エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/4日目

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

たくさんの方からブログに関してコメントを頂き嬉しいです。お読み頂きありがとうございます。

さて、4日目。(実はこのブログを書いている今はもう最終日が終わってしまっているのですが、たまっていた分を少しずつアップしてゆきますね。)のっけからなんですが、とても悲しいというか、がっかりというか・・・そのようなことがありました。エバのクラスの時です。エバに「あなたの名前は?」と聞かれました。わっ!!!、エバに名前を聞かれた!!!嬉しくて嬉しくて一瞬目の前に虹が広がり、私が「ジュンコ」と答えると、その瞬間エバは首をふり、何人かの生徒がクスクスっと笑ったのです。

・・・・え・・・・どういう意味・・・

そしてその瞬間、私の頭によぎったのは、あ、エバは私の名前を覚える気が全然ないんだ。私の名前を耳にした瞬間に覚えるのを諦めたんだ、ということでした。

誰がクスクスと笑ったのかは分かりません。でもその瞬間目のあった他の生徒は、あなたの気持ち分かるよ・・・という眼差しを送っていました。私の口から出た言葉は「簡単なのに」それだけでした。

それからしばらく私の頭の中はぐるぐるとそのことばかり巡っていました。カルメンとかマリアとかじゃない。外国人の名前というのはスペイン人にとって覚えにくい。でもジュンコというのはそれ程難しい発音ではない。「ジュン・コ」たった母音2つ。亡くなったファラオーナは私の名前を聞いて「“ジュンケ”(yunque)みたいだね。なんてフラメンコな名前なんだ」と嬉しそうに言ってくれた。これまでに習ったフラメンコの先生も皆、ジュンコと呼んでくれた。時間はかかっても、時々他の日本人の名前と間違っても、最後にはジュンコと呼んでくれた。確かにたった数日間のセミナーで20名もの生徒の名前を全員覚えるのは難しい。でも名前を聞いたのはエバ、あなたじゃないか。だったら少なくとも、ジュンコって発音してみればいいのに。ジュンコって名前を耳にした瞬間に首をふるってどういうこと?

昔、こんなことがあった。とあるクラスでとある大先生が、外国人の生徒に「サラ!サラ!サラ!」と呼んだ。彼女はサラ、という名前ではない。「サイ○○」という名前だった。要するに、「サイ○○」では覚えにくいから、なんとなく似ているスペイン女性の名前「サラ」にされてしまったのである。本人の許可なく。「サラ」というのがどうも自分を呼んでいるらしいと気付いたサイ○○はつかつかつか、といつもその大先生が座っていらっしゃる場所まで歩いてい行き、何かを話した。そして私達生徒の所に戻ってきた。サイ○○は明らかに怒っている。私が心配して「どうしたの?」と聞くと、彼女ははっきり言った。「『私はサラじゃないわ、サイ○○よ。私は毎日毎日、あなたのすっごく難しい振付やテクニカを一生懸命学んでいるというのに、あなたは生徒の名前一つすら覚えられないのですか?』って言ったの。」

!!!!

あっぱれ、である。全くもってその通りである。数日のクルシージョではない。毎日毎日クラスがあり、それが何ヶ月間も続くクラスなのだ。多分その時だと思う。

初めて、自分の名前は大切なものなんだ、ただの名前じゃないんだ、自分の存在そのものなんだ、って気付いたのは。ちなみにその大先生は、その日一日中「サイ○○、サイ○○、サイ○○・・・」と彼女の名前を念仏のように唱えていたらしい。・・・さすが、大先生もあっぱれである。

そんなことを思い出し、またその前の日のクラスでのエバの言葉を思い出した。

「私には限界がない」

その瞬間私はどん底に落ちた。舞台の上で限界のない人が、生徒の名前すら覚えようとしない?覚えられないのではない、覚えることを放棄したのだ。だったら最初から名前なんて聞かなければいいのに・・・。「tú」(君)でずっと呼ばれる方がまだいい。外国人の生徒だ、始めて耳にする名前に違いない、覚えるのは無理だろう、そう瞬間的に判断して首をふったのだろう。「私には限界がない」と言った本人が。名前を覚えてもらえないことが残念なのではない。覚えるのが大変なのは十分承知しているが、記憶力の問題でもはない。そうではなく、最初から脳みそをシャットアウトしている、その彼女の限界に気付いた時、そして彼女自身がそのことに気付いていないということに私が気付いてしまったから、愕然としてしまったのだ。数年前のセミナーで○○でなければフラメンコではない、とか、フラメンコとは△△である、という凝り固まった考えから解放してくれたのがエバだった。そして彼女の踊りは言わずもがな・・・限界がない。だからエバのセミナーを受けているのに、それなのになんで????

