フラメンコ・フェスティバル大阪公演を終えて&タニェとルビオと私のソレア。

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先程大阪から帰って参りました。お陰様で「第7回大阪クルシージョ」、イベリアさん主催フラメンコ・フェスティバル大阪公演は無事終了致しました。クルシージョ受講生の皆様、会場となったスタジオ・ラ・クーナさん、誠にありがとうございました!そしてフェスティバルにお越し下さいましたお客様、共演の皆様、主催のイベリアさん、皆々様、本当にありがとうございました!!!!

過日の福岡でのクルシージョ&フェスティバルでもそうでしたが、今回大阪でも素晴らしい数日間を過ごすことができました。大阪公演でも日本人共演の皆様とほとんど面識がなくとても緊張したのですが、前日の合わせで「初めまして、萩原です、宜しくお願いします」とご挨拶したところ、「え?萩原淳子さん? ちっちゃいわー」と言われて笑いそうになってしまいました。楽屋でも楽しく過ごすことができ、また終演後の打ち上げでは大笑いでした。仲良くして頂きありがとうございました。人の輪が広がるというのは嬉しいものですね。(楽屋での写真は共演の宇根由佳さんから。うねちゃんありがとう!!!)

大阪公演でもバタ・デ・コーラのソレアを踊りました。ギターはパコ・イグレシアス、歌は福岡公演でも共演したフアニジョロと、久しぶりの共演マヌエル・タニェでした。素晴らしい共演アーティストに恵まれとても充実した時間だったと思います。

ソレア。

それを踊るということはきっと多くの踊り手さんにとって特別でしょう。ソレアを一番好きな曲とする踊り手さんもきっと多いでしょう。私もそのうちの一人です。もちろんアレグリアスやタンゴを素晴らしいとおっしゃて下さる方も多いです。でもやはりソレアです。自他共に認める私の曲は。個人的にも思い入れがあるのも一つかもしれません。

8年前にとある、プライベート・フィエスタで踊った即興のソレアが忘れられません。あれから年月が経ち、今はバタ・デ・コーラやマントンなどでも踊れるようになり、技術や表現力、経験も増えました。でもあの時のソレアを超えるソレアをまだ私は踊っていないかもしれません。

あの時のソレア。

国費留学でセビージャのフラメンコ学校に通っていた時でした。帰国まであと1ヶ月という時に祖母が亡くなりました。その知らせを受け、祖母のお葬式にも行けず私は学校に行きました。朝一でその学校で会ったのがカルメン・レデスマでした。突然カルメンに「おはよう、ジュンコ、今日踊りたい?」と言われ、何がなんだか分からず、普通に考えたら祖母が亡くなったというのにどう踊るのか、とも思うのですが、なぜか私は即答で「はい」と答えていました。そしてそのカルメンに紹介された場所が、著名アーティストが集まる、知る人ぞ知るプライベート・フィエスタだったのです。カルメンは言いました。「ギターはモジャ(アントニオ・モジャ)、歌はタニェ(マヌエル・タニェ)とルビオ(ルビオ・デ・プルーナ)。事前の合わせはなくて即興だから。でも彼らはプロフェッショナルだから安心して踊りなさい。念のため2曲用意して。」わなわなと震えてきました。そんな私を見てカルメンは「大丈夫、ジュンコならできるから。早く行きなさい。遅刻するわよ」と。

その日学校は早退。家に飛んで帰って衣装や化粧品や準備して会場となるセビージャ郊外のレストランに向かいました。今でこそアントニオ・モジャもマヌエル・タニェもルビオ・デ・プルーナも日本で働いています。つまり自分が申し込めさえすれば、実力の有無にかかわらず彼らと共演できてしまう。なんとまあ、お手軽に。でもあの当時は違いました。(というか、今でもスペインでは違う。日本は環境が甘い。)ただの日本人フラメンコ留学生が、人前で踊ったことなんてほとんどなく、しかも事前の合わせなしの即興で、そんなアーティスト達と共演なんて・・・・。いまだに覚えています。その場にいた別の共演アーティストに挨拶するとふーんといった顔で私を一瞥しただけで、挨拶すらしてくれなかった。彼からすると、なんでお前がここに呼ばれてるんだ、ということなのでしょうが。

もう一人の踊り手さんが(私はその当時踊り手ではなかったけど)アレグリアスを踊るわ〜、と言うのでじゃあ、私はソレア。ギタリストのアントニオ・モジャに何を踊るんだ?と言われ「ソレア」と言うと、「ソレア・ソレアか?ソレア・ポル・ブレリアか?」と言うので、「ソレア・ソレア」という言い方は初めて耳にしたのですが、ソレア・ポル・ブレリアではなく、ソレアという意味かと判断し、「ソレアです」と答えました。カルメンからは事前の合わせがないと聞いていたのでモジャに曲の構成を説明しようとすると「シーッ」と言われました。だまれ、ということ。「ここでは何が起きるか分からないから、構成の説明を事前にしても意味がない。聴くんだ。カンテとギターを。」

