エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/1日目

11245531_10153285842246085_2784457961797000228_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今日からエバ・ジェルバブエナのセミナーを受講しています。月曜から土曜日までの6日間、朝9:00から14:30まで、途中休憩がありますが、フラメンコのレッスンにしては長い方ですね。実際にはエバだけではなく、スポーツトレーニングのコーチとエバとパントマイムの先生の3人によって授業が行われています。

まずはスポーツトレーニングの先生によるストレッチと呼吸法の訓練。今日行ったストレッチは私のクルシージョ(短期講習会)や自主練習の時に行っているものと共通しているものがたくさんありました。ただし、呼吸法に関しては自分では無意識にやっていた部分があったので、それを今度から意識的にやってみよう。ストレッチにしても呼吸法にしても、ただやるのではなく、なぜそれが必要なのかを理解してきちんと意識することが重要なのだそうです。よくストレッチを軽視している人がいますが、そういう人はたいてい踊れていない。本人は踊っているつもりかもしれないけど。そして呼吸法というのは一見踊りと関係ないようですが、実は大有り。これができないと踊れない。

その先生がおっしゃっていました。若いうちは勢いで踊れるけれど、そのうちガタが来る。そうなる前に自分の身体をメンテナンスすること。踊れなくなることを年齢のせいにしないこと。それは年齢のせいではなく、自分がきちんと身体と向き合ってこなかった証拠。ほんとうにそうだなあと思う。

次はエバの授業。まずエバからの質問。「何を学びたいか」「何を不得意としているのか」何人かの生徒が口々に答える。それを元にエバがクラス内容を組んでゆきます。エバのクラスではよく考える。自分は一体何を学びたいのだろう?自分に何ができて何ができないのだろう?その自問自答があってこそのクラス。ただお金を払ってスタジオに行けば先生に何か教えてもらえる、エバのクラスを受けるというだけでなんだか特別な気持ちになる。そうじゃないんだと。要は自分なんだと。自分が自分のことを分かっていなければ何も学べない。

エバの説明はどんどん話が飛んでゆく。その時その時でエバが思いついたこと、思い出したこと、目に入ってきた生徒の動き、いろいろなことを糸口にして彼女の語りたいこと、教えたいことがあふれてきます。話が変わる度に私は頭を切り替える。これも結構大変。私は一つのことを自分が納得するまでずっと考えるタイプなので、話が変わってしまうとその思考が中断されてしまう。だからとりあえずその瞬間瞬間で習った内容を頭の中にストックしておく。そして後から引っ張り出して熟考する。

タンゴやブレリアのパソを使って身体をコントロールする訓練をする。重要なことはパソを早くすればいいのではない。パソの早さよりも、アクセントやセンティードを探すこと。そして早さに限って言えば、早いのはパソだけではない。身体の動き、ブラッソの動き、それらにも早さがある。そのためには身体をコントロールする訓練が必要。サパテアードの打ち方、回転の方法、ブラッソやマノの使い方などテクニカの部分ではエバがやっていることは私も普段から行っている。だからそれ程苦ではなかった。でもコントロールする。これが難しい。

テクニカがないと踊れない。だからテクニカは持たなくてはならない。ただしテクニカのある人はただテクニカを使って踊りがちだ。テクニカがあればあるほど技術が高くなる。身体がたくさん動く人、強くて早いサパテアードを繰り出せる人、マントンやバタ・デ・コーラをがんがん使える人。そういう人は世の中にたくさんいる。でもその中の一体誰が身体をコントロールできているのか?ただむやみやたらに動かすのではなく。そして、その中の一体誰がサパテアードをコントロールできているのか?ただドカドカ足音を出すのではなく。その中の一体誰がマントンとバタをコントロールしているのか?ただマントンをぶんぶん振り回し、バタをばんばん蹴り上げるのではなく。

つまりコントロールできていない。その違いがよく分からない人は、テクニカてんこもりの踊りを見ると「わーすごい」と驚く。確かにそれは難しいテクニカが押し込められた踊りだから、ある意味驚嘆に値する。ある意味見た目が派手。ある意味ウケがいい。でもそれってフラメンコなの?・・・・そう私は問いたい。そういう踊りを見る度に脳裏に浮かぶ言葉がある。

「サーカス」

そう、サーカスなんだ。難しいことをたくさんやってお客さんをびっくりさせて喜ばせる。すごーいって拍手をもらう。そう、サーカス。

でもフラメンコの踊りってそうじゃない。そう私は思っている。

なぜ?

カンテがあるから。

カンテを聞いているから。その踊りはカンテから生まれるから。

だとしたらどうして、そこにそんなにたくさんのテクニカをてんこ盛りできるの?何のためにそのマントンとバタは存在するの?テクニカを見せつけるため?コンクールで高得点をたたき出すため?

サパテアードも身体の動きも、カンテやコンパスがあるからこそ。その曲にはその曲なりのコンパスがあり、アクセントがあり、うねりがあり、ためがある。なのにそれを無視してなぜカウント化して詰め込むのか?何のためのテクニカなのだろう。スーパーの詰め放題セールじゃないんだよ。

そこなんだ。だからコントロールされていないテクニカで踊られる踊りというのは、フラメンコにならない。それは技術の問題だけにとどまらず、一見技術とは真逆の位置にあるように思える「フラメンコ性」にまで及んでいるんだ。

ちなみにこのブログの「*」から「*」部分はエバが教えたことではありません。エバのクラスを受けて私考えたこと。だから間違っているかもしれない。でも残しておこう。今感じていることを忘れないために。もしかしたらあと何年か後の自分を助けてくれるかもしれないから。

2015年5月25日 セビージャにて。

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