晴らしいのは、言わずもがなソレアである。でもエバのタンゴというのも素晴らしい。タンゴの振付もちょっとやったのだけど、改めてはーっと思ったのは「intención」という言葉について。インテンシオン。日本語に訳すと「意図」かな。よく、「インテンシオンを持たせる」とか使ったりする。つまり、ただパソや動きをやるのではなく、その意図を持たせてやることによってそのパソや動きに説得力を持たせるというもの。説得力があればそれだけ踊り手が何が言いたいのか、何を表現したいのかが観客や歌い手、ギタリストにしっかり伝わる。

でもどうやってインテンシオンを持たせるのか?問題はそこ。今日のクラスでは、エバは代教の踊り手(元エバ舞踊団員、ロレーナ)タンゴのシンプルなパソを使って、まず男性のように、そして冷たい感情を出させた。そして別の舞踊団員(マリア)に今度は女性らしく、甘い感情を出させた。意図が変わるだけで、同じパソがまるで違うものになる。今度はもっとシンプルなタンゴのマルカールにどのようなインテンシオンを持たせるか。例えばどのようなインテンシオンにするか生徒の一人が答える。「雲」・・・雲というインテンシオンを持ってタンゴのマルカールをする。難しい・・・

そこでパントマイムの先生がエバに当てられる。パントマイムで雲を表現するには?パントマイムの先生が面白い事をエバに言った。「雲が主体か、雲が目的か?」つまり。自分自身が雲という主体になったつもりでパントマイムをするのか、それとも雲を自分が見ているという状況かということ。

・・・そんなこと考えたこともなかった。パントマイムの先生は難なくそれをこなしていたけれど、じゃあそれをフラメンコに置き換えるとどうなるのか。ここで一つでてくる考え方の一つ。

「そんなのフラメンコではない」

問題はここにもある。なぜそれがフラメンコではない、と分かるのか?じゃあフラメンコって何なのか?それを知っているのか?それを知っている程、フラメンコを学んでいるのか?

話しが変わってエバに聞かれた。あなたの体重は?「47kgくらい・・・?」

と私が答えると、(実際何kgかよく分からない)エバは言った。「あなたの限界は47kgってことね。」

・・・?

つまりこういうことだ。タンゴを踊る時には実際の自分の体重など関係ない。100kgでも200kgでもあるということを自分で信じて踊らなければ「ペソ」は絶対に出ない。でも自分が47kgだと思ったら自分で自分の限界を作ってしまっている。エバは言っていた。

「私の限界は誰にも作れない。なぜなら私が自分の限界を作らないから」

エバはにこりともしない。エバはめったなことでは笑わない。

それからもう一つ、エバが強調していたこと。それは「visualizar」。ビスアリサール。つまり視覚化すること。自分の動きが実際に外から見た時にどのように映るのか、それをきちんとイメージして踊る。自分の踊りをビデオに撮って客観的にチェックするのではない。どういうイメージかというのを想像して、その想像の動きに自分を動かすこと。そうすることでただ踊るのではなく、観客により訴えかけられる踊りになるということ。

エバのその「visualizar」のこだわりは並ではない。多分、きっとエバが小さいからなんじゃないかと私は思っている。エバは私(154センチ)より小さい。そのエバが舞台で踊るということ。身体的に恵まれたスタイルを持つ踊り手と同じように動くことはできない。

もう眠くなってきた。パントマイムのクラスについてもブログにしたいのだけど、明日のクラスのためにもう寝よう。パントマイムで重要なことは「sentir」感じること、自分が感じることでその動きが本当のように見える。自分が感じることでそれが動きになり、表情になる。「sentir」。これはフラメンコでもよく言われることだよね、と思う。昨日は、真っ暗闇の中で道を探しながら前進してゆくパントマイムを各自やる。今日は、歩きながら、一つの感情から次の感情へ変わる変遷をパントマイムにする。面白い事に、踊りの上手な人が、このパントマイムも上手とは限らない。身体がよく動く割には、その動きが嘘くさい。もしくは幼稚園のお遊戯みたい。

だめだ、もう寝る。

最後にエバは、学んだことを何でも書き留めておくのだそうだ。自分が何を考えているのかを全部鉛筆でノートに書いてゆくらしい。

私は頑張ってブログにしてみた。多分誤字脱字がたくさんあるような気がするが、すみません。寝ます。

2015年5月26日

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