その後のクラス内容はなんとなく覚えているけれど、もう集中できなくなってしまった。途中からなんとか頭を切り替えて学ぼうとしたけど。タラントのコンパスに合わせて一人ずつ歩き、コンパスのある部分で、あえてフラメンコらしくない、フラメンコでは使われないポーズで止まるというもの。全員一通りやって、そのうちのいくつかの動きをエバが選び、それらを生徒達につなげさせ、振付にしてゆくというもの。それから、似たような趣旨で皆の前で好きなポーズをとり、何を表現したのか言葉で表現すうるというもの。エバが影響を受けたピナ・バウシュのレッスン方法、作品の作り方らしい。

そんなこんなでエバのクラス終了。もんもんとしたまま、パントマイムのクラスが始まる。そのクラスで学んだことは、パントマイムというのは、ただ物体がない状態で、あたかも物体があるように動くということではないこと。(これまで私はそう認識していた。)よりリアルに見せるために動きを誇張したり、あえて逆にすることもあるということ。例えば、肉料理を食べるパントマイムでは、実生活ではナイフは自分の方に動かし肉を切るけれど、マイムでは逆にナイフを外側に大きく動かして肉を切っているように見せる。そうすることで肉を食べるために切るという動作がより観客に伝わる。先生が試しに両方やってみたけど、本当にその通りだった。びっくり。

ロダンが始めて彼の彫刻を世の中に出品した時、世間の人は、皆ロダンがモデルの身体に直接石膏を塗って型をとり、彫刻にみせかけたと疑ったらしい。それだけ本物そっくりだったということ。でも実際は、彫刻の方が本物の人間のモデルよりも筋肉が隆々としていたらしい。その隆々さは比でなかったという。つまり、ロダンはより本物に見せるために、本物そっくりにそのまま彫刻したのではなく、あえて強調したということだ。何かで読んだそんなエピソードを思い出しながら、多分同じようなことなんだろうな〜と思う。でもフラメンコはどうなんだろう、効果を狙って誇張したりあえて逆にしたりすることはあるけど、それでフラメンコの真実からかけ離れてしまうこともあるんじゃないか・・・

その日はクラスの受講生の2人と一緒にクラスの後ご飯を食べる。セミナーの話をいろいろして、やっぱり自分の中でひっかかっていた名前のことを2人に話す。1人は私のそばにいて、同情の眼差しを送ってくれた人。もう1人はこう言ってくれた。「私もその時、ひどいなと思った。皆の前では何も言わなかったけど・・・」

それを聞いて、やっぱり私だけの妄想ではなかったんんだ・・・とさらに落ち込む。家に帰ってそのことを夫に話す。「クラスの写真を撮りに行きたいと思ってたけど、行かない。そんな人の写真なんて撮るつもりはない」と怒っている。

なんだか決定的になってしまったようで、完全に落ち込む。「で、どうするんだ?」と夫に聞かれ、「明日、エバと話そうと思う」と言った。別に文句を言うつもりはない。でも自分が感じたことを落ち着いて伝えようと思う。エバならきっと受け入れてくれるだろう。逆恨みするような人ではない。

昨日のクラスでこんな話もあった。ある生徒が、自分はやせっぽっちで背が高いのでタンゴには不向きだと習っている先生に言われたんだけどどうしたらよいか、とエバに質問した。エバは怒った。「もし私がそんな先生に習っているなら、その瞬間にクレーム書を提出し、金輪際その先生のクラスを受けない。どんな先生であれ、生徒の肉体的な特徴をあげつらって生徒を踏みにじることは許されない。」

きっと、そんなエバとなら腹を割って話せるだろう・・・エバにとって大して重要でないことかもしれないけれど、私にとっては私自身の存在に関わることだったから。

これが4日目の出来事でした。このブログの最後に、皆様にお願いがあります。この話しには続きがあります。この4日目だけだとエバがとっても悪い人みたいになってしまう。でもそうではないことが、次の日のセミナー5日目に判明しました。エバと直接話した結果、それはほんのちょっとしたコミュニケーションの行き違いから起こってしまったことだということが分かったのです。エバはやっぱりエバだった。それをこちらのブログアップ後、5日目としてアップしますので、そちらもお読み頂ければ幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

2015年5月30日 セビージャにて。

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