エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目①

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

エバ・ジェルバブエナのセミナー5日目。昨日はいろいろありましたが、一晩寝て、朝起きたらなんだかどうでもよくなっていました。ネガティブなことはすぐに忘れてしまうんです。いや、忘れるわけではないのですが、ま、いっか、そういうこともあるし。と思えるようになってしまう。それがいいのか悪いのかよくわかりませんが。

・・・・が、朝起きてゲッと思った。エバに宿題を出されていたんだ・・・すっかり忘れていた。どうしよう。その宿題というのは、何でもいいから自分の好きな音楽を用意し、それに振付するというもの。ただし、典型的なフラメンコの動きは使ってはいけない。そして単なる振付ではなく、何を伝えたいのか訴えるもの、そして今回のセミナーで学んだ内容を使うこと。げーーーー。家を出るまであと20分。脳みそをフル回転させて、そうだ!ドローレス・アグヘータのマルティネーテを使おう!と思いつきました。ちょうどその前の日の晩、ドローレスの歌を聴いていて、でもその公演では私の好きな歌詞を歌わなかった。だからそれを使おう!と。でもあまりに典型的すぎるな・・・とも思いました。今回のエバのセミナーでは固定観念を破るというか、視野を広げることを学んでいる。その趣旨にあったものがいい、でも音楽はフラメンコがいい・・・

はっ!!!と思いついたのが古いアレグリアスの歌詞でした。

Al tiro de un cazador una paloma caía

Al tiro de un cazador que cuando la recogía

El mismo se ve horrorizó

Porque bajo de la ala vio que tenía

????  chiquito casi decía;

A mi consuelo mare y a mi consuelo

Dale el ultimo beso porque me muero.

自分で聴き取りしたので間違っているかもしれません。???の所はどうしても聴き取れない。でも内容はこういうことだ。

猟師の一撃で鳩が撃ち落とされた。

その猟師が鳩を拾い、あるものを見て恐れおののいた。

それは鳩の羽の下にあった小さなメモだった。

「母に安らぎと慰めを。最後のキスを母に。私はもう死ぬから。」

アレグリアス。喜びという意味を持つ曲の歌詞がこれだ。これを初めて聴いた衝撃は今でも忘れられない。そしてこの歌詞の持つメッセージ性。最後にぐわっと胸をつかまれ涙が出る。死ぬ間際に母へのメッセージを伝書鳩に託した人、その鳩を撃ち落としてしまった猟師。何も知らずに子どもの死をいつの日か知ることになる母。たった一つのアレグリアスの歌詞の中にこれだけのものが詰まっている。

朝からさめざめと泣いて、でも泣いている場合ではなくそれをUSBに落としてクラスに向かう。猟師と、鳩と、メッセージを託した人とその母。その4人(厳密には3人と1羽)を表現するにはどうするか。重要なことは感じること。そしてその動きを客観的に見ること。根本的なことはフラメンコと変わらない。ただフラメンコ特有の動きを使わないだけ。

クラスでは立候補した人がその宿題を発表してゆきました。コンテンポラリーみたいな振付が多かったかなあ。確かにセミナーで学んでいる内容はその中に含まれているのは分かったけれど、振付としては興味深いし、みんな踊りも上手だなあと思うのだけれど、何かこう、イマイチ伝わってくるものがない。難しいなーと思ってみていたら、エバにあてられ私の番になりました。

ところが・・・持って来たUSBが使えない・・・なんとしたことか・・・

・・・結局私は発表できませんでした。ちゃんと事前にUSBが使えるかチェックすべきだった。宿題を忘れていて直前にバタバタと準備した私が悪い。大大大反省。

その後、ちょっと変わった(とセミナー内で噂されていた)女の子が発表しました。それがすごかった。彼女はタラントのファルセータを使って即興で表現していったのだけれど、有無を言わさず彼女の世界に引き込まれてゆきました。すごいなー、こんな人もいるんだ、と私は感心していたのですが、彼女の発表が終わった後、みんなの質問や批評が厳しかった。