正真正銘の即興でした。

もう恐くはありませんでした。「聴くんだ、聴くんだ」モジャの声だけが頭の中をこだましていました。

聴きました。

するするとカンテは私の身体に入ってゆきました。カンテは耳で聴くのではない。全身で、言うならば毛穴で吸収するものだということを初めて知りました。

どんどん歌われました。タニェが歌い、ルビオが歌い、またタニェが歌い、ルビオが歌い、最後はタニェだった。だから今考えるとソレアの歌5つ。全部踊りました。どう踊ったのかも覚えていません。それまでにたくさん習ったたくさんの先生の振付というものは頭の片隅にもこれっぽっちも浮かばなかった。カンテが勝手に私を動かしていたから。それを頭の半分で理解していました。でももう半分は勝手に自分の身体を動かしていました。その後エスコビージャになり、止まると、今度はソレア・ポル・ブレリアが歌われました。それもタニェとルビオで交互で何回か。何がなんだか分からず、でも分かっていました。そしてブレリアに突入したのかなあ、その辺はもう覚えていません。踊り終わってお辞儀をして、ギターとカンテの方に振り向くとモジャが泣いていました。「しばらくフラメンコを観ていなかったんだ、ありがとう。」そう言って私を抱きしめ、「もうこれ以上弾けない!」と言って会場を出て行ってしまった・・・。

多分、あの時、私のソレアは、私のその後を決定したのだと思う。だから今、もしくはこれから先どんなにソレアを素晴らしく踊ろうが、あの時のソレアにはかなわない。あの時のソレアがなかったら、今のソレアも今の私もないから。

ただ付け加えると、その時の私がすごかったんじゃない。きっと亡くなった祖母の魂がスペインまで飛んで来てくれたんだと思う。そして私に何らかの力を与えてくれたんだ。だから尋常ではない状況で、ただの日本人留学生が、尋常ではないアーティスト相手に、尋常ではないソレアを踊れてしまった。そして、その日の夜、セビージャのペーニャで、カルメンがソレアを踊った。同じアーティスを従えて。モジャとタニェとルビオ。私はそのソレアに涙を止めることができなかった。カルメンの楽屋に行って、周りにあきれられる程、号泣した。

それからしばらくほぼレギュラーみたいな状態で、私はそのプライベート・フィエスタに呼ばれるようになり、モジャからはいつも「ソレアを踊れ」と言われた。もちろんソレアだけでなく、アレグリアスを踊った時もあった。いい時も悪い時も、我慢がならない時もいろいろあった。そのプライベート・フィエスタに呼ばれなくなったり、そのプライベート・フィエスタ自体がなくなったり、他にも仕事が入るようになったり、とにかくいろいろ。でもいつも私にはソレアがあった。コンクールで、何らかの理由で評価されなかったり(例えば東洋人であるとか、コネがないとか・・・etc)しても、私にはソレアがあった。フラメンコを、つまり、カンテを愛する人や共演アーティスト達はいつでも私のソレアの味方だった。

ソレアは私の人生。ソレアを踊る時は、私は私の人生を削りとっている。

フェスティバルの大阪公演では、私達日本人公演の後に、マリーナ・エレディアやスペイン人達の公演があった。その公演の方にルビオ・デ・プルーナが出ていて、ルビオともそのプライベート・フィエスタ以来かなあ、8年振りくらいに会った。本番で私が踊った後、楽屋でルビオが言ってくれた「とてもよかった」と。スペイン人の褒め言葉というのは私はあてにしていない。仕事欲しさに、心にもないお世辞やおべっかで日本女子を喜ばせるスペイン人アーティストは山ほどいる。そしてそれに気付かず真に受ける日本女子も山ほど。お手軽に踊れてしまうこの甘い環境が当たり前になってしまうと、きっと気付けないのだろう。可哀想だと思うけど、仕方がない。視野と考え方は自分で広げるものだから。

ルビオが前述のようなおべっかアーティストか、というとそういうことではない。でもだからといって自分の踊りがよかった、と言っているのではなく(正直、その時よくても悪くてもどっちでもいい。それは他人の評価だから)ルビオに感謝した。あの時のソレアを歌ってくれた人が、あれから8年経った私のソレアを観てくれたことに対して。あの当時を思い出すと、ルビオから教わったことがたくさんあって感謝しているのだけれど、本人を前にするとなぜか言い出せなかった。それが心残り。いつか話せる時がくるかな・・・

タニェのカンテも健在。タニェはやはりソレアだ。そしてブレリア。(もちろん他もいいけど。シギリージャとか。)このフェスティバルでタニェと共演できると分かった時に、何がなんでもソレアを踊ると決めていた。もし他の共演者との兼ね合いでソレアが踊れないとしたら、主催者側に直訴するつもりでいた(笑)。結果的にはそんな必要はなく、すんなりソレアを踊ることになったのだけど、そのくらい絶対ソレアと決めていた。本番ではもちろんソレアどっぷり、そしてブレリアをどんどん歌ってきて、恐らく規定の10分を超えてしまったのではないか・・・計っていないから分からないけど・・・・フアニジョロのカンテもものすごい強さを持っていた。パコ・イグレシアスの音。やっぱり、そこだよ、その音だよ!という所に間違いなく入ってくる。さすが。

というわけで、今年のゴールデンウィークは、本当にゴールデンなウィークだったと思う。

皆様、本当にありがとうございました。

★おまけ★

その8年前のプライベート・フィエスタでの写真もアップ。これはアレグリアスを踊っていた時。そしてこの写真を撮ってくれたのは、今の夫、アントニオ・ペレス。

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2015年5月7日 日本居候先(両親宅)にて。

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