「あなたは何を表現してもいつも同じような表現方法」

「なぜいつも髪の毛を下ろして顔を隠すのか」

「なぜ正面を一度も見ないのか」

確かに、これまでのセミナーで行ったパントマイムのクラスでやった彼女の表現方法と大して差がない。みんなの言っていることはある意味正しい。すごいなーと感心していた私は、見ていたようで何も見ていなかったのかもしれない。

その後エバは彼女と、もう一人の発表した男の子を選び、二人同時に音楽なしでその動きを各自やるように指示しました。それぞれがそれぞれの動きを全く関連なしで踊っている。そして時としてエバが一人に、その動きをしながら前に進め、とか、もう一人にその場から動くな、とか指示をする。そして最後の瞬間、それまで全く別々だった二人の動きが関連性を持った時、鳥肌が立ちました。すごい・・・エバ。その瞬間それまでの意味が全てつながり、一つの作品になっていました。

そしてその後のエバの指示がまたすごかった。その彼女にある命題を与えたのです。

「周りの人間は皆、あなたが狂っていると思っている。でもあなたは本当は狂っていない。それを表現しなさい」

一瞬、シンとなりました。セミナーのみんなが、彼女のことをちょっとおかしいよね、と噂していたことをエバは知っていたのだろうか?その噂をエバが耳にしていたのかしていなかったのかは分からない。でも数日間のセミナーでエバはそれを見抜いたのだろう。その命題を彼女に出したエバはやっぱりすごい。

その後の彼女の表現もすごかった。本当は狂っていないのに、人から狂っていると思われて、自分ではもう狂っているのか狂っていないのか分からなくなってしまった人、そのギリギリの所を彼女は表現しているように私には感じました。でもそれでは本当は狂っていないということがよく分からない、これだけだとやはりこの人は狂っている・・・そう思った瞬間に、エバが一言言いました。

「あなたは狂っていない。シャツを直し、髪をきちんと結んで狂っていないことを証明しなさい。」

その通りにした彼女は、本当に狂っていない人になっていました・・・・

エバすごい・・・

そしてさらにエバはたたみかけます。

「今度は狂っている風をするのではなく、正常な状態で他人から狂っていると思われているように表現しなさい。」

こ、こ、これは難しい・・・狂ったふりをするのは簡単だ。でも正常な状態で実は狂っていると思われているというのを表現するにはどうしたらいいんだ・・・

そしてエバはパントマイムの先生に彼女を指導するように言いました。マイムの先生は彼女をずっと見続けていました。何も言わず、何分間も。彼女は先生を見ない。先生に「私を見なさい」と言われてようやく先生に向き合う。でも身体が斜めになっている。正面から見ていない。髪の毛で顔を隠して、その隙間から先生を見ている。先生が「こっちに来なさい」と言う。彼女は少しずつ近づく、四つん這いの半身のままで。でもある所まで来てそこから近づかない。マイムの先生の言葉は落ち着いていたけれど、中に厳しいものが含まれていたように感じた。多分私には分からないことをマイムの先生は見抜いていたのだと思う。そしてそれはエバもきっと気付いていたのだと思う。だからマイムの先生に託したのだ。今度はマイムの先生が、「他の人に近づきなさい」と指示を出す。彼女は自分を取り囲んでいる他の生徒に少しずつ、一人、一人と近づいてゆく、段々と彼女の心がほどけていく(ように私には見えた。)。

そして今度はエバの指示で受講生の男の子(フアン)が彼女の真後ろに立つ。エバが言う、「フアン、今あなたか感じていることを彼女に言いなさい」。フアンは静かに彼女の耳元で言う。「お前は狂ったふりをしているだけだ。分かってるんだよ。」エバが言う。「もっと大きな声で」。フアンが叫ぶ、「お前は狂ってなんかいないんだよ!!!」

その瞬間、彼女が真顔になり、泣きそうな顔になる。エバは言う。「泣きなさい。」彼女が泣きたいのか泣きたくないのか私には分からない。涙は出ていない。でも顔が泣いている。そしてまたエバは言う。「笑いなさい」その瞬間、彼女は微笑んだ。

今まで一度も見た事がなかった、彼女の微笑みだった。

そしてそのクラスは終了した。

(エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目②に続く)

Comments are closed.